人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

今年一年を振り返って思ったこと

2011年12月31日 | 日記

  60歳の定年を迎え、9月より仕事から解放された。

解放されてからは、畑仕事、読書、ブログ、昼寝等などとほとんど趣味(他人に言わせると)に費やした。

9月からは、時間が過ぎるのが、倍くらい早く感じられた。好きなことをして、楽しい時をすごしているから時のたつのが早く感じるかもしれない。
 家内に言わせると、仕事を辞めてからは、ため息をつくことが少なくなったそうだ。
 確実にストレスは少なくなった。逆にストレスが少なくなるとボケの心配が。

定年退職を無事健康で迎えられたこと、家内、子供、孫等も元気であったことなどに感謝。大震災などで亡くなられた方を思うと、元気で生きていることだけで大感謝であると思う。

ただし感謝、感謝とめでたいことばかりでもないこともある、気がかりなこともあるが、すべて神にゆだねて祈るばかりである。
最後に、つたないブロクを見て頂いて有難うございました。皆様には良いお年となりますようにお祈りいたします。


わたしの力は弱いところに完全にあらわれる

2011年12月30日 | 聖書

 第二コリント12:9

  主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。
それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

 そよ風のように生きる バレンタイン・デ・スーザ著より

 弱い人間だからといって、悲観することはありません。
足りない部分にこそ、神様に来ていただく場所があるのではないでしょうか。
強い人の中には、神様の恵みを素直に受けつけない人がいます。自分の力を過信しているからです。

 弱い人間だからといって、悲観することなく、強い人間だからといって誇らぬように。


ヒンズー教に学ぶ

2011年12月29日 | お気に入りの言葉

  神と私 人生の真実を求めて 遠藤周作 山折哲雄監修より                                                                                                                                    周知のように印度人の80パーセントを占めるヒンズー教徒は、一生を四つの時期にわけるという。
まず若い頃は学生期(がくしょうき)と言って、聖典などを学ぶ時期である。
次に家長期がやってくる。これは文字通り一家の家長となるため、結婚し、子供を作り、祖先を祭る時期である。
壮年時代までの家長期が終ると林住期(りんじゅうき)といって、妻と共に人里離れた場所に住み、宗教的な瞑想や思索を行う時期である。
そして更に人生の老いに入ると、この世にたいするすべての執着を捨てて、聖地を巡礼して歩く時期がくる。これを林住期(ゆうぎょうき)とよぶ。

   日本人には、ヒンズー教の学生期と家長期に類するような期はあっても、その他の期はない。
印度人の方が日本人より精神的には、豊かであるように思う。
林住期や林住期のような生活はできないけれど、一つの考え方として見習いたいと思う。


何をほめたたえ、何をあがめているか?

2011年12月28日 | 聖書

 詩篇148:13

 彼らに主の名をほめたたえさせ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。

 天地万物を治められる主。

その主をほめたたえよ。

その主だけをあがめよ。と言われている。
 

 主よりお金、名誉、地位、仕事、人、ひいきのスポーツ選手、スター等などをあがめやすい者。反省。


人はひとりきりの時にのみ成長する

2011年12月27日 | お気に入りの言葉

 スローライフの素 アーニー・J・ゼリンスキー著 井辻朱美訳

 ヒンズー教には強力なことわざがあります。

「 人はひとりきりの時にのみ成長する」。たとえ結婚していても、毎日1~2時間ひとりになれる時間をひねり出しましょう。

その創造的孤独の時間に、ひとりきりで、絵を描いたり、読書したり、書いたり、瞑想したりします。

 どの宗教も同じ様な教えがあります。一人静まる時を持ちましょう。


琴浦柔道教室 稽古納め

2011年12月26日 | 柔道

  24日の夜(クリスマス・イブ)、今年最後の練習があった。練習の後、みんなで大掃除を行った。

子供たちは、気温4~5℃の寒い中、冷たい雑巾を持って一生懸命掃除をしていた、感心。

今年も、全員怪我なく、元気で終えることができて感謝。


イエスの誕生に感謝、感謝、感謝

2011年12月25日 | 聖書

 ルカによる福音書2:10-13

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。
この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人のあれ。」

 イエスの誕生に感謝、感謝。
あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」


その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます

2011年12月24日 | 聖書

 ルカによる福音書1:46-54 

  そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう。力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。そのみ名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振い、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低いものを高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。

 マリヤの主に対する賛歌であるが、イエスの性質を良く表していると思う。

 そのみ名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振い、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低いものを高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。

 

 


神にできないことは何一つない わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように

2011年12月23日 | 聖書

 ルカによる福音書2:34-35 37-38

 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・・・・・神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 マリヤは、天使から「男の子を産む」と言われた。それに答えて、まだ結婚(男の人を知らない)してないのに「どうして、そのようなことがありえましょうか」と言った。

 

 天使は、「神にできないことは何一つない」男の人を知らくても聖霊によって生まれると言った。

 そしてマリヤは最後に。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と答えた。

 神の全能を讃美し、マリヤの謙遜を見習いたい。

 


イエス誕生の予告 クリスマスの始まり

2011年12月22日 | 聖書

  ルカによる福音書1:26-33

   天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考えこんだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。 神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 

  イエスの誕生が予告された場面です。天使がマリヤのところに来て「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と告げると、マリアは戸惑い、この挨拶は何のことかと考えた。すると続けて、「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。」と予告された。

 夢のような話であるが、クリスマスの始まりです。


雪の予報 タイヤ交換 同じ雪を見ても

2011年12月21日 | 日記

 天気予報では週末には、積雪の恐れがある。そのため、今日、スノータイヤに取り換えた、年末の恒例行事である。

 私(パッソ)と家内(ライフ)の車2台を取り換えるのに約2時間かかった。

 昨年までは、休日に取り換えるしかなく、切羽詰まって、雪の降る中、取り換えたことがよくあった。
今年からは、毎日が休日のようなもので、比較的穏やかな今日、取り換えることができ、作業していても楽であった。

 31年間、赤碕から米子まで、雪の中を、よく通ったものだと思う。アイスバーンを走るときの緊張感は、思い出してもゾッとする。雪の予報を見ると、うんざりしたものだ。
しかし今年は、同じ雪の予報でも、余裕・・・・・。

 


神は静けさの友 大切なことは、私たちが言っているのではなく、神が私たちにおっしゃること

2011年12月20日 | お気に入りの言葉

 マザー・テレサ日々の言葉(女子パウロ会)より

私たちは、神を見いだす必要があります。神を、騒がしさや落ち着きのないところで見いだすことはできません。神は静けさの友です。沈黙の祈りを実践すればするほど、活動においてもっと多く与えることができるのです。大切なことは、私たちが言っているのではなく、神が私たちにおっしゃること、そして、神が私たちをとおしておっしゃっているいることなのです。

 詩篇46:10

静まって、わたしこそ神であることを知れ。

 サムエル記上3:1-10

主よお話しください。僕は聞いております。

 忙しさや騒がしさの中では、神のことなど考えている余裕は生まれない。静まって読書(聖書が一番だが)などして、人生などを考えるのが良いと思う。

神は静けさの友です。

祈り、聖書を読み神のおっしゃることを聞くことがが大事。

 


柿の木の剪定 老木 大木

2011年12月19日 | 畑仕事

      

 今日は、柿の木の剪定をした。

 家内の弟で、ユニークな生活をしている木星人(JUPITARIAN HILL《 木星人の丘 》)に手伝ってもらった。

 畑の広さは、約1反(10m*100m)、この中に10本程度の柿の木が植わっている。

老木で、実の付きが悪く、しかも実が付いても高くて収穫できない為、剪定することにした。又この大木のお陰で雑草を抑えることはできるが、作物の成長にはマイナスであると判断。

3時間ほどの作業(下からサポートと剪定木の片付け)であったが、この寒さの中、いい汗をかいた。


赤碕アドベント・キリスト教会  クリスマス礼拝

2011年12月18日 | 教会

今日のクリスマス礼拝風景。

 赤碕アドベントキリスト教会は、57年前にできた教会です。私は、25年前より通っています。少人数ですが特に自由なところが気にいってます。元々キリスト教は自由な教えであると思いますが・・・・・・・・・。

 毎年、クリスマス礼拝の後は、おいしいうどんすきをご馳走になってます。


あなたの誇りはなんですか?

2011年12月17日 | 聖書

    コリントの信徒への手紙一1:26-29
 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
ところが、神は知恵のある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

 これはパウロがコリントの教会に宛てて書いた手紙で、その当時の教会のメンバーの職業等である。しかし現代にも通ずるところがあると思う。
 自分に誇るもの(知恵、能力、家柄、富等など)があると、選ばれ(信仰を持ち)難く、反対に無力なものは、選ばれやすい。だから、無力なことを悲観する必要はない。

 自分の能力によっては、信仰を持つことはできず、すべては神の恵みである。