人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

弟の墓参り 花見潟墓地

2012年02月26日 | 

 


 今日は、弟の勤めていた大学(鳥取短期大学)より学長さんをはじめ5名の方が墓参りに来られた。
寒い中、感謝である。
   我が家の墓は、琴浦町の花見潟墓地にある。
海岸沿いに約2万個の墓が東西約350メートルに渡って連なり、西日本では最大級の規模と言われている。
墓参りをしていても壮大で誇らしい気になる。
  私も、しばらくすればここに葬られることになるが、
この景観の中、孫などが墓参りする姿が目に浮かぶようだ。
  しかし、この景観は、いつまでも続くのだろうか。
津波でも来れば、どうなるのか、すべて跡形なく流されてしまうかもしれない。

  2コリント人への手紙4:18

  わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。

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弟との再会と復活を祈り、納骨

2012年01月23日 | 

 今日は、弟の遺骨を墓に納めた。
私と家内と2番目の弟と3人でおこなった。
さみしい納骨となったが弟にはふさわしく思った。


 弟の上司から聞いた話では、昇進や結婚話を断っていたとのこと。
欲がないといおうか、ひたすら現状ままで満足し、にぎやかになるのを好まなかったようだ。
一人での山歩きを趣味としていて、遺品には山や草花の写真が残されていた。

 正面の墓石を、横に寄せると、中に父と母の骨壷があった。
その横に弟の骨壷を置いた。三つの骨壷を並べて置いたら安堵した。
生前3人が中睦ましかったのでほほえましく思えた。

  ついでに三人の骨壷を少し奥に押しやり、前にスペースを開け、次の骨壷の置き場を確保。
そこには順番では、私か家内の骨壷が置かれるはずである。
 

  墓碑には十字架と名前を刻んだ。
イエスが再び来られる時、弟との再会と復活を祈った。

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弟の想い 母の想い

2012年01月12日 | 

  最近は、弟の遺品の整理に追われている。
弟の手帳に、「新聞の切り抜き」が挟んであったのを見つけた。
弟が大病から回復して高校に通い出した時の気持ちを母(50歳)が
「留年」という題で新聞に投書し採用されたものだった。
弟はこの「切り抜き」を、毎年、手帳から手帳へ移し替えて大事に保管していたようだ。
もう、この「切り抜き」は、だいぶ傷んで黄色くなっていた。

 「留年」

 三月に入り県下の高校で卒業式が行われています。
私の三男も今年この日を迎えるはずでしたが・・・・・。
一昨年の八月突如ギランバレー症候群にかかり、一年間の入院生活。
一口に一年というものの、循環器麻痺のため、人工呼吸器を四カ月間つけたまま、
全く手足も動かず、ベッドで体位を変えるのにも二、三人の手を借りねば出来なかった日々。
それは今思い出しても気が遠くなるようです。
 一年ぶりに足に装具をつけ、松葉づえをつきながら一歩々々自分自身で病室を歩いた時は、
目の前がパッと明るくなり、何か信じられぬものを見る心地でした。
 一年有余療養のかいあって、去年の二学期から復学。
運動の方はまだ出来ませんが、毎日がんばって通学しています。
すでに進路のきまった、かつての同級生のことを
まるで我がことの様にうれしそうに話している子供を見るにつけ、
一年間の闘病生活で得た数々の体験が、この子の人生に何かしら
大きな教訓を与えてくれたと喜ぶのは親バカのせいでしょうか。
「期末テストの点が良くないから、この調子だと一年でなく、二年留年になるかも」
と笑いながら今朝も元気で出かける子供のうしろ姿に、そっと声援を送る私です。

 ぎこちなき 足踏みしめて 行く道の 草むらにやわき フキのトウ萠ゆ

 

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弟逝く 弟の骨を拾おうとは!

2012年01月09日 | 

 私より先に弟が逝くとは・・・・。 

 昨年4月頃から、腹部に痛みを感じ、胃薬等を飲み通院検査していました。
その後の検査で8月上旬に膵臓癌と分り本人にも告知されました
膵臓癌は分りにくい癌で分った時には、すでに手遅れという場合が多いようです。
弟もその例にもれず、すでに手術はできず、抗がん剤治療をしていました。
入退院を繰り返して、治療していましたが、ついに昨日逝ってしまいました。51歳でした。
 入退院を繰り返しながらも、最後(12月5日)まで仕事を続けました。
  8月上旬に、私に「膵臓癌」であると報告がありました。
その報告に来た時、いつもと変わらずニコニコしながら話していたのが印象に残ってます。
最後までニコニコし、一切弱音を吐かず、仕事も続けていました、弟ながら感心しています。

このあいだ整理していたら弟の小学校の通信簿が出てきて
それには、ほがらか(明朗快活)で、人をよく笑わせる。
好き嫌いがはっきりしている、運動がよくできる、とありました。
私の弟に対する思い出は、3人兄弟の末っ子で、特に父母に可愛がられていたこと。
「おにいちゃん」「おにいちゃん」と呼んでいたので可愛い弟、反面しっかり者。

 小さい時から運動がよくできて中学、高校とバスケット部で活躍していました。
しかし高校2年の時、大病(難病)にかかり、その後遺症で手足に麻痺が残りました。
それ以来、スポーツからは縁を切ったようです。
 高校を終え、その後下関の水産大学を卒業しました。
それから下関の水産関係の新聞社に数年勤め、30歳から今日までの21年間、鳥取短大で事務員として勤務してました。
 生涯独身でした。なぜ結婚しなかったのか、聞いたことがありません。
私も長男として嫁の世話をできなかったことに、後ろめたさを感じてました。
晩年はマイカー登山を趣味として、温泉につかりのんびりと過ごしていたようです。

2度の大病を経験しましたが、色々な恵みもあった一生だと思っています。

 前々から少しづつ、信仰について話していました。
亡くなる2日前にイエス様を「信んじてみないか」と言ったら「大きくうなずき」私も救われたような気がしました。

 弟の遺志により、葬儀等を省略して、家族のみで火葬埋葬しました。
従って弔問、弔電、香典、生け花、花輪など全ておことわりしました。

 

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