京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

粟田祭 神輿渡御鑑賞と東山さんぽ①粟田祭編

2019年10月16日 08時22分46秒 | 日記
 今日、10 月14日は粟田神社の祭礼粟田祭の神幸祭(剣鉾巡業・神輿渡御)が行われました。



台風の影響で12日の神賑行事(石見神楽・夜店)、出御祭は中止となってしまったのは残念です。

今日、午前11時45分から神幸祭が行われます。







境内の参道には剣鉾巡業のため、剣鉾が三条通へと向う途中に遭遇しました。

粟田祭の歴史は古く、長保3年(1001)に始まったとされ、室町時代の戦乱時に祇園祭が行えなかった際には、粟田祭をもって祇園御霊会に代えたと伝わるほどに歴史ある祭です。



写真は子供神輿です。

剣鉾の起源は祇園御霊会の始まり貞観11年(869)にまで遡り、神輿渡御の先導を勤め、怨霊を鎮め邪気を祓う祭具として発展してきました。

祇園御霊会の始まりが怨霊や疫病を鎮める為、皇室の御料地神泉苑で"44の鉾を建て、、、"とあるのは、粟田祭で神輿を先導する剣鉾がその原形と言われています。
その後、祇園祭は有力町衆の財力で豪華絢爛な山や鉾に発展したのに対して粟田神社は、当時からの原形を留めている祭です。







鉾の先端には鳴物が付いており、これを上手く鳴らしながら巡行し、邪気や怨霊、疫病を鉾に寄せ集めます。
そうして清められた道を神輿が巡行します。
このあたりは祇園祭と同じですね!



やがて御神輿は青蓮院の前に。本来なら御神輿専用の門から青蓮院境内に入るのですが、生憎の小雨模様で安全を考慮されたのか長屋門の前の広場で神事が行われました。







神職と僧侶がそれぞれに祈りを捧げる様子は明治以前の神仏習合そのものです。

その後、"知恩院の七不思議"のひとつ「瓜生石」の回りを巡行し、その後、氏子地域を巡行します。





粟田神社に御旅所はなく、神様は日帰りの旅をされまた、粟田神社に戻られます。