京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

八瀬童子が案内する八瀬めぐり

2019年10月01日 08時45分13秒 | 日記
28日はJ R東海「そうだ 京都、行こう。」のイベントで八瀬に来ました。
実は、このイベントは、昨年の10月に企画されていたのですが9月に襲った台風21号で八瀬八幡宮の境内に大量の倒木があり、止む無く中止になっていたイベントが復活した次第です。





まずは八瀬八幡宮社前にある八瀬北公民館で八瀬童子会の会長玉川勝太郎さまから八瀬の歴史についてお話があり、この地で江戸時代から続く八瀬赦免地踊りのビデオを視聴しました。

延暦寺との間で境界線の訴訟になった際、時の江戸幕府筆頭老中 秋元但馬守の恩恵に感謝し秋元神社が創建され、その祭礼が毎年10月の第二日曜日に行われる赦免地踊りです。

祭で使われる武者絵や動物などの透し彫り切子型灯籠を被った少年たちが、音頭に合わせて静かに境内をまわり奉納するお祭りで、京都市無形民俗文化財に登録されています。







非常に見事で繊細な透し彫りで、中に和蝋燭が入ると、より一層透し彫りが浮き上がります。

近くの八瀬八幡宮へ。
地域の産土神で祭神は菅原道真公です。残念な事に昨年の台風21号で御神木が3本も倒れてしまいました。社殿に倒れなかったのがせめてもの救いと玉川会長が仰っていたのが印象的でした。

その隣に前述の秋元神社があります。(秋元大明神として祀られています。)





八瀬の歴史は古く、遠く古代には天智天皇の跡目争い(壬申の乱)で、天智天皇の皇子の大友皇子と天智天皇の弟の大海人皇子(後の天武天皇)が争い大海人皇子が勝利します。
その際に大海人皇子が受けた弓矢の傷を癒すために、八瀬の釜風呂に入り傷を癒したと伝わります。

また、後醍醐天皇の御代、足利尊氏に都を追われた天皇は比叡山に逃れるために八瀬の地に寄られ、八瀬童子の人達が輿を担ぎ無事に比叡山まで道案内をしています。

その事にいたく感動された天皇は租税免除の綸旨を出され、今も大切に保管されています。それ以降も皇室とのつながりは続き、明治天皇の御代まで25通もの綸旨が大切に保管され国の重要文化財に指定されています。

八瀬童子会宝庫



八瀬童子会が所蔵する蔵で、天皇の綸旨や京都所司代の下知状等が長年にわたって保管されてきた宝庫です。今は京都市歴史資料館に保管されてるそうです。



親王家や貴族でもない"ただの一般住民"が昭和20年まで租税を免除されてきたのです。



今の上皇さま、上皇后さまが京都に来られた際に赦免地踊を披露され、その際、上皇后さまが詠まれた詩が石碑となっています。



天皇さまは東京へ行かれましたが、八瀬童子の方々の皇室への崇敬の念は変わらず、八瀬童子の長老の方々のお話では、何かあればすぐに駆けつけれる様に、枕元には草鞋を置いて寝ていたそうです。

明治天皇・大正天皇の大喪の際も天皇の輿を担ぐ任にあたっています。
まさに"皇室に最も近い庶民"ですね!

最後に村の菩提寺の妙傳寺を拝観させて頂きまし
た。









天台宗のお寺ですが、歴代天皇の御位牌がお祀りされています。
(お寺内は撮影禁止なので、外部のHPから転載させて頂きました。)