蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

ル・バルーシェ東京公演

2010-10-25 | 音楽

ミュゼットとは、音楽小国フランスが生んだほとんど唯一のオリジナルな音楽様式である。全盛期は1930~40年代。したがって20世紀後半はすっかり老衰し、7月14日の革命記念日(いわゆるパリ祭)に虫干しのノリで引っ張り出される程度にとどまっていた。

80年代末のワールド・ミューシック・ブームで一時期復活し、何枚か新録音も出たが、いかんせんプレーヤーが軒並み高齢化していたから生命力の躍る演奏なんて皆無だった。

90年代の半ばだったかな、東京で開かれたミュゼット・バンドのジョイント・コンサートもひどかったね。実態は要するにアコーディオン入りジャズ・コンボで、まあそれはいいんだが、やってるプレーヤー自身がミュゼットという過去の音楽に飽き飽きしてるのが丸見え。無気力プレイの無限連鎖で、ノリというものが全然なかった。

昨夜、ティアラこうとうなる馴染みのないホールで公演したル・バルーシェ Le Balluche(正確には、ル・バリュッシュだろう)は、そのミュゼットを演奏する若手バンド。またあの行儀よくて冗長な疑似ジャズだと困るなと思いつつ出掛けたのだが、意外。これが実に生き生き、心底楽しみながらプレイしている。

もちろん現代のバンドだから、ジャズもやればレゲエもやる。しかし本筋はあくまでミュゼットだということをシッカリわきまえていて、名目ミュゼットの国籍不明音楽になったりしない。

何よりも、ミュゼットがまだ若かったころのストリート感覚をふんだんにまき散らしてるのがいい。だからアコで3拍子を刻んでも、カビ臭さを覚えさせる瞬間が一度もなかった。ミュゼットで客席があれほど沸くなんて、初めて見た。

そのアコがどれくらい巧いのかは、よく分からんが、少なくともマルセル・アゾラやリシャール・ガリアノの磨き抜かれたクロム鋼みたいな冷たい音より、ずーーーーっと好ましかったのは確かである。

まさしく拾いもののコンサートだった。12月にはCDも出るらしい。
『Root's Musette』Taki's Factory TAKI-6005
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短期決戦

2010-10-20 | スポーツ
あーおもしろかった。CSって、リーグ戦のエッセンスをギュッと煮詰めたような濃さだね。選手はヘトヘトに消耗した体にムチ打って戦うんだから気の毒だけど、観てる方はコタエらんない。

それにしても、ロッテぐらいハラハラどきどき、ジェットコースター顔負けのスリルを味わわせてくれるチームも珍しいね。

シーズン当初は連戦連勝の快進撃、それが故障者続出で失速し、危うく4位転落かと思わせて、終盤3連勝でCS進出にすべり込みセーフ。第1ステージは2連勝で西武を軽く往なしたかと思うと、福岡ではまたもや連敗で崖っぷち。それが土壇場で逆転、3連勝でシリーズ進出。

野球は筋書きのないドラマだとよく言われるが、その本質をロッテぐらい地で行くチームはほかにないんじゃないの。

ともあれ、福浦が勘所で底力を出してくれたのが、なんともうれしい。この人、衰えたりとはいえ、やっぱり至宝だよ。

セの方も巨人に勢いがあるみたいだし、ひょっとするとシリーズはリーグ戦3位同士の対決?(といって、あたしゃ極度のアンチ巨人だけどさ)

西岡くん、成瀬くん、メジャーに行くなんて言い出さないでね。
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強制起訴

2010-10-06 | 政治
検察と野党は無論、マスコミも世論も与党さえも、寄ってたかって小沢潰しに一心不乱だ。バッシングなんて生やさしいもんじゃない、明らかに小沢の政治生命を絶とうとしている。だけどこれ、何かに踊らされてる感じがしませんか。

はっきり言って、オレの目にはアメリカの影がちらついて仕方がない。

民主党代表選の折り、小沢の出馬に何を血迷って、とオレもマユをひそめたが、あれは外務省はじめ霞が関にとって好ましくない(つまり、アメリカにとって好ましくない)政治家を民主政権から追放する儀式だったのではないか。小沢の出馬、鳩山の唐突な支持は多分、それに対する最後の抵抗だった。

田中角栄―金丸信―小沢一郎のラインは、アメリカよりアジアを重視してきた政治家たちだ。彼らが成果を上げる、もしくは上げようとすると、常に反作用の動きが出た。日中復交を果たした角栄は、史上初めて現職首相の身で逮捕された。金丸はこれに震え上がり、保険のつもりで“思いやり予算”を発案したが、結局ヤミ献金や脱税の容疑を被せられて失脚した。

小沢が大訪中団を組織し、天皇まで担ぎ出して、かつてない日中の融和を実現した途端、アメリカでトヨタの大規模リコールが発生した。西松建設問題に加えて陸山会事件で小沢のダーティ・イメージが増幅され、検察審査会が起訴相当の議決を出した。その間、尖閣問題が勃発し、日中関係は靖国参拝の小泉時代へ一挙に戻った。偶然かね。

分断統治によって部族同士を対立させ、抵抗のエネルギーを部族間抗争で消耗させるのは、かつてイギリス、フランスその他の列強が植民地経営で採った常套手段だった(その後遺症が、現在のアフリカの惨状だ)。アメリカはこの手法を、アジアの国際関係に適用しているのではないか。

日中が手を組めば、アジアでアメリカの影響力は相対的に衰える。どころか、アメリカに対抗しうる巨大勢力が出現する。落ち目のEUなんか、ものの数ではない。アメリカにとっては、日中を対立させておく方が都合がいい。その戦略に邪魔な政治家は、イメージを真っ黒に塗りつぶされて排除される。

しかし、アメリカはすでに信用不安で内政ガタガタの没落国家だ。そんな国にいつまでも忠義立てして、日本がいずれアフリカに似た惨状に陥る怖れはないのか。

それにしても、みんなの党とかいう政党、民主の失点をエサに増殖する寄生虫みたいな輩だね。オレのことは間違っても「みんな」の中に入れんなよな。
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引退

2010-10-04 | スポーツ
キッと前を睨み据え、高々と足を上げて四股を踏む。絵になってたよなあ。堂々たる大横綱の風格だった。

朝青龍というと、オレはマリア・カラスを連想して仕方がない。若いころのカラスが関取並みのデブだったから、じゃないよ。どっちも自分に正直だったからだ。

カラスは現役中、バッシングされどおしだった。思うところを率直に口に出し、行動にあらわし、それがことごとく軋轢を呼んだ。百年に一人の名歌手でありながら異端のヒールだった。

ライバルとの芸風の違いをシャンペンとコカコーラにたとえたら高慢と非難され、『ホフマン物語』の4人のヒロインを一人で演じるならギャラも4人分もらわなきゃ、と冗談を言ったら強欲と誹られ、風邪を引いてステージを降りたら国家に対する侮辱だと責められた。

こうして気まぐれなキャンセル魔のレッテルを貼られたが、実はカラスが契約を履行しなかったのは、このローマのウォークアウト事件(1958)を入れて二度だけである。疲労や条件が折り合わないなどの理由で契約しなかったり、契約外の追加公演を承諾しなかったりしたのもキャンセルに勘定された。

周知のとおり朝青龍も、やることなすこと非難された。どこまで彼に責任があったのか知らないが、土俵の上で思わず出たガッツポーズまで非難されては、たまったもんじゃないだろう。八百長疑惑も中傷だったらしいし。

朝青龍が白鵬に劣らず相撲を愛していたのは間違いあるまい。でなきゃ、土俵にキスしたりするか。それだけ愛した相撲をあきらめるところまで彼を追い込んだのは、つまるところ異質を嫌う角界の体質、日本の風土だったのではないか。オペラ界を支配するヨーロッパ貴族社会が、貧しいギリシャ移民の子のカラスを目のカタキにしたように。
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