蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

原田芳雄

2011-07-20 | 映画
この人が演じた中で忘れられないのと言えば、『竜馬暗殺』でも『父と暮せば』でもなく、断然『祭りの準備』の冴えない田舎ヤクザだね。ワルだが根は人がいいために損ばかりしている役。そういう負け犬を演じると、原田芳雄は絶妙にうまかった。はまり方において、アバズレを演じる京マチ子に匹敵した。

劇中、主役の江藤潤が原田のヤクザとホロ酔いで夜の街を歩いていて、ガールフレンドの竹下景子とすれ違う。二人は仲違いしているので憎まれ口をたたき合う。すると原田が、事情も知らないのに別れ際、江藤に調子を合わせて「バーロウ」と毒づく。

映画館で観ていて、観客がワッと沸いたのはあのシーンだった。あの瞬間、観客が一人残らず原田に感情移入した。多分あれは、原田が直感で演じたアドリブだ。

70年代半ばの当時、60年代の革命の夢は幻と消えて全共闘世代は失望と屈辱に苛まれていた。その挫折感を、原田は自然体ですくい取って表現してくれる俳優だった。

出演作のリストをネットで見ると、常に一癖あるシナリオを選んで出演していたようだ。ヤクザを演じてもヤクザ映画には出ない。それが彼のプライドだったのだろう。

日本映画の厚みがだんだん痩せていくね。
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ファドは女だけのものじゃない?

2011-07-17 | 音楽
男性歌手が歌ったファドってYouTubeにたくさんアップされてるし、CDもけっこう出てるが、大体において詰まらない。どうもあの半音階を多用したメランコリックなメロディに男の野太い声は合わないんじゃないかって気がする。その辺、レンベーティカと似てるね。

だから、これまで印象に残ったファド歌手はアマリア・ロドリゲスを筆頭に、マリアテレーザ・デ・ノローニャ、ルシーリア・ド・カルモ、フェルナンダ・マリーア等々、女性歌手ばっかだもんね。まあ男性優位の“コインブラのファド”ってのもあるが、あれは音楽自体が詰まらない。
というふうに思い込んでいたから、ゴンサーロ・サルゲイロの新作には不意を衝かれたねえ。めちゃくちゃ胸にしみ込んで来るじゃありませんか。喉にストレスを掛けない柔らかな発声とコブシ回しが絶品。デビュー・アルバムから格段の成長である。「許しのゴブレット」なんてトラックは3回リピートしてしまった。惚れぼれしますよ。

ファドは女だけのものじゃない。レンベーティカにヨルゴス・ダラーラスがいるように、ファドにはゴンサーロが……と言いかけて、ハタと困った。だってこの歌手、心はオンナなんだもの。声は男でも。

付属のDVDを観ると、それがよく分かる。唇を誘惑的に突き出す仕種がハンパじゃない。普通の男にあんなマネできないよ。

やっぱファドは女のもの?

ファドと言えば、4枚組ブックレット仕立ての物すごいアルバムも出た。ポルトガルって国は財政破綻寸前だってのに、なんでこんな贅沢できるの?

順を追って聴くと、ファドは古い曲ほど面白く、かつ女性歌手の方がはるかに魅力的なことがよく分かる。4枚の中で聴き応えが一番あるのは、やはり1枚目の不朽編。ないのは3枚目の今日編。

意外だったのは、4枚目の明日編でも正統的なスタイルのファドが多数を占めてることだ。ファドという古いジャンルはシンセを入れたりビートを強調したり、下手にサウンドをいじっても意味ないのかもしれない。事実、ヘンな細工をした「暗いはしけ」は聴くに堪えない。

不朽編にも昨日編にもエルシーリア・コスタが収められていないのだけが残念。
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やらせメール

2011-07-10 | 社会
昔、ラジオの電話リクエストなんていう古式ゆかしい番組があったころ、レコード会社がバイトを雇って盛んにやらせの電話を放送局に掛けていたものだ。九電のやらせメール問題で、はからずもあの原始的プロモーションを思い出してしまった。

笑ってる場合じゃない。1企業の恣意で国民生活の安全を左右されちゃ、たまったもんじゃないよなあ。曲がヒットするかどうかなんていう、ケチな次元の話じゃないんだから。

九電の事件でハラが立つのは、副社長クラスの社員が示唆したの、部長クラスが指示したの、課長クラスが実行したのと、当事者が抽象的なままで実名が明らかにされないことだ。

公聴会の信頼性を損なう詐欺行為なんだから、これは立派な犯罪ではないか。マスコミはなぜ実名を挙げて追及しない。九電に限らず電力会社の隠蔽体質を暴く、いいチャンスだろが。こういう風に腰が引けてるから、ジャーナリズムはすべて原発利権複合体の息が掛かってると疑われるんだよ。

昨夜(9日)、NHKが放送した原発問題の討論番組は見応えあったね。途中ニュースを挟んで計2時間半の長丁場だったが、釘付けになった。

出席者は原発推進または容認派2、反対派2にNHKの解説委員と原発のことはなんだかよく分かんないらしいオバサン各1。まあ、バランスはとれてる。ただし、エンエン議論をやっても、結局のところ原発はあった方がいいのか悪いのか結論をウヤムヤにするのがNHKらしかった。

中で気になったのが、原発プラント設計の技術者だったというオッサン。この人、原発絶対反対論者で、過熱すればメルトダウン、冷却すれば水素爆発、どっちに転んでも原発は危険だと主張していた。

さすが現場を知る技術者、発言が実際的で説得力がある……と言いたいところだが、実はオッサン、何を言ってるのかほとんど聞き取れない。口をロクに開かないから発音がモゴモゴ不明瞭な上に、しゃべってるうちにセカセカ早口になるクセがあり、早口になると感情が激して論理がバラバラになる。

上記のメルトダウン云々も、多分そう言ってるのであろうとオレが推測したにすぎない。

対する推進派は、原発メーカーの東芝で研究してる、てんだから典型的な御用学者だが、こっちはあくまで穏やかに上品な口調で淡々としゃべる。言葉がスムースに聞き取れる。大半の視聴者が、こっちの方がもっともだと思ったのではないか。

ま、こういう人選でNHKが搦め手から世論を誘導してるとまでは、勘ぐりたくないけどね。
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刷り込み

2011-07-02 | 社会
アパートの1階のエレベーター・ホールにケージが2台、降りてきている。幼児を乳母車に乗せた若い主婦が、その1台に乗った。オレもあとから同じケージに乗り込んだ。主婦が何となく面白くない顔をしているので、「以前は1人1台ずつ乗ったもんですが、いまは節電しませんとね」とニコヤカに話し掛けたら、あーッ、あーッ、あーッ、などと言ってる。日本語、通じてんのか。

思考停止は主婦だけじゃない。昨夜の倉本聰の原発観もひどかったね。この人、去年夏の靖国ドラマですでにボケぶりを存分に露呈していたけどさ。

いわく「日本はなぜ産業大国でなければならないのか」「小国でいい」「照明は暗くてもいい」云々。いかにもごもっともに聞こえる主張だが、これって経産官僚や電力会社の思うツボと違うか。

なぜなら、倉本の主張は結局、原発不可欠論が前提になっている。日本は産業立国のために電力が必要→電力供給のために原発が不可欠、という短絡的論理だ。

この論理を日本政府と行政と産業界と学界は60年代以来、エンエンと日本国民の脳裡に刷り込みつづけてきた。倉本はその刷り込みに乗って、感情論を述べたにすぎない。裏を返せば、原発を廃止するなら貧しい国になっても仕方がない、と言っている。

原発を廃止すれば、本当に日本は貧しくなるのか。実はここにデータがあるのだが、日本の民間の発電能力、つまり自家発電能力は約6000万KW、優に東電1社分あるそうだ。さらに、火力発電所は現在、発電能力の50%しか利用してなく、フルに活用すれば最大発電量は1兆2000億KW(!)を上回るという。これ、総務省統計局発表の数値だそうだからインチキじゃないだろう。震災以前を上回るペースで電力を使っても、余裕の数字じゃん。

もちろん、電力をジャンジャン浪費しろってんじゃないよ。節電はオレもやるよ。その方が電気代が安上がりだから。しかし、政官学業が総力挙げてアピールしている電力不足の神話には、ぜーんぜん乗れないね。

日本の自家発電と火力発電は、なぜもっと活用されないのか。いうまでもなく原発と電力会社の地域独占体制を維持するためである。もっとハッキリ言えば、これらが生む利権を温存するためである。

フクシマという大失態で大きく揺らいだ利権構造を立て直すために、彼らはいま死に物狂いなのだ。民主党も、電力会社労組を支持母体にしている議員が多いから、これに無関係ではない。だからこそ、与党・野党が結託して菅やめろ辞めろの大合唱である。
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