蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

『偶然にも最悪な少年』

2019-12-26 | 映画
年賀状も書き終え、なんか観ようかなとアマゾンプライムを漁って行き当たった1本。2003年公開だそうだから随分古い映画だが、全然知らなかった。

ところが、ワキを固めるのが大滝秀治に柄本明に余貴美子に風吹ジュンに蒼井優で、ゲスト出演が松山ケンイチ、小出恵介、佐藤江梨子、永瀬正敏、津川雅彦……。こりゃ、タダ事じゃないよ。

これほどのビッグ・ネームが、なんでゾロゾロ揃うことになったの? グ・スーヨン監督の人脈? しかし、いかに知り合いでも才能がない人物の映画に付き合うほど俳優はお人好しじゃなかろう。

観始めてすぐ、この監督は只者じゃないと見当ついた。主役3人のキビキビした動き方が、他の作品で見る彼らとはまるで違う。監督の演技の付け方が違うのだ。

話は、在日韓国人の少年が、自殺した姉に韓国を見せてやろうと、屍体を病院から盗み出し、東京から博多まで運んでいく。少年と同様にロクに学校には行ってないらしい不機嫌な女高生と、気のいい渋谷のチーマー(懐かしい言葉ですなあ)の青年が同行する。旅の費用は万引きとカツアゲで賄う。

『幸福の黄色いハンカチ』を裏返しにしたような話だが、あの堂々たる正論の感動巨編にどうしようもなくつきまとう居たたまれなさが、ここには微塵もない。偽善とは最も遠い映画である。

主人公の少年は、アホで幼稚で無軌道でマヌケで、それゆえに限りなく純粋だ。これを市原隼人が伸びやかに演じて素晴らしい。髪の毛をツンツンに逆立て、ヘラヘラ笑いながら自分の衝動に忠実に行動する。地ではないかと疑うぐらい自然でスムースな演技に無理がない。

この人、少年時代はこんなにみずみずしい演技ができたのに、大人になった今は、なんであんなにつまんない役者なのかね。

女高生の中島美嘉とチーマーの池内博之も、同様に自然な好演を見せる。監督の演技の引き出し方が巧みなのだろう。監督の指導に共感できるか否かで、当然ながら俳優の演技のレベルは大きく変わる。

冒頭と最後のチーマーの死んだふりにあんまり意味がないなど、勇み足かなあと思う部分もないではないが、そうした短所を含めて抱きしめたくなるほど愛らしい映画である。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で吉田大八と出会ったとき以来の快いショックを受けた。
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バーチャルひばり

2019-12-08 | 音楽
世間では秋口から話題になっていたというAIひばりを、遅まきながら昨日、観た。奇妙な体験だった。

なるほど評判どおり、ひばりが生き返ったかのような迫真の歌である。ちょっと鼻に掛かった声、ギシッときしむような歪みの載った高音、深い陰影をおびた胸声、フレーズ間の粘っこいポルタメント……すべて生前のひばりそのままだ。

しかしそのひばりは、生きて呼吸している人ではない。コンピューター上のデータを消去すれば消えてしまう幻影でしかない。

一昔前なら奇蹟と呼ばれたはずのこの幻影を創り出して見せた技術の進歩を、頭は無論、驚嘆し称賛している。しかし、気持ちがついて行かない。

歌が歌われるとき、その歌にはナマであれ録音であれ、歌手が歌ったそのときの彼女ないし彼の気持ちの高揚、脳裡をよぎる思い、テンポやリズムや音程の一瞬の揺らぎ、等々が含まれる。そのごくごく微細な変数が、歌それぞれを独自のものにする。

ヴォーカルの魅力は声の美しさや表情の深みのほかに、こうした微妙な変数による部分が大きい。それがあるからこそ、歌を録音で聴いても我々は歌手と1対1で親しく対峙した気分になる。

言うまでもなく、AIヴォーカルにこうした変数はない。その歌は完璧に正しく、絶対に過たず、絶対に予測を裏切らない。AIひばりに頭で感心しながら心で違和感を覚えたのは、おそらくそのせいだ。

さらに、もっと大きな問題として、AIで創造された歌には歌い手本人の意思が投影されていない。それは他人の意思で歌わされた歌だ。

AIの技術を使えば、たとえばメトロポリタン歌劇場がマリア・カラスに歌わせようとして拒否された『魔笛』の夜の女王をカラスが歌うという、オペラ・ファンにとっての見果てぬ夢も実現されるかも知れない。

いや、それこそ「川の流れのように」をカラスに歌わせることだって不可能じゃない。だが、生前のカラスが「川の流れ~」の譜面を見て、歌いたいと言っただろうか。

実現したところで、それはカラスの歌であってカラスの歌ではない。「あれから」がひばりの歌であってひばりの歌ではないように。

AIひばりで得られたものは好奇心の満足であり、音楽的感動とは違っていた。感心しつつ、虚しかった。
もしも生前のひばりがこの歌を聴いたら、こんな心のこもってない歌、あたしの歌じゃないよと激怒したかも知れない。

エジソンが蓄音機を発明するまで、ナマの音楽しか聴いたことのなかった人々がレコードに対して抱いたのも、こういう感想だったかもしれないが。
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