蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

リーク

2017-05-26 | 社会
・野党議員が事実関係を問いただすと、「責任とれるんですかっ!」と首相が逆上。
・出所不明の怪文書だの、地位に恋々としてみずから辞任しようとしなかった人物だのと、官房長官が中傷。
・元次官は歌舞伎町の出会い系バーに出入り、と御用メディアが低次元の報道。

官邸のあわて振り、いよいよ半狂乱状態に突入だね。FBI長官をクビにしたり、不利な報道をすべてフェイクニュースと決めつけたりの最近のトランプとそっくり。

最高権力者の暴走に、数少ない良識人が内部告発するところも同じ。

しかし、彼我には決定的な差がある。アメリカのメディアがスクラムを組んで大統領に対抗しているのに対し、日本のそれは対抗するどころか、迎合している方が多数派だ。独立機関が検証する制度が確立していない、もしくは骨抜きにされている。告発者を支援する勢力がきわめて頼りない。

そして何よりも、いかなる事態にも安倍の支持率が下がらない。

こんな風土で共謀罪が成立したら、どんな国になってしまうことか。想像するだに背筋が凍る。
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LPで聴くノローニャ

2017-05-22 | 音楽

知らなかったなあ、アメリカでノローニャのレコードが出ていたとは。こんな地味な、エレガントな歌手が。エルヴィス・プレスリーのアメリカで。50年代にアマリア・ロドリゲスが世界的な人気を博していたから、そのおこぼれで出たんだろうか。

カッティングとプレスは英Deccaだから、イギリスで出したついでにアメリカでも売り出したのかも知れない。いずれにせよ発売部数は極少だったろうから、それがeBayに出るなんて奇蹟だ。

マリアテレーザ・デ・ノローニャは、故・中村とうようさんに教えてもらった中で最高に魅せられた歌手だ。だが、教えられたときにはすでにLP時代はとっくに終わっていたから、オレはCD(と、音の貧弱な4曲入りEP)でしか聴いたことがなかった。あのギスギス音の険しいポルトガル製CDです。

その彼女の歌がLPのウォーム・トーンで聴ける。これを落札しないでどうする。

トラックリストは、ほとんどが1960年前後に録音された曲だ。かつてポルトガルで出たCDボックスセットの2枚目の前半部分に当たる。屈指の名演「ファド・アナディア」が収録されているのがうれしい。この曲、ノローニャの歌もさることなから、ギタルラのラウール・ネリーがスイングして遊んじゃってるのが楽しいんだよね。

ノローニャのコンピレーションに必ず入っている「捨てられたバラ」が、ここにも入っている。代表的なヒットなんだろうな。しかし彼女の録音、ノローニャの最高の名演でもなければ、この曲の最高の表現でもないと思うんだよね。この曲はやっぱり、初演者エルミニア・シルヴァのものだ。ノローニャの歌は強弱のメリハリが行き過ぎていて、歌に自然な流れがない。

このLP、eBayの商品説明ではVGグレードで、しかもメチャ安の値付けだった。なので、どうせ悲惨な状態だろうと覚悟の上で落札したのだが、実物を見ると意外にもキズなし汚れなし。ノイズもごく少ない。どうなっているのだ。

ただし、音質は期待外れ。中高音域に強調感があり、Sの子音がシュルシュル耳につく。ノローニャの声が甲高くなりすぎる。クラシック・レコードでは音質の良さで有名なデッカだが、自社録音じゃないので限界があったのか。
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ポリドールのブラッサンス

2017-05-17 | 音楽

ブラッサンスのレコードがデビューから数年のあいだポリドール・レーベルで発売されていたことは、記録として知ってはいたが、現物を見るのは初めてだ。これまで手に入ったのは、フィリップス盤だけだった。

といっても、ブラッサンスがレーベル移籍したわけじゃないよ。

フランスのフィリップス・レコードはオランダ・フィリップスとドイツ・ジーメンスの合弁会社だったから、50年代半ばまではPhilipsとPolydorの両レーベルを発売していた。ジャクリーヌ・フランソワなんかも代表曲の「マドモワゼル・ド・パリ」はじめ、初期の録音はポリドール・レーベルだったはずだ。

二つの親会社はやがて提携を解消し、ジーメンスは社名にポリドールを冠した別会社を設立。フィリップスはポリドール・レーベルを使えなくなった。ブラッサンスの初期3アルバムはいったん廃盤になり、フィリップス・レーベルで再発売された。

つまりポリドール・レーベルのブラッサンスは、初回発売盤であることの証しなのだ。

ところがこのポリドール盤、発売部数が少なかったのか、これまで見かけたことがない。以前、フランスで中古レコード店巡りをしていたころにも見なかったし、eBayを漁るようになってからも見たことがなかった。

それがつい最近、なぜかアメリカからeBayに出品されたんですよね。しかも、万単位の値がつけられてもおかしくないのに(日本プレスの10インチに800ドルというアホな値段がついてる)20ドルで即決。迷わず落札した。出品者はミネアポリスの雑貨屋の小母さんだが、価値を知らなかったんじゃないかなあ。

ともあれ、届いたレコードを掛けてみると、しっかり芯があって輪郭が明快なのに少しもやかましくならず、目の前で歌っているように生々しいヴォーカル、ずっしり安定感のあるベース、スッと空気を突き抜けるような澄んだギター。初期プレスでしか聴けない採れたての音である。うっとり。

それにしても、レコードのレーベルって奇々怪々だね。iPhoneがサムスンのブランドになりGalaxyがアップルのブランドになるような、ほかじゃありえないことがワリと普通に起きる。フランスColumbiaはLP時代、EMIのレーベルだったが、90年代にはソニーのレーベルになっていた。いまは、どこが使ってるんだか。
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『裏長屋騒動記』

2017-05-13 | ステージ

晴れ渡った初夏の一日、三宅坂の国立劇場へ。恒例の前進座5月公演であります。この公演、1年おきに古典と新作をやるのだが、今年は新作の番で『裏長屋騒動記』という落語ネタのコメディ。堅苦しいドラマじゃなくて助かった。

実をいうと、新作歌舞伎がオレは苦手である。特に明治大正期に盛んに作られたヤツは、西洋心理劇の手法を採り入れて、脱論理的な古典のおおらかなエンタメ性を窒息させてしまっている。一昨年上演された真山青果の『元禄忠臣蔵』なんか、そう言っちゃナンだが、退屈がカミシモつけて歩いてるみたいだった。

作者の山田洋次監督は、第2次大戦前に前進座の出演で制作された山中貞雄の『人情紙風船』が念頭にあったんじゃないかと思う。お通夜の名目で因業大家から酒肴をせしめるエピソードは、多分あの名作からの引用だ。

主演の嵐芳三郎は、ふだん白塗りの二枚目役者だが、貧しく気のいい中年の屑拾いをまずは無難に演じていた。武士と浪人の、カネを受け取れ受け取れぬの板挟みに遭い、大金を持って両者のあいだを往ったり来たりする役。ついには耐えきれなくなって役目を降りる。

お武家様は意地を張ってればいいが、貧しい我々は50両もの大金を持たされれば、このまま持ち逃げしようかと悪い心を起こす。しかしそうすれば、いずれ捕まって晒し首。どうかもう巻き添えにはしないでおくんなさい、云々。

庶民の精一杯のタンカを芳三郎が力みなく、持ち前の爽やかな声でサラリと演じたのがよかった。メンツに生きる武士とその日暮らしの町民との対比に、庶民派・山田監督の心意気を見た。ドラマの勘所だ。

中盤、店子が大家を脅そうと屋敷に押しかけて死人にかんかんのうを踊らせる。派手な見せ場だが、ドラマの文脈では、大家がそれほど因業には見えないのが少々困った点。

死人というのが長屋じゅうの鼻つまみだったヤクザで、長屋に来て以来、店賃を一度も払ったことがない乱暴者である。道で出会った大家から力ずくで下駄を巻き上げたりもする。大家はむしろ、被害者だ。

大詰め、名女形の国太郎扮するバカ殿がデウス・エクス・マキナ然と登場して、もつれた筋にあっさりケリをつけるが、マンガ的な誇張が過ぎて、やや浮いていた。

このように突っ込みどころがないわけじゃないのだが、国立劇場に笑いが渦巻いたのは初めて経験した。

ところで、トシ寄りの観客マナーって年々悪くなるね。柝が入り、幕が開き、下座音楽が鳴り出しても、遠い海鳴りのような私語の騒音がダラダラ消えない。女性陣ばかりではなく白髪のジイさんまでがペチャクチャしゃべり散らしている。年齢層の若い四季の客席が、開幕と同時にピタッと鎮まるのと対照的だ。

オレ自身トシ寄りだから遠慮なく言わせてもらうが、老人は保育園の設置計画が持ち上がったりすると、幼児の声がうるさいといって真っ先に反対する。そのクセ、自分が人に掛ける迷惑には一向に頓着しない。多分、想像力が衰えているせいだろうが、いい加減にして欲しいよ。
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『エネミー・オブ・アメリカ』

2017-05-05 | 音楽
という映画をNHK-BSでやっていたから、観た。いつもの大味なハリウッド・アクションかと思ったら、なかなか示唆的で面白い。

何が面白いって、NSA(アメリカ国家安全保障局)という実在の情報機関を、あたかも悪の巣窟のように描いている。盗聴器やら望遠カメラやらGPSやらを駆使して一般市民の電話も会話も盗聴し、あらゆる行動を密かに監視していることを暴き立てる。

で当然、こりゃエドワード・スノーデンの告発に触発された映画なんだろうなと思ったら、驚いたことに1998年の作品だった。告発の15年も前じゃん。

NSAの存在も活動も、その危険性も、一般にはまだそれほど認識されていなかった時代に、近づくとヤバそうなこの秘密組織の内幕を、商業映画がアクションのネタにしたことが面白い。NSAが悪事を働く理由が個人の自由を制限する法律を成立させるため、てことになってるのがまた面白い。

エンタメの体裁を採りながら、公権力の横暴を許したら市民の人権がどれだけ侵害されるかを、これでもかってぐらい克明に具体的に描き出す。

『エネミー〜』は別に正面切った権力批判映画なんかでは全然ないが、底流にはハリウッド・リベラルの気骨が見える。たとえて言うなら、安保法制や共謀罪に反対するメディアに官邸が密かに圧力を掛ける、なんて内容の映画を松竹か東宝が作ったようなものだ。ありえない。

この映画を憲法記念日の翌日、共謀罪の審議中にNHKが放送したのは、偶然? もし意図的だったなら、少しは見直すんだけど。
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