蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

『精鋭』

2014-04-27 | アート
春日部の交番で、落とし物として届けられた青い小鳥が警官の手に噛みついて逃亡したんだと(朝日新聞デジタル)。一度ならず二度までも。で、交番は鳥かごを常備することにしたそうな。

なんだか、なごむニュースだね。警官に噛みついた、てところがいい。ふだん剣道や柔道で鍛えているいかつい男たちが、小さなインコにあたふたしている様子を思い浮かべると頬が緩む。

彼らの猛訓練の有様(といっても、機動隊の訓練だが)を活写した小説が朝日の夕刊に連載されている。小説も面白いが、それ以上に山田ケンジ氏の挿絵が素晴らしい。

最初に唸ったのは3月の末ごろだったかな。古びた官舎か何かを描いた風景画だった。赤茶けたモルタル壁が青空を背に立ち上がり、その前を錆びた有刺鉄線が走っている。壁には細かな亀裂がある。殺風景な場末の1場面。一片の愛想もないが、乾いた明るさが心をとらえる。

色数を制限し、同系色でまとめてあるから絵がシンプルで強い。昨日もヘルメットをオリーブの濃淡のみで描いて、それがツボにぴったり填っていた。

宅配購読をしてないので紙面ではどのように見えてるのか知らないが、オンライン版を27インチiMacの画面に拡げてみると、構図と色調の妙味にしばらく見とれてしまう。小説の内容を説明しているわけではないのに、雰囲気を見事に表している。

ちょっと飛躍するが、これは現代の浮世絵なんじゃないかね。時代の事象ではなく、空気を絵にしているという意味で。スタイルも版画っぽいし。ともあれ、毎日楽しみです。
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オバーマ来日

2014-04-24 | 国際
やってくれる~。

・ミシェル夫人は同行せず。
・迎賓館には泊まらず、普通のホテルに宿泊。
・会食場所は日本側提案の居酒屋を蹴って、テレビカメラが入れない狭いスシ屋を指定(NHK)。
・発表を認められたのは数点のスチールだけ。

国賓として来日しながら、これだけ露骨によそよそしい態度を取った友好国首脳ってのも珍しいんじゃないかね。報道ステーションで女性リポーターが、オバーマ大統領は満面の笑みで上機嫌、とか言ってたが、アホと違うか。アメリカ人てのは、笑顔はタダだからいくらでも振りまく民族なんだよ。

しかしこのよそよそしさ、安倍がどれだけオバーマに嫌われてるかを如実に物語ってるね。安倍の国家主義体質や側近の挑発的言動を思えば、無理もないけど。日米同盟の親密さをデモするより亀裂をさらけ出した。

集団的自衛権をオバーマは支持してる? そりゃそうだよ。米軍負担がそれだけ減るもん。そのためなら「尖閣に安保適用」言明ぐらい、安いもんだ。

オバーマが韓国へ行って朴大統領にどんな態度を示すか、それがさらに明確に日米関係の今を焙り出すだろ。
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混合診療

2014-04-18 | 中国
「公的な医療保険が使える診療と使えない自由診療を組み合わせる『混合診療』について、政府が対象を広げる検討に入った」(朝日新聞デジタル、17日)

ほうら始まった。TPP参加に向けて既成事実の積み重ねだ。集団的自衛権に向けての手法とまったく同じ。TPP参加後、国民が被る最大の被害が医療と保険制度の劣化なんだよ。コメの関税撤廃なんか、実は目くらましでしかない。

法外な高額医療費を取れる自由診療をそれこそ自由に行えるとなったら、どの医者が保険診療に時間と力をさくか。

金持ちの患者はカネを湯水のように遣ってゼイタク施設で最新の医薬品と医療技術による自由診療を受け、低所得層は医師も医療設備も不十分な、荒みきったスラムの診療所でホソボソ保険診療を受ける。二極分化が一気に進む。日本の医療がアメリカの現状と等しくなるってことだ。

2014年は、日本の医療荒廃の分岐点だった。後世の人々は、そう振り返るだろう。その事態を招こうとしている直接の元凶は無論、安倍政権だが、その背後には、国民が政権交代に託した希望をあまりの無能さで完璧に裏切った民主党政権--というより、民主党政権の足を引っ張りまくった官僚、官僚と結託して民主党の無能イメージを国民に植えつけたマスメディアがいる。

TPPは数字を超えた、もっと大きな意味がある、と安倍は言ってるそうだね(日経、17日)。語るに落ちるとは、このことだ。

なお、集団的自衛権に関して、もう一つハラを決めかねている人に参考になる記事あり。ご一読を。
http://diamond.jp/articles/-/51769

話は違うが、栃木県の那須塩原市が市民団体から脱原発関連の映画上映会に名義上の後援を求められ、「公共性がない」との理由で断った、と報じられた(東京新聞、18日)。17日にも、平和集会の後援を千葉市が断ったという。

確かにこれ、言論・表現・集会の自由が次々制限されだしている状況の一端なのかもしれない。問題意識は持つべきだろう。でもさあ、なんで市民団体が当局の後援なんか欲しがるの? むしろ、後援の申し出を蹴るぐらいの気概を持つべきなんじゃないかね。

それとも、市民に対する自治体のスタンスをあぶり出し、もって警鐘とするという深慮遠謀?
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ベビーカー

2014-04-11 | 社会
の使用にご理解を、と鉄道会社が呼び掛けたら、迷惑だ、場所塞ぎだと心が寒くなるような反論が殺到したそうだ。安倍の独断専行体質が日本社会のヤンキー化(強者おもねり、弱者踏みつけ)を加速しているという記事をどこかで読んだが、これもその一端かね。

ベビーカーというと、何年前だったか地下鉄車内で見た光景を思い出す。

オレの向かい側のシートに、30代半ばとおぼしい母親と3人の子供たちがいた。お母さんの左側に5~6歳のお兄ちゃん、右側に3歳ぐらいのやんちゃそうな坊や。シートの前に駐めたベビーカーの中では、生まれたばかりらしい赤ん坊がスヤスヤ眠っていた。

無口なお兄ちゃんと対照的に、賑やかにはしゃぎまくっていた坊やが急におとなしくなったかと思うと、目をパチパチしばたたき始めた。まぶたを開けているのもやっとの有様だ。

お母さん、その様子を見て取るとあわてず騒がず、ベビーカーのカバーを畳んで赤ん坊を抱き上げ、左のお兄ちゃんに預けた。次いで右の坊やを抱き上げるとベビーカーの中へ。坊やは電池が切れたオモチャみたいに、コトンと寝てしまった。

お母さんの手が空くと、お兄ちゃんは抱っこしていた赤ん坊を黙ってお母さんに渡す。親子のスムースな一連の動作を支えていた潤滑油は、信頼関係ではなかったかと思う。

信頼で結ばれた親子には、落ち着きがある。自然なディグニティがある。こういう親子は、たとえ混雑した車内でかなりの空間を占有しようとも、同乗者に不快感を与えないものだ。

そして愚痴の多い母親、陰口の多い母親は、子供とのあいだに信頼関係を築くことが決してない。
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コレクター

2014-04-09 | 音楽
やったあ! 幻のレコードを手に入れたぞ~。カラスの『カルメン』全曲。

もちろん、録音自体は珍しいものではない。CDで容易に聴けるし(ひどい音だが)、mp3版もダウンロードできる。だが、今度手に入れたのは、1964年の録音直後にイギリスで発売された特別仕様のLPなんだよね。

クッション入りのレザー張りボックスに金箔で "The Callas Carmen" の文字。中には渋い配色のブックレット3冊。音楽もレコードも今よりずっと貴重品扱いされていた時代のオーラを発散しまくっている。

この録音、実はLP時代に3回買った。最初に買ったアメリカ盤は品質粗悪で論外。次に買った日本盤は、品質はまともだったが(といっても、ヴォーカル帯域に強調感のある硬い音)デザインがひどい。黒のボックスにカラスの冴えないモノクロ写真をベッタリ貼りつけてある。なんとも武骨な、風采の上がらないデザインである。『カルメン』というオペラの華やかな祝祭気分がまるで伝わってこない。持っていて全然うれしくない。

3度目に買ったイギリス盤は飛び抜けて音がよかったが、そのときすでにデラックス仕様の初期プレスは廃盤で、平凡な紙箱入りに替わっていた。表紙にでかでかカラスの似顔絵を描いてあり、それがなんとも下手クソな絵で見るたびにゲッソリした。

そんならなんで、ハナから初期プレスのイギリス盤を買わなかったのかって? 1964年といや、日本がまだ貧しかった時代だよ。普通の日本人がイギリス製LPを輸入するなんて不可能だった。

信じられる? 60年代末まで、渡航するにも日本円のドル交換には限度があったんだよ。だから闇ドルなんて言葉があった。バカンスで海外旅行など、誰もしなかった。できなかった。

レコードの輸入が自由化され、イギリス盤が日本で手に入るようになったのは60年代もぎりぎり終わりに近づいてからで、64年当時のコレクターは日本プレスかアメリカ・プレスで我慢するしかなかったのだ。イギリス盤は入ってこないのに、どういうわけかアメリカからの輸入盤はレコード店に置いてあった。今も昔も日本はアメリカの圧力に弱いんだね。

それにしても日本製LPって、なんでああジャケットに魅力がないのかね。日本には、奈良平安の昔から絵画や建築、工芸の繊細で洗練された伝統がある。だのにLPもCDも、レコードの美的価値はさっぱりだ。

日本盤にも、たとえばキングが60年代初めに発売したショルティ指揮『ニーベルングの指輪』全曲のような豪華盤があるにはあったが、概してデザインが貧弱、色が汚い。物理的品質がいくらよくても(日本盤ぐらいノイズの少ないLPは、ほかにフランス盤ぐらいしかない)オークションで人気がないのは、デザイン・センスがあまりにお粗末だからではなかろうか。日本製スマホは、デザイン力でアップル、サムスンに勝てないからシェアが低いんだそうだけどね。

美術工芸は「美」そのものが生命だ。だがレコードは音楽がキモだ。工業製品は性能がキモだ。デザインにカネを掛けるのはムダだゼイタクだ、って考え方かね。これって合理的というより、日本が貧しかったころのケチ根性の名残と違うか。ケチと倹約は違う。

あ、脱線しました。

『カルメン』に話を戻すと、これは別にカラスの最高の名演でも『カルメン』の最高の名盤でもない。録音当時、カラスはすでにかなり喉の衰えを来していて、それをゴマかすためか、むやみに大げさな表情で歌っている。プレートルの指揮も、ハッタリ臭が強い。先頃亡くなったアッバードが70年代に録音した全曲盤に比べると、随分とセンスの古くさい演奏である。

そんなものを三つも四つも買い込んで、どうすんの。バカか――と、普通は思うでしょうね。ごもっとも。でもね、ある意味バカじゃないとコレクターはやってられないんだよ。
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