人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。

2012年06月30日 | お気に入りの言葉

   荒野の泉 カウマン夫人著より
   わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。詩篇四二・5

  C・H・スポルジョンは次のように書いています。
「クリスチャンの行く道には、いつも太陽が輝いているとは限らない。
そこには、暗やみの日も、嵐の日もある。またその道は楽しい道であり
その道筋はみな平安であることもある。
宗教とは、一般に天国で喜びを与えるだけでなく、この地上においても人々に
喜びを与えるものであると考えられている。
しかし、私の経験から次のようにいうことができる。
正しい者の道は『夜明けの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる』
そのことも真理であるが、その輝きも時には消えることがある。
ある時には、雲が信者の太陽を覆うことがある。
その時は、光のない暗い中を歩まなければならない。
多くの人たちは、ある状況においては、神の臨在を楽しんでいるようだ。
すなわち、クリスチャン生活の初期の段階においては、彼らは、日光浴をしながら楽しんでいるようだ。
彼らは『水辺のほとり』を、また『緑の牧場』を歩んでいる。しかし突然に、栄光の空は黒雲に覆われ、
ゴセンの平和の地に代わって、彼らは砂漠を歩くことになり、こう言う。
『もし私たちが神の子なら、こんなことが起こるはずがない。』
おお、そのようなことを言わないでほしい。神の聖徒のすぐれた者たちは、にがよもぎを飲まなければならない。
愛されている神の子供たちは、十字架を負わなければならない。
あなたは初めのうちは、弱くまた臆病であったので、主は恐らく、
あなたが平坦な明るい晴天の道を歩くように定められた。
しかし、今やあなたは霊的生活において強くなったので、成長した神の子として、
円熟したつらい経験の中にも入っていかなければならない。
私たちは信仰が成長するために、風も嵐も必要であり、それに出会うとき、
私たちの自己信頼の悪癖の枝は折られ、キリストにしっかりと深く根をおろすようになる。
悪しき日は、価値のある栄光と希望を約束する前ぶれである。」


神を、騒がしく落ちつきのないところで見いだすことはできません。

2012年06月29日 | お気に入りの言葉

   マザー・テレサ 日々のことばより
   私たちは神を見いだす必要があります。
神を、騒がしく落ちつきのないところで見いだすことはできません。
神は静けさの友なのです。自然をご覧なさい。
木や花、そして草は静かに成長していきます。
星や月や太陽をご覧なさい。
なんと静かに動いているのでしょう。
沈黙の祈りのうちに多くを受ければ受けるほど、
私たちの活動においてもっと多くを与えることができるのです。
 


あなたは怒りっぽいでしょうか。

2012年06月28日 | お気に入りの言葉

  箴言の恵み 今日の知恵 明日の知恵 羽鳥明著より
  怒りをおそくする者は勇士にまさり、
自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。

  あなたは怒りっぽいでしょうか。
自分の感情のコントロールができないで「怒る」ことと
正しい愛の心をもって、条理にかなったきびしいことばで「叱る」こととは違います。
怒り方にもタイプがあります。
かんしゃく持ちの爆発型もあるし、ねちねち怒る人もいます。
いずれにしても怒る人は、人の上に立てませんし、責任をもって事に当たることに不向きです。
怒る人は、他人のした仕事の責任をとることもせず、他人にやる気を起こさせて、
この人ならやるぞと人を動かすこともできません。
ですから、家庭も職場も治めることができないでしょう。
 すぐ怒る人は、自分の心が支配できない人です。
反対に、自分の心を治める人は、「町を攻め取る者にまさる」といわれてます。
その置かれた立場は、たとえ大将でなくても、人生のいろいろの場面でのリーダーになれるのです。
付け焼き刃や修養などでは、この心のコントロールはできません。
昔から「山中の賊は治めやすく、心中の賊は治めにくい」といいます。
中国人もインド人も西欧人も、皆この事を認めているようです。
聖書は、「内住のキリストこそ奥義」と述べています。
へりくだって心をからっぽにして、その心の王座に
限りなく謙遜で柔和で愛のある真の王者、キリストに入って治めていただくことです。
自分の意思を強くしてもだめでしょう。ものすごいワンマンの親分を、
それより強いワンマンのやくざ親分が、追い出し座っても、変わりがありません。
心の中に神を迎えなければなりません。くだけた心に、信仰によってキリストを迎え入れることこそ、
怒りをおそくする奥の手でしょう。
怒りをおそくできる人こそ、真の人生の勇者です。


最も偉大なる事は、人に勝つ事にあらず、人に負けることなり。

2012年06月27日 | お気に入りの言葉

  一日一生 内村鑑三著より
  まことに彼はわれわれの病を負い、われわれのかなしみをになった。
しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。(イザヤ書五三・四~五)
 
  最も偉大なる事は、人に勝つ事にあらず、人に負けることなり。
彼にわが場所を譲る事なり。その下に立つ事なり。喜んでその侮辱を受くる事なり。
つばきせられて十字架につけらるる事なり。
かくなし、かくなされて、われは初めて神の心を知るを得るなり。
まことに高き者は低くせられ、低き者は高くせられる。
われら、神に高くせられんと欲すれば、人にひくくせられざるべからざるなり。(信八・一三三)


チャンスを逃すな、明日になればまた次のチャンスがやってくる。

2012年06月26日 | お気に入りの言葉

出会いの日々人生の参考書 ステファノ・デランジェラ著より

  チャンスを逃すな
われわれに二度のチャンスが許されるものならば
もう一度人生をやり直し
犯した過ちを正すために
己の業績を高めるために。

われわれに二度のチャンスが許されるものならば
かちえた知識を活かし
おそらく神の定めたとおりの
立派なものに仕上げられるだろう。

われわれは後戻りできない。
業績がどのようであろうとも
明日になれば
また次のチャンスがやってくる。
もう一度 試みるための。


もし、わたしたちが罪でいっぱいなら、神はわたしたちを満たすことはできません。

2012年06月25日 | お気に入りの言葉

  マザー・テレサ 日々のことばより
  もし、わたしたちが罪でいっぱいなら、
神はわたしたちを満たすことはできません。
たとえ神さまでも、すでにいっぱいのものを満たすことは、
おできにならないからです。
ですから、わたしたちは空っぽになるために、
ゆるしが必要なのです。
そうすれば、神がわたしたちを、ご自身で満たしてくださるでしょう。
 


幸福は外からもたらされるものですか

2012年06月24日 | お気に入りの言葉

   シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
 幸福は外からもたらされるものですか
「これで本当に生きていると言えるのだろうか」
「自分の一生は、果たしてこのままで良いのだろうか」
道を歩いているとき、ふっとこんな気持ちが心をよぎったりはしないでしょうか。
風呂の快い湯加減に体中つつまれながら、普段考えたこともない、
こうした哲学めいた考えが胸をかすめることはないでしょうか。
 しかし現実は、遠くから太陽のほほえみをも、胸躍る恋をも、
恍惚の思いを味わわせてくれる素晴らしい事件をも、もたらしてはくれません。
見慣れた顔と、あきあきした家事や些事の連続です。
あなたは幸福とは、外からもたらされる「太陽のほほえみ」のように感じていませんか。
チルチル、ミチルは、どこで幸福を見つけたでしょうか。
答えをあなたは知っています。


らっきょの皮むき

2012年06月23日 | 日記

  今日は、らっきょの皮むきを手伝った。
根を包丁で切り、黒い薄皮をむく作業。けっこうめんどくさい。
家内は、毎年この時期にらっきょの酢漬けをつくってくれる、感謝。
いかにも、体に良さそうな食べ物だと思う。


悲しみは、私たちの心の中に喜びの場所を広げるためにやってくるのです。

2012年06月22日 | お気に入りの言葉

  日の出に向かって カウマン夫人著より

 主はヨブの終わりを初めより多く恵まれた。ヨブ四二12

 主よ、あなたは私のいばらを、花に変えることがおできになります。
だから、私のいばらを花に変えて頂きたいと思います。
 ヨブは、雨天の後に晴天を得ました。
しかし、雨天はすべて無駄事だったでしょうか。
果して夕立が晴天とまったく関係がなかったかどうか、
ヨブも私も知りたいのです。
そしてあなたは私に教えて下さいます。
あなたの十字架が教えてくれるのです。
あなたは悲しみに打ち勝たれました。
おお主よ、その勝利に私もあずからせて下さい。
私が雨にも、後の輝きがあると知ることができれば、
あなたにあって勝利することができるのです。
  ジョージ・マセラン
 
 悲しみは、私たちの心の中に喜びの場所を広げるためにやってくるのです。

 


苦しみが起こる条件ですが、苦しみではありません。

2012年06月20日 | お気に入りの言葉

  シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
 苦しみが起こる条件ですが、苦しみではありません。
 生きている以上必ずいやなことや不快な状況が起こってきます。
それは病気であったり将来の不安であったりします。
それは苦しみが起こりやすい条件です。
苦しみそのものではありません。
不快なことにどう反応するか、すなわち、苦しむか、苦しまないかを決めます。
苦しみが起こりやすい条件があっても、私は苦しまないでいられるのです。
苦しみが起こりやすい条件に対して、どう反応するかは私の手の内にあります。


すべては祈りから始まります。

2012年06月19日 | お気に入りの言葉

  マザー・テレサ 日々のことばより
  すべては祈りから始まります。
祈ることを愛しましょう。
日中、しばしば祈る必要を感じ、
祈るために労を惜しまないようにしましょう。
もしあなたがもっとよく祈りたいのなら、
たくさん祈らなくてはなりません。
祈れば祈るほど易しく祈れるようになります。
ほんとうの祈りはたくさんの言葉ではなく、
イエス様に心を上げて熱心に願うことです。


本当に取り返しのつかない過ちはない。

2012年06月18日 | お気に入りの言葉

  シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
 本当に取り返しのつかない過ちはない。
 あなたのこれまでの人生で、本当に取り返しのつかない過ちなど、なにひとつなかったのです。
一つひとつの体験が、あなたを成長させる助けになっているはずです。
 あなたの人生には、暗い体験も明るい体験も、どちらも必要だったのです。
喜びがわかるようになるには、悲しみもしらなければなりません。
 もし世の中に偶然はないとすれば、悲しい体験も楽しい体験もすべて、
あなたをもっと高いレベルへたどりつかせるために、
あらかじめ計画されていたという見かたもできます。


私たちは最高の生活をしていない。最上のものを追求していない。

2012年06月17日 | お気に入りの言葉

 山頂めざして L・B・カウマン著より
 このように、あたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、
上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるからです。
(コロサイ三・一)

 私たちは最高の生活をしていない。最上のものを追求していない。
わしとともに高く飛ぼうとする代わりに、ちょうを追いかけている。
高い山に登ることを学ぶ代わりに、へびのように地上をはい回ることを学んでいる。
願わくは、神が、私たちの上にあわれみをたれて下さるように。
The Climb to God

神は私たちを、わしのように空高く飛ぶようにお造りになられた。
しかるに私たちは、すずめのように地面をつつくことで満足している。


私の心をあなたの驚くべき愛で満たし、顔を輝かしめて下さい

2012年06月16日 | お気に入りの言葉

   山頂めざして L・B・カウマン著より
  主よ、示して下さい、
私の行く手をふさいでいるものを。
車輪の下にある石を示して下さい。
こぼつべき偶像を明らかにして下さい。
主よ、お聞き下さい。
ひざまついている私の願いを。

 そして、主よ。
もし私に、私をつまずかせるものを
切り離す力がないならば、
あるいはまた、
私があなた以上に愛しているものを
打ちこわす勇気を持たないならば、

   おお、あなたの御手を触れて、
私の手足を不具にして下さい。
そして、それに耐えられるように
私に恵みを与えて下さい。
あすの朝、床から起き上がるとき、
どうか私の偶像が倒れていますように。

   しかし、おお主よ、
私はそれ以上に願うのです。
あなたが私の偶像を
粉々にひいて下さることを。
私の心をあなたの驚くべき愛で満たし、
私の顔を輝かしめて下さい、アァメン。作者不明