人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

あなたの心を、思いを、舌を、主に占領していただきなさい。

2012年05月31日 | お気に入りの言葉

   荒野の泉2 カウマン夫人著より
   兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。

  誰に対しても、決して怒りを抱いて、
語りかけてはなりません。
憎しみが起こるには必ず原因があります。
今日と言う日に、憎悪をうみ出す思いを
善をもって征服しなさい。
そしてその相手に対して善を図りなさい。
神は、私たちの意図に関心を払われます。
私たちが語った言葉にではなく、
その意図したところに神は注意を払われます。
あなたの心を、思いを、舌を、主に占領していただきなさい。
そうしたら、あなたは祝福された日々を送ることができるでしょう。
M・テイラー


私はしるしをつけられた人間である。主のしるしをつけられた人間なのだ。

2012年05月30日 | お気に入りの言葉

  山頂めざして L・B・カウマン著より
 わたしはこの福音のための使節であり、そして鎖につながれているのであるが、
つながれていても、語るべき時には大胆に語れるように・・・・・。(エペソ六・二〇)

  私はしるしをつけられた人間である。主のしるしをつけられた人間なのだ。
私は奴隷である・・・だが、義の奴隷であって、罪の奴隷ではない。
廉直の奴隷であって、欺瞞の奴隷ではない。
純潔の奴隷であって、不道徳の奴隷ではない。
自由の奴隷であって、放縦の奴隷ではない。
神の国の奴隷であって、群衆の奴隷ではない。
信仰の奴隷であって、恐怖の奴隷ではない。
そして、とりわけ、主の奴隷であって、富の奴隷ではないのである。
私は奴隷であるから、すみやかに主のわざに携わらなければならない。
ウェスリー・G・フーバー


主を知るということは生涯の最高の到達である。

2012年05月29日 | お気に入りの言葉

荒野の泉 カウマン夫人著より
「わたしはあなたがたを友とよんだ。」ヨハネ十五ノ十五

  数年前のこと、ドイツ人の一老教授が居たが彼のうるわしい生活は、
その生徒たちにとって驚異であった。
その中の一人が、その秘密を探る決意をした。
そこで彼は年老いた教授が、その夕べを過ごす書斎に隠れていた。
教授がはいって来たのは遅かった。
彼は疲れていたが、席について聖書を三十分ばかり読んでいた。
やがて彼は首(こうべ)をたれ、無言で祈り出したが、ついに聖書を閉じて
「さて、主イエス様、わたしたちは相変わらず親しい間柄です」と言った。
主を知るということは生涯の最高の到達である。
そしてどんな代価を払っても、すべてのクリスチャンは「彼と変わらぬ親しい間柄」
になるように努めねばならない。
イエスの現実性は、かくれた祈りと、祈り深い、しかも熱心な聖書の個人的研究の結果として来る。
キリストは、彼の臨在の中に生きる生活を不断に養なう人に、いよいよ現実となられる。
彼聞きたもうなれば彼に語れ
霊と霊とは相会わん
彼は呼吸よりなお近く
手足よりも近くいましたもう。


育爺日記

2012年05月28日 | 日記

  今日は、孫(小学1年と4年)が通っている小学校が運動会の振替休日となり、子守をした。
家内も用事があった為、朝から私ひとりで二人の面倒をみた。
倉吉の温水プールと「なしっこ館」で10時から14時ごろまで過ごした。
プールは、すいていた為、泳ぎながらでも監視することができ、私も少しは泳ぐことができて良かった。
(混んでいる時は、一年生の孫は小さいのでどこにいるか分らないので私は、のんびり泳いでられない)


あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自信が思いわずらうであろう。

2012年05月27日 | お気に入りの言葉

眠られぬ夜のために ヒルティ著より

マタイによる福音書6 の33・34 のために。
ひとは過ぎ去ったことをもはやかれこれ考えず、また同じように
将来のためにあまり取越し苦労しない習慣を一旦養ったならば、時
間の点でも、心の安らぎの点でも、実にうるところが多いであろう。
しかしそのためには、われわれのことを心にかけている誠実な神
を持つことが肝要である。そうでなければ、ことに心配のない生活
などは不可能であり、それこそまさに軽率というものだ。神に対す
る溌剌たる愛と結びついて、はじめて不安のない生活ができるので
あって、すでに多くの人がその生涯でこのことを経験している。私
自身にとっては、以前私の心配のたねになった多くの苦難が、それ
によってまったくとり除かれるか、それともずっと耐えやすいもの
となった。・・・・・・・・・・・・

マタイによる福音書6 の33・34
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものすべて添えて与えられるであろう。
 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自信が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」


あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる

2012年05月26日 | お気に入りの言葉

 朝ごとに夕ごとに C・Hスポルジョン著松代幸太郎訳より
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。(詩篇五五・二二)

   思い煩いや心配は、たとえ正当な理由があっても、
度を過ごすと罪の性質をもつようになる。
心配するなとの教えは、救い主が再三再四くり返し熱心に説かれたものであり、
使徒たちによってもくり返された。
この教えを無視するものは必ず過ちに陥る。
なぜなら思い煩いの本質は、私たちが自分を神よりも賢いと思い、
自分自身を神の位置において、神が私たちにしようとされることを、
自分の方から神のためにしようとすることだからである。
私たちのことを神がお忘れになることがあると想像して、
神の代わりに考えようとして、あるいは、神が私たち重荷を負うことができないとか、
それを欲しおられないとか考えて、自分の重荷を自分で負おうとして苦しむのである。
主の明らかな教えに対するこのような不従順、主の領分に割り込もうとする高慢はすべて罪である。

 


あなた、旦那さんが泥棒しようと言ったら、一緒にどろぼうする妻になりなさい

2012年05月24日 | お気に入りの言葉

 今日の詩篇明日の詩篇 羽鳥明著より
花嫁の道
娘よ、聞け。心して耳を傾けよ。あなたの民とあなたの父の家を忘れよ。
そうすれば王はあなたの美を慕おう。彼はあなたの夫であるから、
彼の前にひれ伏せ。(四五・一〇、一一)

詩篇四五篇は、王の宮廷の詩人が、王の結婚式で歌い上げた詩とされています。
この王の花嫁は、異邦人の女、卑しい出自の女だったらしく、いわば玉のこしです。
そこで詩人は花嫁に向かって素直なことばを贈っています。
「自分の民と自分の家のことを忘れて、あなたの夫に傾倒しなさい」と。
自分の出た民や、父の家を忘れるとは忘恩の徒になれということではありません。
現代ふうに言えば、親離れ、乳離れして、夫と一つに結び合わされ、夫のものになりきれということです。
親離れしない夫婦は、必ず問題を起こします。マザコン夫も同様です。
聖書的に言えば、「父母を離れて、配偶者と結び合い、ふたりは一体となる」ということでしょう。
夫婦の間について、三浦綾子さんがこういうことを言っていたと思います。
とにかく夫を批判し、夫を他と比べる妻の不平不満に、「あなた、旦那さんが泥棒しようと言ったら、
一緒にどろぼうする妻になりなさい」と言ったのです。
もちろん、どろぼうを勧めているのではありません。
親を離れて一体となる原則を指し示しているのです。
このことは、私たち本当の幸福が、自我を離れ、神一辺倒になりきる、自我に死んで神に生きるところにある真理を表しています。
真実の神の愛を知る者は、自我に死んで、神に生き、本当の幸福を知るのです。
これこそ、神の花嫁となる道です。


「 いのち」の与えられている意味

2012年05月24日 | お気に入りの言葉

  シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
   「 いのち」の与えられている意味
人は、一人ひとり、大切な使命を持ってこの世に生まれ
その使命を全うした時に死んでいきます。
「 いのち」の与えられている意味もここにあります。
どんなに幼いときに亡くなっても、またどのような亡くなり方をしたとしても、
その人はこの世での使命を果たしています。
その人が生きてきたときはもとより、肉体的にはもはや生きていない今も、
その人の存在意義は変わることはありません。


船上山ノルディックウォーキング

2012年05月23日 | 日記

   今日は、いつもいっているストレッチ体操教室(赤碕文化センター)が、
船上山でのノルディックウォーキングに変更になった。
   ノルディックウォーキングは2本のポールを持つことで転倒を予防し、安全性が高まり、
通常ウォークと 比べて下半身への負担が少なく、
通常ウォークの1.5倍「しっかり運動」効果が期待できるとのこと。
ポールの使い方は良く分らなかったが、鳥の鳴き声、新緑に心が癒される時をすごした。


スポンジテニス

2012年05月22日 | 日記

 今日は、琴浦町農業者トレーニングセンターで行われている
トレセンいきいき健康教室のスポンジテニスに参加(先日はソフトバレーにも参加)。
スポンジテニスは、スポンジボールを使用して、コートを狭くして体育館の中で行うテニスである。
ダブルスで行う。非常に難しい(ラケットの使い方、相棒との呼吸等)
参加者は、ベテラン揃いで上手な人が多いが、頑張るつもりである。


私にあなたのような心を与えて下さい。

2012年05月21日 | お気に入りの言葉

  山頂めざして L・B・カウマン著より
 十字架にかかられた主よ
私にあなたのような心を与えて下さい。
死んでゆこうとする魂を
私が愛することを教えて下さい。
そして、あなたとの親しい交わりの状態に
いつも私の心を置いて下さい。
そして、私に愛を
混じりけのないカルバリの愛を
与えて下さい。
失われた者を
あなたのみもとにもたらすために。


わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない

2012年05月20日 | 聖書

  ヨハネによる福音書8:50-51
  「わたしは、自分の栄光は求めていない。
わたしの栄光を求め、裁きをなさる方が、ほかにおられる。
はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」

   イエスは、自分の栄光を求めてはおられない。
神の栄光のみを求めておられる。
人は、自分の栄光を求める。
イエスは、はっきり言われた。
イエスの言葉を守るなら、「決して死ぬことがない」と。


自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った

2012年05月18日 | お気に入りの言葉

荒野の泉 カウマン夫人著より
「わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、
生きる望みさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、
自分自身を頼みとしないで、
死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。
二コリント一ノ八、九

   はなはだしく圧せられ極度までも圧せられたり
耐え難きまで激しく圧しられたり
肉体もたましいも圧せられ
暗き大波のとどろく如く思念は圧せられ
敵よりも友よりもいたく圧せられ
生命の終わらんとするまで圧せられたり

    神よりほかに助けなきを知るまで圧せられたり
笞(しもと)と杖を愛するほどに圧せられ
何物にも寄りすがらざる自由に押しやられ
かくて不可能なき信仰にいたり
主にある生涯に生かしめられ
キリストの生命のあふるるに至れり・・・・

  苦しみの圧搾(あつさく)より
たましいのよき酒はきたる
涙を流さざる目は
輝きを放ち得ざるなり

  


ただわれは彼によりたのむなり

2012年05月18日 | お気に入りの言葉

  荒野の泉 カウマン夫人著より
  なにゆえ暴風は突如怒りをあらわして
かくも烈しくわがまわりにたけり狂うや
それどわれはただこの一事を知る
すべてを知りたもう神に依りたのむことを

   わが視野より未来を隠す神秘のヴェールを
除き得ずとも
また明暗いずれがわれを待つとも
ただわれは彼によりたのむなり

   われ汐路を越え行く力をもたず
また川のかなたの地を見得ずとも
われは知るーわれは永遠(とわ)に神のものなれば
永遠に彼に寄りたのむなり
 


 


ソフトバレー

2012年05月17日 | 日記

 今日は、琴浦町農業者トレーニングセンターで行われている
トレセンいきいき健康教室のソフトバレーに参加、楽しくいい汗を流した。
その中で、高校時代の同級生と42年ぶりに再会、一緒にプレーした。
高校時代も一緒にプレーしたことがあり、遠い昔の記憶がよみがえる。

同級生は良いものである。