・・・・聖書にも「毒麦のたとえ」という話があります。蒔いた麦の中に毒の麦が入っているのに気づいた者が主人に対して、「抜いてしまいましょうか」と尋ねると、主人に「自然に抜ける日が来るからそれまで待て」いわれる話です。無理しないでもいつかは自然によくなるから待ちなさいということですね。
誰かの変化を待つことだけではなく、ときには、状況がよくなることや、病気やけがが治り、もとの健康を取り戻す日を待つこともあるでしょう。
待つという状況は、どんな人にでも思いがけず訪れるものですし、どのくらいの間、待たねばならないのかは誰にもわかりません。
「信じる者は救われる」ではありませんが、人は、誰かに対しても、何かに対しても、よいように変わる日が来ると信じるとき、どのような困難にも耐え、ときがめぐってくるのを待つことができるのではないでしょうか。
待ちましょう。どんなときにも希望を持ち、やがて新しいときがくることを信じて、待っていましょう。
ジャンヌ・ボッセ著 「しあわせは涙のあとに届くもの」より