人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

岩、砦、逃れ場。

2016年06月30日 | お気に入りの言葉

  主よ、わたしの力よ、わたしは あなたを慕う。 主はわたしの岩、砦、逃れ場  詩篇一八篇二、三節

 岩と言い、砦と言い、逃れ場と言います。
いずれもそれは、人が難を避ける場所であります。
神は、何よりも人がそのもとに逃れるべき方だと言われています。
  人生は困難に満ちた旅であります。そして人間はもろい。
強がる必要はありません。ことあるごとに主のもとに逃れ、
主の守りをいただきながら荒野を行くのです。

小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


わたしたちの避け所であり希望。

2016年06月29日 | お気に入りの言葉

  おのおの風をさける所、暴風雨をのがれる所のようになり、
かわいた所にある水の流れのように、疲れた地にある大きな岩の陰のようになる。イザヤ三二2
 おお主なる神よ、あなたはわたしたちの避け所であり希望です。
わたしたちが頼みとするのは、あなただけです。
あなた以外のものは、すべて弱く不完全であることをわたしたちは知っているからです。
多くの友達も、有能な助け手も、経験豊富なカウンセラーのアドバイスも役には立ちませし、
学者の書物も慰めを与えてはくれません。
どんな貴重な物も救ってはくれませんし、どこにも避難所を見出すことはできません。
主なるあなただけが、わたしたちに助けと力と慰めと指示と守りを与えて下さるのです。
ジェームズ・マーティノー

カウマン夫人著 「慰めの泉」より  


姦淫するなかれ。

2016年06月27日 | お気に入りの言葉

「なんじ姦淫するなかれ」
神よ、あなたは、姦淫してはならないと、お命じになりました。
ねがわくば、あなたを恐れまた愛するがゆえに、われらが言葉にも行いにも、
つつましくかつ純潔を保って生き、各人がその配偶者を愛しかつ敬うことができますように、
主イエス・キリストによって祈ります。アァメン
ドバースタイン編 山内六郎訳 「絶えず祈れ」より


なんじの父母を敬え。

2016年06月25日 | お気に入りの言葉

「なんじの父母を敬え」
 神よ、あなたは、自分の父と母を敬えと、お命じになりました。
ねがわくば、あなたを恐れ愛するがゆえに、われらが自分たちの両親やめうえの人を軽べつしたり、
怒らせたりすることなく、かえって彼らを敬い、彼らに仕え、彼らに服従することができますように、
主イエス・キリストによって祈ります。アァメン
ドバースタイン編 山内六郎訳 「絶えず祈れ」より


何物をも神とすべからず。

2016年06月24日 | お気に入りの言葉

「なんじ、われのほか何物をも神とすべからず」
 われらの神なる、主よ、あなたは、あなたの前に他の神々を拝してはならないと、お命じになりました。
どうぞ、われらがなにものにもまさって、あなたを恐れ、愛し、また信頼することができるようにしてください。
われらの主、あなたのみ子イエス・キリストによって祈ります。アァメン
ドバースタイン編 山内六郎訳 「絶えず祈れ」より


同じはかりで。

2016年06月22日 | お気に入りの言葉

 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、
あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。マタイ七・二

同じはかりで

 これはただの思いつきから出たことばではなく、神の永遠の法則である。
人をさばくなら、それと同じさばきがあなたのもとに反ってくる、というのである。
報復と応報には違いがある。「あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」とイエスは言われた。
これが社会の基盤となっている応報である。もしあなたが他人の欠点を見逃さないような人なら、
あなたも同じようにあら捜しをされるということを知れ。あなたの行いが、そのままあなた自身にはね返ってくる。
この法則は、神の御座から私たちの住む世界に働いている。(詩篇一八・二五、二六)
 ローマ人への手紙二章は、この法則をさらにくわしく述べている。
そして、他の人を非難する者は、そのことにおいて罪に定められると言っている。
神は行為だけではなく、私たちのそういった心の思いまでも見つめておられる。
なぜ私たちが、他の人の偽善やうそ、いつわりに目をとめるかと言うと、それらのものが私たち自身のうちにあるからである。
 聖徒のおもな特徴は謙遜である。そして彼は言う。「これらすべてのもの、またその他の悪も、もし神の恵みがないとしたら、
私のうちに現れていたことである。だから、私には人をさばく権利はない」と。
 私たちは兄弟を罪深いからといって、さばく。もし神が私たちをこのようにさばくなら、私たちはただちに地獄に落ちるだろう。
しかし、神はそのようにされない。神は、イエス・キリストのあの驚くべき贖罪のわざを通して、私たちをさばかれるのである。
オズワルド・チェンバーズ著 「366日の黙想 いと高き方のもとに」より


状況がどうであっても。

2016年06月21日 | お気に入りの言葉

そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。
こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、
イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。Ⅰペテロ1:6,7
 状況がどうであっても、けっして動揺したり、心をかき乱したりしてはいけません。
それは、私たちがきよい主にある信仰を、真実を、そして確信を失うことを意味するからです。
神は信仰の賜物を与え、その信仰を試みられるからである。
 主よ、感謝いたします。主よ、あなたは必要なときには私たちの信仰を与え、また信仰を正してくださいます。
あなたと共にあって、私たちは勝利者です。

コーリー・テン・ブーム著 「日ごと新たに」より

 


神の愛と人の愛です。

2016年06月20日 | お気に入りの言葉

   わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたち の罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。
ここに愛がある。Ⅰヨハネ4:10
 愛にも2種類あります。神の愛と人の愛です。人の愛は衰えていきますが、神の愛はけっして絶えることがありません。
神はそのご愛を、私たちを通してこの世に示しておられます。
 主よ。私は愛をもって、他の人たちに対して喜んで働きかけます。私を、あなたのご愛を反射する鏡としてください。
たとえ小さな光でも、暗い片隅を明るくすることができるからです。ハレルヤ!

コーリー・テン・ブーム著 「日ごと新たに」より


私はあなたのものでありたいと思います。

2016年06月18日 | お気に入りの言葉

  あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます。ヨシュヤ24:15

 神は、いつでも私たちを愛して道を備えてくださいます。しかし悪魔は、私たちをつまずかせようとします。そして、私たちはひとつの道を選ばなければなりません。

 そうです、主よ。私はあなたのものでありたいと思います。あなたが私を選んでくださったことは、なんという大きな喜びでしょう。私はあなたの力強い御手に、自分の弱い手をゆだねます。あなたと共にあるならば、あなたは圧倒的な勝利を得るでしょう。                                                                   コーリー・テン・ブーム著 「日ごと新たに」より


新しい心を与え、新しい霊を授ける。

2016年06月17日 | お気に入りの言葉

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。・・・
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。(エゼキエル三六・二六、二七)
 ルドルフ・O・ヴィーマーがこんな詩を書きました。「キミは月まで飛んで行けよう。けれども地球は住めなくなるのだ・・・」。
 彼の言い分は全くそのとおり!いかなる技術の進歩をもってしても、我々自身がこの地球を地獄と化することを、防ぎ得ない。
技術革新は目覚ましい。が、人間は! 人間が問題!
 あらゆる時代を通じて、宗教の開祖たち、哲学者たち、道徳家たちは、どうしたら人間を変え得るかに腐心しました。
が、だれにも良い方法は見つかりませんでした。
 では生ける神ご自身がこの課題について語ったとすれば、どうして注目せずにおられましょう!
 神は言います。人が変わり、新しくなるために「わたしの霊をあなたがたのうちに授ける」と。
この力ある良き聖霊は、神によってこの暗黒の世に与えられました。聖霊はここにおられます。
ただ問題は、この方が我々の心に来るかどうかです。神は我々に強制しません。
この聖霊に心を開くかどうかを尋ねるだけです。
 聖霊はどうやって人を変えるか?
 第一に、聖霊は「人々」ではなく我々自身が道をはずれていること、この我々が自己中心で、汚れて、神なく、邪悪であることを示します。
 第二に、聖霊は、我々の悪しき「古き私」を生活の中心から排除します。そしてそこにイエスのための場所を確保します。
イエスは我々の救いのために死に、今や生きていて、我々の内に住むことを願われます。
 聖霊よ!あなたに心を開きます。我らの内にお働きください。アーメン
ヴィヘルム・ブッシュ著 「365日の主」より


新しい心を与え、新しい霊を授ける。

2016年06月17日 | お気に入りの言葉

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。・・・
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。(エゼキエル三六・二六、二七)
 ルドルフ・O・ヴィーマーがこんな詩を書きました。「キミは月まで飛んで行けよう。けれども地球は住めなくなるのだ・・・」。
 彼の言い分は全くそのとおり!いかなる技術の進歩をもってしても、我々自身がこの地球を地獄と化することを、防ぎ得ない。
技術革新は目覚ましい。が、人間は! 人間が問題!
 あらゆる時代を通じて、宗教の開祖たち、哲学者たち、道徳家たちは、どうしたら人間を変え得るかに腐心しました。
が、だれにも良い方法は見つかりませんでした。
 では生ける神ご自身がこの課題について語ったとすれば、どうして注目せずにおられましょう!
 神は言います。人が変わり、新しくなるために「わたしの霊をあなたがたのうちに授ける」と。
この力ある良き聖霊は、神によってこの暗黒の世に与えられました。聖霊はここにおられます。
ただ問題は、この方が我々の心に来るかどうかです。神は我々に強制しません。
この聖霊に心を開くかどうかを尋ねるだけです。
 聖霊はどうやって人を変えるか?
 第一に、聖霊は「人々」ではなく我々自身が道をはずれていること、この我々が自己中心で、汚れて、神なく、邪悪であることを示します。
 第二に、聖霊は、我々の悪しき「古き私」を生活の中心から排除します。そしてそこにイエスのための場所を確保します。
イエスは我々の救いのために死に、今や生きていて、我々の内に住むことを願われます。
 聖霊よ!あなたに心を開きます。我らの内にお働きください。アーメン
ヴィヘルム・ブッシュ著 「365日の主」より