19世紀初め、ベルカント・オペラ全盛期の傑作である。ドニゼッティ作品中、ポピュラリティでは『ルチーア・ディ・ランメルモール』に劣るが、音楽はこっちの方が上だ。
1957年にマリア・カラスがスカラ座で歌って伝説的な成功を収めたことは、オペラ・ファンなら周知の事実。それ以来、なんでもカラスの後追いをしたがったトルコのソプラノ、レイラ・ゲンジェルがラジオで歌ったほかは、カラスと比較されるのを怖れて誰も歌おうとしなかった。当時、ベルカント・オペラはあまり人気がなかったって事情もあるけどね。
10年後の60年代末、ようやくカラスの呪縛も解けたか、ベルカントの人気上昇と相まってボチボチ上演と録音が増えだした。
その『アンナ・ボレーナ』の全曲が驚いたことに2種類、YouTubeにアップされている。どっちもライヴ録音で、CDでは手に入らない。
一つは1970年、ブエノスアイレス・コロン歌劇場での録音。ヒロインをエレナ・スリオティス、ライバルのジョヴァンナ・シムールをフィオレンツァ・コッソットが歌っている。2時間半の全曲が1ファイルである。
Anna Bolena 1970
スリオティスはカラスの再来と呼ばれた歌手だが、若いうちからヘヴィーな役を歌いすぎて喉を壊し、ソプラノとしては20代で歌手生命を失ってしまった(その後、メッゾに転向して復活)。71年に来日して、おそろしく粗っぽいノルマを歌っていった。
その1年前のここでは、まだそれほど喉は荒れていないが、歌がなんとも若くて舌足らず。ほとんど可愛らしいぐらいのボレーナである。大詰めの大アリアが貫禄不足で盛り上がらない。
なので聴き物は、ヒロインよりも助演格のコッソットだ。60~70年代の代表的なメッゾ・ソプラノだった彼女は、レコーディングでは主にヴェルディ以後を歌い、ベルカントは『ノルマ』のアダルジーザと『ラ・ファヴォリータ』以外ほとんど録音を遺さなかった(って、まだ生きてますが)。だからこれは、きわめて貴重な録音である。
実際、スムースなメロディ歌唱や軽やかなフィオリトゥーラ、シャープな劇的表現で、これは『ボレーナ』上演史上屈指のジョヴァンナだ。第2幕のアリアなど、57年の歴史的上演でカラスに引けをとらない名演を聴かせたジュリエッタ・シミオナートを凌ぐ場面すら、ある。
もっとも、声の美しさと歌唱技術の高さと表情の豊かさで、2011年ウィーン録音のエリーナ・ガランチャはコッソットをさらに上回ってるけどね。(このウィーン版は、いま飛ぶ鳥落とす勢いのアンナ・ネトレプコがタイトル・ロールだが、歌も容姿も気品が乏しくていただけません)
ブエノスアイレス版の音質は、声を聴く分にはまずまずだが、40年前の水準に照らしてもいい方ではない。オーケストラの低音がほとんど聞こえない。圧縮音声だから、ではなく、テレビ中継の録音なのではなかろうか。
テレビには大体において、ロクなスピーカーがついてない。低音も高音も出ない。だから放送する側も、アナウンスやドラマのセリフがくっきり聞こえるようにヴォーカル帯域だけ強調して低音をカットした音を送り出す。低音再生能力のないスピーカーに低音を送り込んでも、音が歪むだけだからだ。
ラジオも似たようなもんだが、歌は聞こえるがオーケストラの低音が貧弱、というのが放送録音共通の難点である。
さて、もう一つの『アンナ・ボレーナ』は1975年、ダラスでの録音。2ファイルに分割してアップされている。ダラスといやテキサスじゃんか。そんなとこでオペラやってんのか、なんて意外感を持たれるかも知れないが、ここは昔から石油成金が道楽でオペラをやっている町なのである。
Anna Bolena 1/2
Anna Bolena 2/2
なんせアメリカって国は、サツバツの西部開拓時代にもサンフランシスコで『ルチーア』を上演してたって国ですからね。それを聴いたハワイアンの作曲家が、六重唱のメロディをパクって「真珠貝の歌」にして……あ、脱線しました。
で、ダラス版『ボレーナ』で主役を張ってるのは、レナータ・スコットである。この人、背が低くずんぐりした体型で舞台映えしないために随分損をしていたが、歌の完成度はカラスに肉薄する。この当時、アラフォーの歌い盛り。伸びのいい声を駆使して、ベルカント・オペラの旋律美をたっぷり歌い上げる。カラス以後、最高のボレーナだ。あの超人的歌唱能力のディーヴァも避けた超低音や超高音のヴァリアンテに、スコットはこれでもかとチャレンジしている。
もっとも、おかげで歌が時に声のアクロバットと化して、音楽がどこかへ行ってしまう嫌いはあるけどね。
スコットの『アンナ・ボレーナ』は、同じ年の暮れにフィラデルフィアで歌った録音がCDになってるが、声にやや疲れが出て出来はダラス版より落ちる。ライバル役のメッゾも、ダラス版の方が上だ。
ただし、オーケストラと音質はフィラデルフィア版の方がよかった。ダラス版は、序曲も開幕の合唱も絶句するほどの下手クソさで出鼻をくじかれる。それにこれは、明らかに客席からの盗み録りだ。盗み録り犯のものとおぼしい咳払いが時々、びっくりするほど生々しく聞こえたりする。
アメリカでそんな無法な録音が……って、この国は、いまでこそ著作権保護の本家みたいな顔をしてるが、60~70年代には中国も顔負けの海賊盤の本場だったのである。当時のロック・ファンなら、いわゆるブートレグLPの入手に奔走した覚えがあるはず。
ところでこれら2種の全曲録音、いまではパソコンの貧弱なスピーカーかネットワーク・オーディオ機器を通じてしか聴くことができない。民自公の翼賛体制がダウンロード規定法を、国民がほとんど知らない間に成立させてしまったからだ。
この稀代の悪法、表向きは著作権保護の体裁を採っているが、真の狙いは別件逮捕の口実作りなんだとか。YouTubeやニコ動にアクセスして一度もDLしたことのない人なんて、まずいないもんね。違法DLのファイルをパソコンから削除しといても、警察に掛かったら簡単に復元できるんだと。こわ~。
なんか日本が着々と警察国家への道を歩んでいるのを、肌で感じるね。大阪じゃ、国歌を歌ってるかどうか口元を監視してるって話だし。
1957年にマリア・カラスがスカラ座で歌って伝説的な成功を収めたことは、オペラ・ファンなら周知の事実。それ以来、なんでもカラスの後追いをしたがったトルコのソプラノ、レイラ・ゲンジェルがラジオで歌ったほかは、カラスと比較されるのを怖れて誰も歌おうとしなかった。当時、ベルカント・オペラはあまり人気がなかったって事情もあるけどね。
10年後の60年代末、ようやくカラスの呪縛も解けたか、ベルカントの人気上昇と相まってボチボチ上演と録音が増えだした。
その『アンナ・ボレーナ』の全曲が驚いたことに2種類、YouTubeにアップされている。どっちもライヴ録音で、CDでは手に入らない。
一つは1970年、ブエノスアイレス・コロン歌劇場での録音。ヒロインをエレナ・スリオティス、ライバルのジョヴァンナ・シムールをフィオレンツァ・コッソットが歌っている。2時間半の全曲が1ファイルである。
Anna Bolena 1970
スリオティスはカラスの再来と呼ばれた歌手だが、若いうちからヘヴィーな役を歌いすぎて喉を壊し、ソプラノとしては20代で歌手生命を失ってしまった(その後、メッゾに転向して復活)。71年に来日して、おそろしく粗っぽいノルマを歌っていった。
その1年前のここでは、まだそれほど喉は荒れていないが、歌がなんとも若くて舌足らず。ほとんど可愛らしいぐらいのボレーナである。大詰めの大アリアが貫禄不足で盛り上がらない。
なので聴き物は、ヒロインよりも助演格のコッソットだ。60~70年代の代表的なメッゾ・ソプラノだった彼女は、レコーディングでは主にヴェルディ以後を歌い、ベルカントは『ノルマ』のアダルジーザと『ラ・ファヴォリータ』以外ほとんど録音を遺さなかった(って、まだ生きてますが)。だからこれは、きわめて貴重な録音である。
実際、スムースなメロディ歌唱や軽やかなフィオリトゥーラ、シャープな劇的表現で、これは『ボレーナ』上演史上屈指のジョヴァンナだ。第2幕のアリアなど、57年の歴史的上演でカラスに引けをとらない名演を聴かせたジュリエッタ・シミオナートを凌ぐ場面すら、ある。
もっとも、声の美しさと歌唱技術の高さと表情の豊かさで、2011年ウィーン録音のエリーナ・ガランチャはコッソットをさらに上回ってるけどね。(このウィーン版は、いま飛ぶ鳥落とす勢いのアンナ・ネトレプコがタイトル・ロールだが、歌も容姿も気品が乏しくていただけません)
ブエノスアイレス版の音質は、声を聴く分にはまずまずだが、40年前の水準に照らしてもいい方ではない。オーケストラの低音がほとんど聞こえない。圧縮音声だから、ではなく、テレビ中継の録音なのではなかろうか。
テレビには大体において、ロクなスピーカーがついてない。低音も高音も出ない。だから放送する側も、アナウンスやドラマのセリフがくっきり聞こえるようにヴォーカル帯域だけ強調して低音をカットした音を送り出す。低音再生能力のないスピーカーに低音を送り込んでも、音が歪むだけだからだ。
ラジオも似たようなもんだが、歌は聞こえるがオーケストラの低音が貧弱、というのが放送録音共通の難点である。
さて、もう一つの『アンナ・ボレーナ』は1975年、ダラスでの録音。2ファイルに分割してアップされている。ダラスといやテキサスじゃんか。そんなとこでオペラやってんのか、なんて意外感を持たれるかも知れないが、ここは昔から石油成金が道楽でオペラをやっている町なのである。
Anna Bolena 1/2
Anna Bolena 2/2
なんせアメリカって国は、サツバツの西部開拓時代にもサンフランシスコで『ルチーア』を上演してたって国ですからね。それを聴いたハワイアンの作曲家が、六重唱のメロディをパクって「真珠貝の歌」にして……あ、脱線しました。
で、ダラス版『ボレーナ』で主役を張ってるのは、レナータ・スコットである。この人、背が低くずんぐりした体型で舞台映えしないために随分損をしていたが、歌の完成度はカラスに肉薄する。この当時、アラフォーの歌い盛り。伸びのいい声を駆使して、ベルカント・オペラの旋律美をたっぷり歌い上げる。カラス以後、最高のボレーナだ。あの超人的歌唱能力のディーヴァも避けた超低音や超高音のヴァリアンテに、スコットはこれでもかとチャレンジしている。
もっとも、おかげで歌が時に声のアクロバットと化して、音楽がどこかへ行ってしまう嫌いはあるけどね。
スコットの『アンナ・ボレーナ』は、同じ年の暮れにフィラデルフィアで歌った録音がCDになってるが、声にやや疲れが出て出来はダラス版より落ちる。ライバル役のメッゾも、ダラス版の方が上だ。
ただし、オーケストラと音質はフィラデルフィア版の方がよかった。ダラス版は、序曲も開幕の合唱も絶句するほどの下手クソさで出鼻をくじかれる。それにこれは、明らかに客席からの盗み録りだ。盗み録り犯のものとおぼしい咳払いが時々、びっくりするほど生々しく聞こえたりする。
アメリカでそんな無法な録音が……って、この国は、いまでこそ著作権保護の本家みたいな顔をしてるが、60~70年代には中国も顔負けの海賊盤の本場だったのである。当時のロック・ファンなら、いわゆるブートレグLPの入手に奔走した覚えがあるはず。
ところでこれら2種の全曲録音、いまではパソコンの貧弱なスピーカーかネットワーク・オーディオ機器を通じてしか聴くことができない。民自公の翼賛体制がダウンロード規定法を、国民がほとんど知らない間に成立させてしまったからだ。
この稀代の悪法、表向きは著作権保護の体裁を採っているが、真の狙いは別件逮捕の口実作りなんだとか。YouTubeやニコ動にアクセスして一度もDLしたことのない人なんて、まずいないもんね。違法DLのファイルをパソコンから削除しといても、警察に掛かったら簡単に復元できるんだと。こわ~。
なんか日本が着々と警察国家への道を歩んでいるのを、肌で感じるね。大阪じゃ、国歌を歌ってるかどうか口元を監視してるって話だし。