人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

較し合うことを止めて、慰め合うものになる。

2015年07月31日 | お気に入りの言葉

似たり寄ったり

 能力も違い、役割も違うのです。
私たちは確かに多くの点で違うのであり、いくら権利は平等だといっても、実際の生活は違うのです。
だからどうしても互いに比較し合う気持ちが複雑に行交うわけですが、
一方、強そうな人が簡単なことで弱さを曝し、
清そうな人がつまらぬことで醜態を演じるのであって、お互い似たり寄ったりでもあるのです。
違う点があることは確かですが、似たり寄ったりであることは、もっと確かな人間の事実と思われます。
この事実を洞察する時、人は比較し合うことを止めて、慰め合うものになることでしょう。

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

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孫の夏休み。

2015年07月30日 | 日記

  孫は、夏休み中、しおかぜクラブ(学童保育)へ。
一日中、面倒を見てもらえるのは、嬉しい。

 

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人生は明る過ぎては生きてゆけません。

2015年07月29日 | お気に入りの言葉

  ゆるしの薄明

  私たちがともかくもこうして生きておれるのは、決して当たり前のことではないのです。
もし燈し火をつけて相手の心をのぞき合うようなことをお互いにしたら、どうなるでしょうか。
あかりをつけられたら困る者同士があばき合うことになり、修羅の巷となることでしょう。
あかりをつけた時の結果を、お互いよく知っています。知っていてつけないからこそ、なんとかやってゆけているのです。
ですから、あかりをつけないことを慣れ合いと考えないようにしましょう。
それはゆるしなのです。
人生は明る過ぎては生きてゆけません。

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

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夫婦とは。

2015年07月28日 | お気に入りの言葉

人間の租界

  徹底的に問題を洗い出して解決してゆくのが筋の通った人間関係であるとすれば、
どこか馴れ合っているところのある夫婦というものは、決して筋の通った人間関係とは言えません。
しかし、それでいいのではないでしょうか。
馴れ合いには、筋の通らないことをそのまま受け入れているという意味で、
ゆるしの極点とも言える場合があるわけで、夫婦はまさに人間の諸関係の中で唯一のその場合だからです。
夫婦とは、馴れ合ってでもしなければ生きてゆけない人間の租界です。
夫婦の間で筋を通し合うほど、愚かなことはありません

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

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よい祭りの思いでを。

2015年07月27日 | 日記

  今日は、孫が楽しみにしていた「波止のまつり*宵まつり」。
心配していた台風の影響もなく絶好の祭り日より。3000発の花火があがる。
 この祭りは、神崎神社の例大祭にあわせたイベントして60年以上続く赤碕伝統の祭り。
孫には楽しんで貰いたい。

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迷惑を許し合う。

2015年07月26日 | お気に入りの言葉

  迷惑

 人に迷惑をかけさえしなければ、将来子供がどんな人間になってもよいと親はよく言いますが、
一体迷惑をかけないで私たちは生きられるのでしょうか。
生きるとはお互い迷惑をかけ合うことです。
迷惑をかけずに生きていると思うなら、これほど無反省な自惚れはありません。
ですから、目標とすべきは、迷惑をかけない人間ではなくて、迷惑を許し合える人間です。
きびしい目を自分自身にそそいで、知らないうちにかけている迷惑に気づき、
やさしい目を相手にそそいで、相手からかけられている迷惑をゆるす、そういう人間です。

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

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お互いのパターンを認め合う努力。

2015年07月25日 | お気に入りの言葉

改めるよりは

 人にはそれぞれ生き方のパターンのようなものが、いつしか身についています。
どんなに反省し、改めようとしても、結局人はその人らしい生き方の外には出られません。
それから自由に生きている積りでも、根本的には少しも変わらず、
形を変えて相も変わらず同じパターンが生きています。
その根深さは、それを身につけたというよりは、それにとりつかれてしまったといった方が正確な位なのです。
お互いそうなのですから、努力をするなら、自分を改めるよりはお互いのパターンを認め合う努力をしましょう。
それでよいのです。

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

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結婚とは。

2015年07月24日 | お気に入りの言葉

現状認識

結婚とは二人の独身者が一緒になることですが、
それでその二人が夫婦になるわけではないのです。
夫婦とは独身者が共同生活をすることではないからです。
それは、今迄独身であったものが、その独身であったことを止めて、夫と妻という全く新しい生き方の中に入ることです。
ですから夫婦を正確に認識するためには、もはや独身ではないと、なじんだ状態に決別する覚悟をせねばなりません。
このことは全ての現状認識に当てはまりましょう。
「もはや・・・・・ではない」の覚悟の痛さを避けては、現状は正確には認識できません。

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

 

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家庭とは何でしょうか。

2015年07月23日 | お気に入りの言葉

家庭

家庭とは何でしょうか。
心配の情念だと思います。
とくに親が子に責任を感じて配る心づかい、その情念ともいうべき心配を欠くならば、
たとえ家庭を成り立たせる要件のすべてを満たしていても、
それを家庭とはもはや呼べないでしょう。
親が子に抱く気配りの多くは、非理性的で、感情的で、
第三者には認め難い身勝手甘さに甘さに流されたものばかりですが、
しかし、それこそが家庭というものではないでしょうか。
家庭とは、どこかで大目に見てもらわないことには生きて行けない人間に許されている非合理のことです。

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

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生きる意味がわからない。

2015年07月22日 | お気に入りの言葉

 とにかく生きる

 生きる意味がわからないから自殺するという人がいます。
そんなことをいうなら、誰一人として死ななくてよい人はいないでしょう。
お互い皆意味がわかって生きているわけではないのです。
さまざまな不条理に答えを見出すこともできないままに、悩み、迷い、苦しみながら、
意味もわからずにとにかく生きているのです。
そして、それでよいのじゃないでしょうか。
答えを出そうというよりは問いをじっと受けとめている方が生きるということへの誠実だといってよい位に、
生きるということは意味づけられることを固く拒むものだからです。

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

 

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宝のある所には、心もある。

2015年07月21日 | お気に入りの言葉

小さくされること

「宝のある所には、心もある」、そうです、
何かあるものに価値を認めて、それを宝のように大切にするなら、
心は常にそれに注がれ、そしてそれに支配されていくでしょう。
支配されているということが、それを宝にしているということなのです。
宝にしているといいながら、それに心が支配されていないなら、それは嘘です。
そして、その宝が大きいものであればある程支配され方も大きく、従って、自分自身は次第に小さくされてゆくでしょう。
信仰とは神を宝とすることです。自分が小さくされることがなければ、それは嘘です。

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

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喜び。

2015年07月20日 | お気に入りの言葉

喜び

  どれほど深い信仰でも、そこに喜びがなければおかしいと考えるべきでしょう。
どれほど熱心な奉仕でも、そこに喜びがなければおかしいと考えるべきでしょう。
どれほど正しい生活でも、そこに喜びがなければやはりおかしいと考えるべきでしょう。
喜びとは、ことの真偽を判別する大切な基準です。
喜びのない深さは自己満足している深刻さなのです。
喜びのない熱心さは報いを求める不平なのです。
喜びのない正しさも他を裁く誇りに過ぎないのです。
いずれにしても喜びのないものは、全て未熟であると考えて間違いはありません。

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

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孫の子守。

2015年07月19日 | 日記

  今日は、孫(小2と小4)の子守。
教会の礼拝に宿題持参で連れていき、礼拝中は静かに、勉強させておく。
その後、ポート赤碕のタコ公園、JOYFULLで食事、まなびタウンとうはく、買い物へ。

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一切込みで。

2015年07月18日 | お気に入りの言葉

一切込みで

人生良いことばかりではありません。
うまくゆかないこともあります。
思いがけない障害いに出会うこと、
期待はずれに終わること、
計画通りにゆかないこと、
挫折を余儀なくなくされること、
運の悪いこともあるでしょう。
しかし、それら全てを含めて人生の全体を神から与えられたものとして受けとめ得ること、
それが救いということです。
うまくゆかないことのひとつひとつが解決されてゆくことが救いではないのです。
良いも悪いも一切を込みで、人生全体を神よりの賜物と受けとめ得る、
その受身の人生態度の確立が救いなのです。

藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より

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人の色。

2015年07月17日 | お気に入りの言葉

  誠実、無欲、色でいえば真白な人、不実、貪欲、色でいえば真黒な人、
そんな人はいずれも現実にはいません。
いるのは、そのどちらでもない灰色の人でありましょう。
比較的白っぽい灰色から、比較的黒っぽいのまでさまざまではありますが、
とにかく人間は、灰色において一色であります。
その色分けは一人の人間においても、一定ではなく、
白と黒との間をゆれ動いている者同士の分別に過ぎません。
よくみればやはりお互いに灰色であります。
灰色は、明るくはありませんが、暖 かい色です。
人生の色というべきでありましょう。

 藤木正三著 灰色の断想より

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