蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

パイオニア PL70

2016-05-31 | 音楽
昔、評判のよかったレコードプレーヤーで、状態のよさそうなのがヤフオクに出ていたので、つい買ってしまった。これまで使っていたプレーヤーが壊れたわけじゃないんだけどね。カネの遣い道に困ってるもんで(笑)。


1970年代末、オーディオ・ブーム真っ盛りのころの製品である。当時は作れば片っ端から売れたものだから、メーカーも高価な部品をふんだんに注ぎ込んで、技師に心ゆくまでぜいたくした製品を作らせていた。だから、あのころのオーディオ機器は、アウトソーシングがトレンドになりだした80年代後半以降の製品より丈夫で長持ちする。

これまで使っていたのも同じころのプレーヤーで、パイオニアのターンテーブルにSMEのアームを組み合わせたものだ。細部まで外科用メスで容赦なく切開するような、高解像度のモニター・サウンドだった。

PL70は対照的に低音たっぷり高音控えめの、おっとり穏やかな音がする。ヴォーカル帯域が荒れて喧しいレコードも、おとなしく聞こえる。木製ボディの箱鳴りを、うまく活用しているらしい。

昔はこういう、アバタを化粧で隠すようなサウンドが嫌いだった(だからモニター調のを買った)。しかし、スペック信仰の縛りが解けたのか批評家根性が抜けたのか、いまはリラックスして音楽を楽しめる方がいい。

それにしても、中古のプレーヤーも高くなったもんですね。5~6年前までは二束三文だったのに。LPの人気再燃を反映してるのかね。

で、ワタクシも引き続きLPをせっせと買い込んでるが、最近つり上げた収穫が、これ。

『メデーア』全曲(英コロンビア SAX2290/92)

ヤフオクなら、まず8万以下では落とせないマニア垂涎盤である。それがeBayで、400ポンド弱の即決で出ていたから即クリックした。ボックスにダメージがあるが、盤は文字どおりのNM。クリーニングなしでも、ほとんどノイズが出ない。イギリスの競売業者は概してアメリカの業者ほど神経粗雑ではない。

もっとも、このレコードのプレミアム人気は、多分にコレクターが英コロンビアに寄せるカルト的崇拝に由来すると思う。録音自体は米マーキュリーが担当し、原盤オーナーは伊リコルディだから、英コロンビア盤は孫テープをマスターに使ったサブライセンス盤だ。音質が格別いいわけではない。

序曲を米マーキュリーの初期プレス盤と比べただけで一目瞭然、コロンビア盤は解像度が劣る。2幕のバスとの二重唱でカラスの声が妙に疲れて聞こえるのは、高音を無理に持ち上げた弊害だろう。英コロンビアは、しばしばドンシャリ型の音作りをする。

マーキュリー盤はアメリカ・プレスの通弊でノイズが多くて閉口するが、音自体は響きが多く、迫力ときめ細かさを兼ね備えた高音質だ。カラスの声も悪くない(リコルディ盤は高音過剰の薄っぺらな音質で、論外)。

英コロンビア盤も鮮度の高い自社録音のレコードだと、派手めの音作りが効果的なんだけどね。

『ラ・ジョコンダ』全曲(東芝EMI AA-9213C)

こっちはヤフオクで、たったの360円。ダメ元で買ってみたら、あんまり音がいいので腰を抜かしてしまった。これまで聴いていた独エレクトローラ盤も英EMIのリカッティング盤も大きく上回る。同じ録音の英コロンビア初期盤がいま74800円でヤフオクに出ているが、200倍の差は絶対ないと思うよ。

東芝EMI盤はステレオ録音のレコードに関するかぎり、温かく円やかな音質でイギリス盤に充分対抗できる。盤質のよさ、プレス技術の精度では上回る。それなのに、オークションではまったく不人気(イギリスからメタル・マザーを取り寄せていた日本コロムビア・プレスに比べても不人気)。転売業者やコレクターは、ハナも引っかけない。ライセンス盤であることに加えて、東芝のモノラル盤の酷い音質が祟っているのではないか。

じっさい60年代に発売された東芝EMIのモノラルABシリーズは、どれもこれも聴くに堪えない音質だ。いま手許に『清教徒』と『カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師』の全曲盤が残っているが、どっちもカラスの声がギスギス、オーケストラは低音スカスカ。響きが痩せまくって音楽が枯れている。布張りボックスの豪華さが虚しい。

当時、別のレコード会社のスタッフに聞いたことがある。モノラルのマスターは、何種類もの録音をマルチトラック・テープ1本に入れて取り寄せていたそうだ。もちろん、輸送コストを浮かすために。

当然、カッティングに回すときは改めて4分の1インチ・テープに再ダビングすることになる。もともと数倍のスピードでダビングしたテープをさらにコピーするのだから、この間に情報がどんどん失われて音は痩せ細る。

しかし、音質はモノラル・レコードの売り上げに影響しない。音楽雑誌はステレオ盤の録音評は載せたが、モノラルは無視していたからね。

大体、ステレオの開発以来モノラルは音が悪いというイメージが定着して、どれだけ手抜きしても音に文句をつけられる怖れがなくなった。実はモノラルにはシュタルケルのチェロ・ソロとか、ステレオではありえないほど凄い音質のレコードもあったのだが。

そういや、ポピュラー・レコードの録音評、なんてものもなかったな。ビートルズの日本盤LPはイギリス盤より音が悪いそうだが、モノラル・クラシックと同じように手抜き製造やってたんじゃないかね。

もっとも、東芝EMIのステレオも音がいいのは60年代のAAシリーズまでで、70年代に出たEACシリーズのリカッティング盤は全然ダメ。音質劣化の元凶のデジタル・ノイズフィルターを導入したからだろう。

上記2点のほか、『椿姫』のチェトラ初版、『清教徒』の英コロンビア初版、『ルチーア』の日本コロムビア盤と独コロンビア盤なんかも手に入れたが、ダラダラ長くなったから打ち止め。
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祭りのあと

2016-05-28 | 社会
事前の物々しい警戒体制のワリにあっという間に終わってしまい、地元の商店主が、ちょっと寂しい、などと言ってる。言い得て妙。サミットって、要するにお祭りだったわけね。プチ・オリンピック。

オバーマの広島訪問も、そのノリで消費されなきゃいいが。

老いた被爆者を抱き寄せる米大統領、の絵が撮れて、テレビ局は狂喜乱舞したことだろう。非戦闘員への原爆投下という人類に対する罪が、あの瞬間、感傷的な美談にすり替えられて蒸発した。

アメリカに謝罪を求めないことで日本は品位を高める、みたいなことを25日付けの朝日で塩野七生が語っている。もっともらしいことを。右派論客が実はいかに日本のためを考えていないか、よう分かるわ。

こういうお人好しのエエカッコシイに付け入られて、日本はアメリカに米国債の形で莫大なカネを吸い取られ、米兵の数え切れない犯罪をチャラにされ、年平均2000億もの不要な献金を強いられてきたのではないか。

利いた風な口は『ザ・思いやり』を観てから利け。

安倍が広島で「核兵器のない世界を必ず実現する」と大見得を切ったんだってね。オバーマの尻馬に乗って。原発に固執しながらよく言うよ。

イギリス訪問ではEUから離脱するなと言って大きなお世話だと突っぱねられ、G7では世界経済はリーマン前の危機的状況と言って米英独から呆れられ、この浅薄短慮の権力亡者はどこまで日本の顔に泥を塗る気なのか。
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五輪裏金疑惑

2016-05-21 | スポーツ
舛添知事はもはや火だるま状態だねえ。公金ではゼイタク旅行しながら自腹を切るときはマクドナルドなどと、どうでもいいようなことまでほじくり返されている。紙媒体からテレビまで、あらゆるメディアが往年の2ちゃんねる、現在のツイッター・モード。ていうか、大昔の井戸端会議状態。

舛添が触法スレスレのセコいやり方で豪遊し、蓄財に励んでるのは事実なのだろう。メディアの集中バッシングを、レベルが低すぎるからといって頭から否定しようとは思わない。オレはもはや都民でもないし。

しかしだね、こういう大衆の加虐趣味を煽り立てるようなセンセーショナリズムが燃え上がってる時って、かならず裏で何かヘンなことが起きてるんだよね。

本丸はパナマ文書関係かなと思っていたら、五輪招致委員会の贈賄疑惑だった。英紙ガーディアンが報じ、フランス検察が捜査に着手した。ただし、日本の大手メディアはお義理程度に報じただけ。

なんでもリテラによれば、贈賄の仲介に電通が絡み、日本のメディアは電通に牛耳られてるから報道できないんだと。ま、このサイトのスタンスはかなり一方的だから鵜呑みにするのも問題だが。

しかし、競技場の設計案変更からロゴ・デザインの盗作騒ぎまで、ゴタゴタ続きの東京五輪にこれ以上ケチがついたら大変だと、なんらかの力が働いてるのは間違いないんじゃないかね。

要するに、舛添は目くらましのred herring。

この人、自公の支持で都知事にはなったが、自民の中枢に嫌われてるもんね。新国立競技場の建設費用を分担しろと言われて突っぱねたし。

なので、オレはメディアのバッシングを素直に受け取れない。舛添の財テクや無駄遣いより、裏金の方がはるかに大きな問題ではないか。都民じゃなくても、五輪にはオレの納めた税金が遣われるんだからね。裏金にも遣われてるかも知れない。総額の何億分の一とはいえ。

大体、国家的事業だから、ってニシキの御旗で無理をごり押しする国家に対してノーと言えるほど腹の据わった人間て、そうはいないでしょ。小田嶋隆もブログに書いているとおり。
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東海道四谷怪談

2016-05-16 | ステージ
前進座の恒例5月公演は古典と新作を1年おきに上演していて、今年は古典で鶴屋南北の『東海道四谷怪談』。この超有名な怪談ドラマは昔、歌右衛門の主演で観たことがある。しかしあれは、確か見どころのみ(お岩の髪梳きの場とか戸板返しの場とか)の抜粋上演だった。今度のは全幕通し上演。

通しであるから当然、長い。役者も大変だろうが、観る方も4時間半、休憩込みとはいえ国立劇場の硬い椅子に座りどおしで体力勝負だったです。2日経ったいまも腰が痛い。それでも最後まで席を立つ気にならなかったのは、河原崎国太郎がヒロインを演じていたからだ。

どちらかというとオバサンくさかった歌右衛門に対して、国太郎のお岩は水もしたたる美女である。お岩は亭主にないがしろにされ、生活苦にやつれた女なのだから、それだとちょっとヘンなわけだが、超論理・脱論理こそが古典歌舞伎の真髄だ。理屈をこねてはいけない。

超美女が毒を盛られて相貌一変、蒼白の顔面に毒々しい血糊の夜叉と化して呪いを吐き散らす。そこが面白い。観客はオノレの中に潜むサドマゾ願望をいやというほど刺激される。爛熟の後期江戸文化のデカダンな魅力、横溢。

脱論理といえば、3幕の幕切れも可笑しい。お岩と小仏小平の死骸を裏表に打ちつけた戸板返しのすぐあとで、凄惨な悶絶死を演じたばかりの国太郎が「おもん」なる美女に扮して登場する。伊右衛門その他と4人連れで陽気なダンスを踊ったあげく、観客に笑顔を振りまきながら花道を引き揚げる。

この「おもん」、ドラマの展開には関係ない通りすがりの女である。このあとにはまったく出てこない。暗い場面が続く舞台の毒消しを図り、ついでに人気女形の愛嬌も見せるという、観客サービスのためだけに登場する役だ。

悲劇の中に喜劇的要素をブチ込んでドラマを多彩化重層化するのはシェイクスピアがよく使う手だが、シェイクスピアは曲がりなりにも最小限の論理が通るように工夫している。南北に掛かっては、それすらナシ。観客の喜ぶことして何が悪いと、ほとんどアッケラカンの開き直りだ。

カタキ役の伊右衛門は本来、悪の冷ややかな魅力が光る二枚目の役である。しかし、演じる嵐芳三郎はちょっと線が細く、ワルが板につかない。この役じゃ、古い映画で演じた天知茂が圧巻だったです。

各紙に出そろった蜷川追悼の弁。大竹しのぶのそれに、ワタシはいちばん打たれました。「蜷川さんがいなくなったと聞いたとき、世界中に魂をばらまいたんだと思いました」。体を張って生きている人の発言には、絶対の直観があるよな。
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