今日は、米子から孫が来て6人の孫が揃う。ゲームやカラオケで楽しむ。今年も全員元気で新年を迎えることができ感謝。皆様にも良い年を迎えられますようお祈りいたします。
人間はなかなか他人を許すことができません。理性の上では相手を許しても、感情がそれに伴わなくて苦しみます。相手の嫌なところが見えるから、許したくないと頑なに思いがちですが、その嫌なところが自分の中にあるから見えるのです。ちょうど鏡のようにです。相手を許さないということは、自分自身を許さないからです。
鈴木秀子著 「今日幸せになる171の言葉」より
苦しみには明日、立ち向かえ
聖書に、「明日、彼らに向かって出陣せよ」という言葉があります。彼らというのは、現実に起こった苦しみのことです。「明日、苦しみに立ち向かえ」ということは、今日ではありません。まず今日は静観して自分の中に起こってくる恐れや不安、心配ごとをじっくり味わって、嫌な感情に耐え眺めていなさい。そして知恵が湧いてくるのを待ちなさい。その知恵を使って解決していきなさい、という教えです。乱れた感情のまま行動してはいけない、、という戒めです。
鈴木秀子著 「今日幸せになる171の言葉」より
補い合うために「違い」を与えられてきた
私たちはすべて違う個性を与えられてきています。みんな役割が違います。人生の生き方も違います。死ぬときも違います。置かれる環境も違います。その「違い」こそが力です。似たもの同士では補うことができないからです。補い合うために私たちは「違い」を与えられてきたのです。
鈴木秀子著 「今日幸せになる171の言葉」より
昨日は、今年最後のソフトバレー。7月頃からあるサークルに誘われて週3回から5回に増えた。一回が一時間半から二時間、汗を流す。とにかく楽しい。「好きこそものの上手なれ」で少しずつ上達している。老年になったが、まだ飛んだり跳ねたりできることに感謝。
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。 マタイ二10
ある人々の耳にはクリスマスの鐘の音は、悲しげな調べに聞こえることもあります。彼らには、その音は物悲しく響くのです。それは苦い思い出を呼び起こすからです。一年前の幸せなクリスマスの後に、深い悲しみがやって来たのです。死は彼らの宝物を奪っていきました。・・・・・クリスマスだけではなく、あらゆることが自分たちが失ったものを思い出させ、悲しみの傷口をもう一度広げるのです。でもこれらのことは、クリスマスの陰です。しかし、自分たちの失ったものについて痛ましい思いに閉じこもるのは、もうよしましょう。・・・・・忍耐するのです。信頼するのです。悲しみの熱い涙を乾かすのです。見上げなさい!長く伸びる陰を追い出しなさい。物事には、地の側と天の側とがあるのです。「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続く」のです。このクリスマスを、いつまでも思い出に残るクリスマスにしなさい。この日にあなたの思いと、意志と、感情と生涯を、天の側に置くのですから。
J・F・ベイリー神学博士
カウマン夫人著 慰めの泉より
さあ、ベツレヘムに行って、・・・・見てこようではないか。(ルカ二・一五)
彼らは、その夜、ベツレヘムにやって来た。単純な者たちと賢い者たちが、ベツレヘムにやって来たのである。羊飼いと学者は、大空に栄光を見た。そして、聖なる飼葉おけを捜しし求めた。その神秘的な場所こそ、神ご自身が人となって現れたもうた場所である。 現在この地上を歩んでいる最も偉大な人々も、今日これ以上の啓示を私たちに提供することはできない。それゆえ、これが道なのである。人間の心は、高い、広漠とした知識にまで飛びかけるかもしれない。しかし、すべての人は、最後には馬小屋の戸口に来なければならないのである。 Patience Strong
山頂をめざして L・B・カウマン著より
わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました。 マタイ二2
人は多くの道を通って
勇敢に旅をする
ある時は、広々とした宮殿の周辺の道を
ある時は、険しく寂しい急な坂道を
また、ある時は
光も差し込まない
木のからみあった密林の中を迷路のように曲がりくねった道を
ほとんどの人々は
いたずらに旅人をしている
しかし、年に一度は
昔からの疑問がよみがえってくる
あらゆる旅人が
通過していく道の途上に
この問いは、旅人の心を刺し、燃やし
そして、祝福するに違いない
「この道は、ベツレヘムに通じているのか」
思い切って、星の導くままに、道をたどってごらんなさい。
日の出に向かって カウマン夫人著より
神さまのつくられたものであるわたしたち、一人ひとりが特別な存在です。
あるがままの人間、神さまがつくられたままの人間になることが大切です。プラスの面も、マイナスの面も、すべてを素直に受け入れ、優越感も劣等感もなく、偏見のない、開かれた心で生きるわたしになりたい。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
あなたの時間を人びとに与えて、惜しまないように。いつかそれがあなたの必要なときにもどってきます。見返りを求めずに与えること。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
神さま沈黙─いちばん苦しいとき、だいじなときに神さまは隠れてしまわれることがあります。しかしこのときこそ、貴重な時間です。その沈黙の中でも神さまを求め、信じ続けていくことが大切です。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
わたしたちはどのような気持ちで真実を伝えるのでしょうか?相手に苦い真実を伝えるとき、じょうずに言う自信がないときは、すぐに言わないで祈ってごらんなさい。優しい気持ちがないときは"言わぬが花"がいいようです。言ってしまって後悔するよりも・・・・・。愛の心からいう批判は人を成長させます。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
あなたの道を主にゆだねよ。また主に信頼せよ。主はそれをなしとげ 詩篇三七・5
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ!ああ私たちが失敗するのはこの点である!私たちは、自分たちの小さな船のかじを主に託す。でもそのとき、私たちは自分たちの手を、主の手の上に置き、主が自分たちの船を難破させるのを恐れて、主のかたわらにあえて立つのである。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ!一切を主に任せるのだ。主があなたの水路、危険、安全性、一切をご存知であることを信じ、主に一切をゆだねるのだ。そうすればあなたは、み霊の力に威勢よく押されてすいすい進む。
あなたの道を主にゆだねよ。また主に信頼せよ!私たちは余りにもしばしば「また」と言われているを忘れてしまい、悩みくよくよする。ああ、私たちは、「また信頼」しなければならない。そうすれば私たちのたましいは、不安の中でのたうったり、考え込んだり、後悔したりすることはない。ゆだねるのだ!それから、ゆだねられている主のことばを信頼するのだ。主はあなたを助けると言われたではないか。主の力強い腕に信頼するのだ。そして激しい暴風雨の音が聞こえるときにも、力あるご意志によって、主はそれを静められると信じなさい。賢くて忠実で真実である主に信頼しなさい。
主は今あなたがしているすべてを大丈夫、処理して下さると信じるのだ。主に、船、帆、海、水夫、不慣れなあなたの乗組員をゆだねよ。そして主があなたのために、どんな方法ですべてをなさるのかを問うてはいけない。ただ信頼しているのだ!横になり、気になる心配事を離れて休息するのだ。
カウマン夫人著 荒野の泉より
今日は、農業者トレーニングセンターで行っているソフトバレーボールクラブの忘年会。プレー後、サンドイッチをつまみながら交わる。今年も皆が元気にプレーできて感謝。