人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

イエスを見つめていなさい。

2016年10月31日 | お気に入りの言葉

  あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。ヤコブ1:17
 イエスを見つめていなさい。私がイエスを見つめていると、平安が鳩のように私の心に入った。
私はイエスではなくて、その鳩のような平安に目を注いだ。・・・・
すると見よ・・・その平安は行ってしまった。

かつては恵みを求めてましたが、
 今は主よ、あなたを求めます。
かつては感情に頼っていましたが、
 今は主よ、あなたの御言葉に頼ります。
かつては贈り物を求めていましたが、
 今は主よ、与えるものとされました。
かつては癒されることを求めていましたが、
 今は主よ、ご自身だけを求めます。
 
主よ、あなたが私に与えてくださったものすべてのゆえに、あなたに感謝します。
そしてそれ以上に、あなたご自身のゆえに、感謝いたします。

 コーリー・テン・ブーム著 「日ごと新たに」より

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ソフトバレーの食事会。

2016年10月30日 | 日記

 今日は、ソフトバレーのメンバーで食事会。
会場は赤碕のふじ寿司。大いに盛り上がる。

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主の守り。

2016年10月29日 | 日記
 地震から一週間が過ぎ、その時のことを思い出す。
いつものように、総合体育館でソフトバレーボールを仲間(9人)で楽しんでいた。
突然大きく揺れ、一瞬パニックに。気が付いたら、数枚の天井板(ボード)がすぐ近くに落下していた。しかし奇跡的に誰の上にも落ちずに全員無事だった。もし人の上に落ちていたらと思うとゾッとする。
主の守りがあったと思う。
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主に 信頼せよ。

2016年10月28日 | お気に入りの言葉

   あなたの道を主にゆだねよ。 主に 信頼せよ、主はそれをなしとげ・・・・。詩篇37:5
 信仰。それはイエス・キリストに信頼していく素晴らしい冒険。
 主よ、私たちはあなたを信じることによって、素晴らしいわざをするかもしれません。
 私たちの生涯は、一つの連続した冒険です。
私たちは知っています。世界じゅうでいちばん安全なのは、あなたのみこころの真ん中です。
コーリー・テン・ブーム著 「日ごと新たに」より

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思わぬ地震の被害。

2016年10月27日 | 日記

  琴浦町の総合体育館で週三回ソフトバレーを楽しんでいた。
それが今回の地震で、体育館が被害に遭い使用できなくなった。復旧は、来年四月頃になるらしい。
ソフトバレーは、室内競技で天候には関係なくできる良いスポーツだと思っていたら、まさか地震で使えなくなるとは。
しばらくの間、会場を赤碕の農業者トレーニングセンターに移してプレーすることになった。

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任せる。

2016年10月26日 | お気に入りの言葉

 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたがたのことを心にかけていてくださるからです。ペテロの手紙一、五章七節
 自分のことは自分で守らなければならないと思うから、疲れ果てるのです。
自分が自分のことを心配することよりももっと深く、神が心配していてくださいます。
人はどんなに心配しても、自分の手で自分を握りしめることはできません。
 わたしを握りしめることのできる方は、神だけです。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より

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他国に宿るように。

2016年10月25日 | お気に入りの言葉

   信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に 住み、・・・・。ヘブライ人への手紙一一章九節
 この世を最もよく生きる生き方・・・
それはこの世を目的地にしないことであります。
 永遠の命に向かう通過点として生きることであります。
 故郷に帰っていゆく旅人がたまたま他国に宿るように、今という時を生きるのであります。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より

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日々清められ。

2016年10月24日 | お気に入りの言葉

   既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。ヨハネによる福音書一三章一〇節
 既に全身を洗っていただいたはずであります。
それなのに日々の歩みの中で足は汚れてしまうのです。
言ってはいけない言葉を口にし、してはいけないことをしてしまいます。
心なえて神に顔を上げられなくなります。
 そのとき、忘れてはなりません。
わたしたちの汚れた足を洗っていてくださる主イエスがおられるのです。
 日々清められて、わたしたちは神の子なのです。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より

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一粒の麦。

2016年10月23日 | お気に入りの言葉

 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。ヨハネによる福音書一二章二四節
 一粒の麦は土の中に自分を埋めて、死んで、新たな生命を生み出します。
多くの実りを生み出すために一粒か死ぬのです。
自己を隠すことで多くを生かします。
 自分を隠すことができないことによって人間は不毛なのです。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より

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地震の被害。

2016年10月22日 | 日記

   昨日の地震の被害。我が家では、小さな置時計とコップが倒れた程度で被害がなかったと思っていたら、
今日、墓の灯篭が倒れているという連絡を受け、行ってみると三つの内の一つが倒れ、割れていた。
  花見潟墓地の中を歩いてみると、いたるところで灯篭などが倒れており被害も相当なもの、あらためて今回の地震の大きさを認識させられる。

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強い地震に遭遇。

2016年10月20日 | 日記

 今日、琴浦町総合体育館でソフトバレーしていたら、強い地震(震度5弱)に遭遇、パニックになる。
ガタガタと縦に揺れ、天井のボードの一部が落下してきた。
幸いその下には人がいなかったので、ケガ人はなかったが、ボードの直撃を受けていたらと思うとゾッとする。
こんな強い揺れに遭遇したのは初めて、地震の怖さを思い知らされる。 

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慎み。

2016年10月20日 | お気に入りの言葉

 神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。。ローマ人への第一の手紙一二章三節(口語訳)
 わたしたちの賜物は神によって「分け」与えられたものであります。
ひとりですべてを持っているわけではありません。
神がそれぞれの肢体にふさわしい賜物を与えてくださっているのです。
 わたしの賜物は、兄弟の賜物と結び合わされることによってだけ生きるのです。
そのことを知る謙遜が「慎み深い」ということであります。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より

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関わり。

2016年10月19日 | お気に入りの言葉

 世と交渉のある者は、 それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである 。コリント人への第一の手紙七章三一節(口語訳)
 世との交渉なしに生きることはできません。
しかし、抜き差しならないほどの深い関りをつくってはならない、と申します。
この世に自分の運命をあずけてしまうような。
 この世の有様は過ぎ去りつつあり・・・神の時はしだいに来つつある。
そういう時間をわたしたちは生きているからであります。
「後ろのものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ」(ピリピ人への手紙三章一三節{口語訳})走りぬきます。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より

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借り。

2016年10月18日 | お気に入りの言葉

   互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。ローマ信徒への手紙一三章八節
 借りを作るな、というのです。負うべきものを負い、果たすべきことを果たしなさい、と。
 ただし、「愛し合うこと」に関してはだれに対しても借りがあるのです。
救い主イエス・キリストから受けている愛の借りを隣人に返してゆかなければなりません。
 隣人から愛を受けていなくても、です。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より

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逃げない。

2016年10月17日 | お気に入りの言葉

 「速い馬に乗ろう」と言ったゆえに/あなたたちを追う者は速いであろう。 イザヤ書三〇章一六節
 逃げる者は追われる・・・・これは人生の原理であります。
速く逃げようとすると、追う者も速くなるのです。つまり逃げたら負けなのです。
 困難や試練に対して顔を向けるのです。そのとき、閉ざされたと思っていた前方に道は見えてきます。
神はそこを歩かせてくださいます。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より

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