人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

肩痛に悩む。

2014年10月31日 | 日記

  今日の午後は、ソフトバレーがあったが、肩が痛くて休む。
数ヶ月前から痛かったが、ここのところひどくなり、ついにリタイヤー。
原因は、ソフトバレーよりネット碁にあるようだ。
パソコンに向かっている姿勢の悪さ、あるいは熱中しすぎ等が原因か。
ネット碁を控え、少し休養すればよくなると思う。

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すべてを知ることはすべてをゆるすこと。

2014年10月30日 | お気に入りの言葉

 すべてを知ることはすべてをゆるすこと
もし私があなたを知りあなたが私を知るなら、
もし私たちがお互いにはっきり了解し合うなら、
あなたの心、私の心の意図する事を
内なる目で知ることができるなら、私は確信する、
私たちの隔たりは少なくなり
親しみの握手かわすであろうことを。
もし私があなたを知りあなたが私を知るなら、
お互いの考えは気持ちのよい一致に到達するだろう。
私たちお互いが自分を知っているように
もし私があなたを知りあなたが私を知るなら、
私たちは互いに顔を見合わせて
神の真実な恩寵の働きを見るだろう。
人生には多くの隠れた悲しみがあり
一つ一つのばらには、多くのとげがある。
もし私があなたを知りあなたが私を知るなら、
私たちの心は
物事の「なぜ」を悟るだろう。
ニクソン・ウォーターマン
山頂をめざして カウマン夫人著より

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赤碕小学校の学習発表会。

2014年10月29日 | 日記

  今日は、赤碕小学校の学習発表会へ。
6年生の孫の合唱と合奏を鑑賞。

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どのような信仰の教えも、子供に対して両親が示す愛情の埋め合わせにはなりません。

2014年10月28日 | お気に入りの言葉

世にいる自分のものたちを愛して・・・・ヨハネ一三・1
「私たちは私たちを最も愛する人々にたいし、とりわけ優しくしなければならない」と、J・R・ミラーが「やさしい心」という小さな書物で述べています。
お互いの心は、他の人を損なわずに最も大事な家族を愛する権利を持っています。
今、家庭における宗教の重要性が叫ばれています。宗教のない家庭は、なにかに欠けていて不幸です。
でも私たちの家庭の宗教は、真実で本物でなければなりません。また霊的で命の宗教であって、単に形式的なものであってはなりません。
家庭の宗教は、思いや言葉や行為に働く愛であるべきです。
愛は、忍耐、克己、節制、怒っても優しさを失わないことです。
自分を表すばかりでなく、すべての優しい思いやりや、家族団らんの小さな優しいふるまいにも現されなければなりません。
どのような信仰の教えも、子供に対して両親が示す愛情の埋め合わせにはなりません。
ある男の人の告白を聞いて下さい。
「私の母は、立派な婦人でした。母は息子たちが教会や日曜学校に行くことを強く求め、私たちに祈ることを教えました。でも私は、母が私にキスをしてくれた覚えがないのです。」
家庭でどんなに多く聖書が読まれ、祈りがささげられ、教理問答がなされても、もし優しさが欠けているなら、意味がありません。
子供というものは、愛情を受けなければ育ちません。
愛情は子供の生涯にとっては、太陽光線が、植物や花にどうしても必要なのと同じです。子供たちの命は、優しさのない家庭では十分成長いたしません。
愛情の欠如は、子供たちの生涯にとつて取り返すことのできない損失を残します。
荒野の泉 カウマン夫人著より

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日々祈り求めること。

2014年10月27日 | お気に入りの言葉

  私はつぎのことを日々に祈り求めます。
わたしの内的生活をきよく、堅く保ち
偽りから生涯を守り、邪悪な心から自由を
憎しみとあざけりと高慢には背を向け
愛には心を広く広くあけることを・・。
交わりを求める者には快く受け入れ
調和のとれた生活を計り、重荷を分かちあい
迷っている仲間には道を教え
もちものをひとり占めにせず
決して孤独ではないことがよくわかりますように。
荒野の泉 カウマン夫人著より

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いちじくの成長が楽しみ。

2014年10月26日 | 日記

 柿は、豊作と不作が激しいが、いちじくは毎年順調。
今年もおいしいいちじくが食べられた。
先日、もう2本苗木を植えた。成長が楽しみ。

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豊作と不作が一年ごとにやってくる。

2014年10月25日 | 日記

  今年は、柿が不作、全部で30個位取れただけ。
去年は豊作で数えてはいないが、今年の20倍(600個)位あったように思う。
一昨年も不作であった。豊作と不作が一年ごとにやってくる。

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なんでも差し上げる用意をしておきましょう。

2014年10月24日 | お気に入りの言葉

   神は、私たちがすべてのことに
成功することではなく、
忠実であることを求めておられます。
どんなに私たちの仕事がすばらしくても、
それに執着しないようにしましょう。
いつでも心の平安を失うことなく、
なんでも差し上げる用意をしておきましょう。

ザー・テレサ 日々のことばより

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アンインストール。

2014年10月23日 | 日記

  もう一台のパソコン。
こちらは、5年前に新品を購入したもの。
やはり立ち上がりが遅かった。
5年間に色々なもの取り込んだ(無料のセキュリティなどをインストール)ことが原因だった。
これらをアンインストールしたら動きがよくなった。
私も少しアンインストールした方が良いかも。

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パソコンの再セットアップ。

2014年10月22日 | 日記

  中古のパソコンを購入した。
一ヶ月足らずで調子が悪くなった。
変なメッセージが出て立ち上がらない。
やはり中古はこの程度かと思う(安かろう悪かろう)。
しかたなく、再セットアップしてみた。
すると、絶好調に。
生まれ変わったパソコン。人間も再セットアップできそうな気がする。

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わたしたちはみな旅人である。

2014年10月21日 | お気に入りの言葉

『わたしたちが住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることをわたしたちは知っている。』二コリ五ノ一
イエスの生涯の末期に、彼のくちびるにはしばしば「父に行く」と言う意味の言葉が生き生きと言い表されていた。
わたしたちキリストの民たる者もまた、この世の困難や失望の向こうにあるものの異象を持っている。
わたしたちは成就、完成、生命の展開に向かって旅行している。
わたしたちもまた「父に行く」のである。
わたしたちの故郷については、多くのことがおぼろげであるが、二つのことだけは明白である。
それは家庭すなわち「父の家」である。それは更に主のご臨在に近い所である。
わたしたちはみな旅人であり、信者はそれを知って感謝している。
彼は旅行者であって住人ではない。
R・G・ギリー
荒野の泉 カウマン夫人著より

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ひとりひとりのためにこう祈ってます。

2014年10月20日 | お気に入りの言葉

  あなたとあなたの家族を思って
ひとりひとりのためにこう祈ってます。
主よ、あなたの愛のうちに
彼らが互いに忠実でありますように
どうか、何事も、だれも
彼らをあなたの愛とお互いの愛から
引き離すことがありませんように。
あなたの贈り物である子どもたちが、
愛と一致と喜びと
平安の絆となりますように。

ザー・テレサ 日々のことばより

 

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みことば従うとき、祝福がもたらされる。

2014年10月19日 | お気に入りの言葉

 わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。(詩篇四〇・八)
ある有名な医師が、臨終の床で言った。
「私は、自分自身の意志というものを失いました。それゆえに、私は幸福を見いだしたのです」。
真の幸福は、神のみこころを行うところに見いだされる。真の祝福は、神のみこころに従順であることによってもたらされる。
この地上において神のみこころを行なうことを喜びとされたかたは、弟子たちに「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」
と祈りなさいと命じられた。この医師の言った事は正しかったのである。意思を明け渡し、みことば従うとき、祝福がもたらされるのである。
L・O・L
山頂をめざして カウマン夫人著より

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何事も思い煩ってはならない③

2014年10月18日 | お気に入りの言葉

「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申しあげるがよい」という聖言を傾聴すべきである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「祈りと求めとによって」、熱意と忍耐とをもって、またへりくだりの態度をもってこの事をなし、進みながらも待ち、なおも神を待ち望むのである。
「感謝して」。わたしたちはいつも感謝して、よい土台を据えるべきである。
よし、何が欠けているにしても、神がわたしたちを地獄から救いたもうたことはいつも神に感謝し得ることである。
次に感謝すべきは、神が私たちに清い言葉を与えたもうたこと、その最も尊い賜物であるみ子、また聖霊をも与えたもうたことに対してである。
だからわたしたちには、神に感謝する十分な理由がある。
だからわたしたちはこのことにはげみたい。
ジョージ・ミュラー著、信頼の生活
荒野の泉 カウマン夫人著より

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何事も思い煩ってはならない②

2014年10月17日 | お気に入りの言葉

 「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申しあげるがよい」という聖言を傾聴すべきである。
「万事において」とは家に火がついた時だけではない。
また妻や、子供が墓に近づいた時ばかりでもない。
生涯の最も小さい事柄でも、すべての事を神の前に持って来て、
ほんの小さいこと、この世の人々がつまらないことと言っているものさえも、神に祈ることであり、
またわたしたちの父なる神とのきよい交わりの中に、また終日主イエスと共に生活することでもある。
またわたしたちが夜中に目さめた時、霊的本能ともいうべきものによって神に向かい、神に語り、眠れない夜中にも、
神の前にさまざまな小さいことを持って来て、家族、取引、職業などにかかわる困難を打ち明ける事をも含んでいる。
どんな道で、何がわたしたちを試みても、これについて主に語るべきである。
ジョージ・ミュラー著、信頼の生活
荒野の泉 カウマン夫人著より

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