人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

幸福に至る道

2019年04月23日 | お気に入りの言葉

   幸福に至る道とは何でしょう。それは神に対する完全な献身です。 絶え間なくあなたの意志のすべてを神の御旨にゆだねることです。 これがすべてのの幸福の基礎です。

  自分の意志を完全に神の御旨にゆだね、絶えず新たにそうする者は、わがままがもたらす深い悩みや重苦しい思い煩いから解放されます。 その代わりに神の御旨、すなわち最善の愛の御旨に従うという平安を与えられます。 この平安こそ人を幸福にするものです。

 M・バジレア・シュリンク著 「愛のまなざし 神の子の日ごとのよりどころ」より

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健全な談話

2019年04月22日 | お気に入りの言葉

 『知恵ある人の舌は人をいやす』(箴言一二・一三ー二二)

 医者はしばしば私たちの舌の様子を見て、容態を判断する。 もっと深刻な他の意味において、舌はまた私たちの品性のありさまを表示するものである。 私たちの発することばは、すなわち私たちの道徳的、霊的健康状態を知るのにもっとも完全な索引である。 もしそのことばが不潔で、不誠実なものであるならば、その魂も確かに病みわずらっているのである。 毒舌は聖別された心とは氷炭あい容れないものである。 それゆえ、誰でも自分の生活について臨床診断を試みることができる。 「私の談話の内容はなんであるか」「私のことばは何を示しているのであるか」 「これらは、魂のどん底、その背景に対して何を暗示しているか」と。 「あなたのことばによって義とされ、あなたのことばによって罪とされる」のである。

  神は真実な唇を喜ばれる。正しいことばは生命の木の実である。 私たちが極力偽善を忌み嫌い、物質的腐敗から離れるとき、主は私たちを虚偽から救い出して下さるのである。

  それはただ神の聖い祭壇に燃える焔をもって潔められた唇のみが、神を喜ばすことばを発することができるのである。

  わたしの唇を聖め別って主のために  み業を語るものとしてください

 ジョウェット著 「日々の霊想」より

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いのち

2019年04月21日 | お気に入りの言葉

   聖書の中では、しばしば人生のはかなさを草になぞらえています。 そして草は普通つかのまのものです。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る」(第一ペテロ一・二四) 栽培されている花壇のいちばん美しい花も、ジャングルの中のありふれた雑草と同じように、枯れていくのです。 王子も乞食も、哲学者も文盲も、野蛮人も文明人も、しばらくの間生きると、必ずもとのちりに返って行くのです。

 人間は、自分が死に、人生には終わりがあるものだということを、非常に気にしています。 ですから、福音の使信は、キリストにある新しい命――――消え去ることのない命――――の奇跡に焦点をしぼっているのです。 「御子を持つ者はいのちを持っており、御子を持たない者はいのちを持っていません」(第一ヨハネ五・一二)。

 ポールB.スミス著 山口昇訳 日ごとの福音より

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死ぬための準備

2019年04月20日 | お気に入りの言葉

   死はすべての人に等しく及びます。 私たちは生まれるとき平等に生まれてこず、また生活もけっして平等ではありません。 ある人々は一生美貌を保ち、他の人々は醜さと戦っています。 富める人は、貧しい人が得ることができない特権を、金で買うことができます。

  ラザロは食卓から落ちるパンくずを求めていましたが、金持ちはぜいたくな食事をしていました。 生きている間、金持ちには多くの利点があります。 しかし、富も、地位も、力も、死の時には役に立ちません。 最後の敵である死は、ついに彼とラザロとを平等にしました。

  聖書は、こう言っています。 「わたしたちはみな死ななければなりません。地にこぼれた水の再び集めることのできないのと同じです。 神はかたより見ることのできないのと同じです。神はかたより見ることのないかたです」(サムエル下一四・一四英訳) 。

 生きるために準備することは、よいことです。しかし、死ぬために準備することは絶対に必要です。

 ポールB.スミス著 山口昇訳 日ごとの福音より

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さばき

2019年04月19日 | お気に入りの言葉

   人生のほとんどのことは、必然的なものではありません。 私たちはこれらのことに対して決断する特権を持っています。 実業家になることも、専門家になることも、看護婦になることも、家庭の主婦になることもできます。 結婚することも、独身のままでいることもできます。これらのことは自由に選択できます。  

 聖書は、私たちすべての者が神に対して守らなければならない、避けることのできない約束があると言ってます。 それは、さばきです。「一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル九・二七)。

  私たちすべてが死に直面しなければならないように、私たちすべてはさばきにあわなければなりません。ですから、私たちがキリストによって備えられた神の救いを受け入れることは、きわめて重要なのです。 そして、救いを受け入れるなら、神の御子による義を与えられるのです。 この義のみが、神の御前に立つことができるのです。

   ポールB.スミス著 山口昇訳 日ごとの福音より

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祈っていただく

2019年04月18日 | お気に入りの言葉

 わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。テサロニケの信徒への手紙二、三章二節

 理性と意志の力で悪を避ける、ということもあるでしよう。しかし、すべての悪を、というわけにはいきません。 ちょうど空気の悪いところで呼吸ができなくなるように、理性も意思の力もマヒしてしまう地点があります。 そのとき人間は、羅針盤を失った船のようにただよい始めます。 船の外からの風が――――祈りが船を方向づけるということが起こります。 「祈っていただく」そのことなしにだれも、使徒さえも、信仰の道を歩むことはできません。

小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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御父の配慮、助けと奇跡

2019年04月17日 | お気に入りの言葉

  子供というものは、大人にできることができません。 子供は大人の助けに頼り、それを当然のように期待しています。 同様に子供は大人によってあちこちへ行かされ、大人の意のままに動かされます。 子供はとがめられ、罰を受けます。このような特徴を備えた神の子らも、天の父が貧しい者や小さな者に約束されたことを体験するでしょう。 それは御父の配慮、助けと奇跡です。

 M・バジレア・シュリンク著 「愛のまなざし 神の子の日ごとのよりどころ」より

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乳飲み子のように

2019年04月16日 | お気に入りの言葉

   生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。ペテロの手紙一、二章二節

 乳飲み子が母乳を飲む。その一途な姿には心うつものがあります。 生きるための切実な求め、そして信頼と安らぎ。

  信仰もそうであります。霊の乳を慕い求めることによって生きるのです。 どんなに深い思索をしても、経験を積み重ねても、そんなことで信仰者は命を得ることはできません。  乳

    飲み子のように神の言を飲まなければ。

  小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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愛はねたむことをしない

2019年04月15日 | お気に入りの言葉

 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。(ローマ書一二・一五)

 愛はねたまざるなり。愛は自己をもって足るものなれば、人の成功をうらやみ、その優秀をねたむの要なし。 富者に競争あり、学者と宗教家に嫉妬ありといえども、愛の満足におるものは猜忌、羨望の邪念におかされず。 愛は生ける泉なり。与うるを知って受くるを知らず、おのれに充ち満つるがゆえに、人の充溢を聞いて憤ることなし。 愛にありて貧者は富者を憤らず、愚者は学者をうらやまず、愛は人生終局の善かつ美なり。 愛に達して、人はすべての欲望を断つに至る。金(きん)をもつものは、銅、鉄、または鉛をもつものをうらやまず、 そのごとく、愛あるものは、金銀、宝貨、学識、天才を有するものをねたまず。 愛に嫉妬なし。しかり、神の愛に達してのみ、吾人は初めて嫉妬以上の人たるを得るなり。

 一日一生 内村鑑三著より

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平和を与えてくださるキリスト

2019年04月14日 | お気に入りの言葉

   こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。そして「やすかれ」と言われた。―ルカ二四・三六―  

   今日のみことばはイエスが私たちを理解してくださっていたことを、明らかに示しています。

  人が平和を求める心ほど切実なものはありません。私どもは争いの世界、戦いの世界に住んでいます。

  人類の歴史は、本来は戦争の歴史であります。そして、戦争という点から考えれば、世界の状態はただ悪化するばかりです。 最近の世界大戦は、かつて見なかったほどの広範囲におよぶ戦争で、世界中の国々が、直接あるいは間接に戦争に参加しました。

  私たちのこの世界に戦争が絶えないということは、何も不思議なことではありません。 なぜかと言えば、人間の心ほど、戦意にもえているものはないのだから。

  私たちの家庭内における「争い」を考えてごらんなさい。 夫と妻とのいさかい。武装したままの休戦状態にある夫婦もたくさんあるし、しのぎをけずって、戦っている夫婦もあります。

  兄弟姉妹間の「争い」を考えて見ましょう。「兄弟姉妹の愛情は、遺言裁判所までつづく」と言う古いことわざがありますが、これは考えさせられる言葉です。  

 隣人間の「争い」はどうでしょうか。争いの原因となるものは、まず、実につまらない小さなもの、たとえば、ひよことか、やぎとか、あるいはかきねといったようなものです。 そうして、このために私たちは友情を失い、敵意をいだき、口論し、ついには最高裁判所にまでも足を運んで行くのであります。

  たいていの人は、なんらかの形で戦いをまじえています。しかしその戦いはおおむね人の性質と教育によって、異なっているものです。  

 ごくおだやかな人でさえも、頭脳や心の内面的な戦いであるとは言え、争いに加わっています。いったい人が、頭の中で他人を攻撃していない時間というのは、どのくらいあるでしょうか。 私たちは、ねたみという毒をぬりつけられたきりのように鋭い思いをふりまわして、他の人たちに、むごたらしくも傷をおわせているのです。

  そうです。私たちは皆、私たちの心に平和を与えてくださるキリストがほんとうに必要であります。

  O・ハレスビー著 「みことばの糧・365日の黙想」より

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死に対する恐れ

2019年04月13日 | お気に入りの言葉

   だれでも心の底には、消すことのできない生きることへの飢えかわきと、死に対する激しい恐れがあります。 ですから、私たちは死ぬことより、困難や不自由に耐えるほうがよいと思うのです。 人間の心にとっては、どんなことでも、死よりはよいのです。 しかし、人生でどうしても避けることのできないのは死です。 私たちが持っているもののうちで、最も不確実なのは命です。  

  聖書はこう言っています。「あなたがたは、あすのこともわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。 あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません」(ヤコブ四・一四)

 福音の使信は、イエス・キリストに立ち返り、限られた命を主にゆだね、その代わりに主の無限の命を受けるるよう、勧めています。 「その永遠のいのちとは、彼らが唯一まことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ一七・三)。

 キリストに対する信仰は、死をも究極的なものではなくし、永遠の世界を私たちの前に開いてくれるのです。

 ポールB.スミス著 山口昇訳 日ごとの福音より

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応答の中で

2019年04月12日 | お気に入りの言葉

   求めなさい。そうすれば、与えられる。 探しなさい。 そうすれば、見つかる。 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。マタイによる福音書七章七節

 驚くべき言葉です。わたしたちの声は虚空に消えていくのではないというのです。 声を聞いてくださる方がいる。こたえてくださる方がいる。  

 わたしたちの命に責任をもって対応してくださる方がいる。そういうのです。 求め、探し、門をたたきながら(そうしないでは、一日も生きていけない人生です)――――こたえていただきながら、人の命は育まれます。  

 見えざる神とのたえざる「応答」の中で、人は人にされていきます。

小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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手向かうな

2019年04月11日 | お気に入りの言葉

 しかし、わたしはあなたがたに言い ます。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。(マタイ五・三九)

 「他から攻撃された場合、戦うのは当然である」という論理が高調される間は、世界から戦争のなくなることはないでしょう。 人類は子供のけんかの次元から、一歩も進歩していないのです。 このまやかしの論理のもとに、どれだけの若者が殺され、どれだけの母親が泣いたか分かりません。 また、なぜ攻撃されなければならないということや、この正義の陰で、どれだけの不正な政治が行われたかという、その真相が、国民に明らかにされることは絶対ないのです。 世界から戦争をなくするための唯一の真理は、「他から攻撃されても、こちらからは攻撃しない」ということにすぎないのです。

金田福一著 「霊想の糧365日」より

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人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。

2019年04月10日 | お気に入りの言葉

   人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。ローマの信徒への手紙9章20節  

   聖書は、「初めに、神は天地を創造された」(創世記1・1)と語る。しかし、神がどのような方法で世界を創造したかを語らない。 それを語るのは科学の領域である。科学は宇宙や人間がどのように生まれ、どのように死ぬるかを説明するであろう。 しかし、科学は人間がなぜ生きるのか、なぜ死ぬのか、生きる意味は何かについて答えない。このような霊的な問いに答えるのは聖書に証言されている神の言葉である。  

 聖書は人間の生きる意味と根拠は神にあると証言する。神は「言葉」によって万物を創造した。 すなわち、世界も人間も神の意志によって創造され、存在しているのであって、偶然に存在しているのではない。 神の明確な目的があって、私たちは今ここに生きている。  

 神が創造者であるなら「どうしてわたしをこのように造ったのか」と口答えする人がいる。 今日の聖句は、これに対する答えである。「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。身よ、それは極めて良かった」(創世記1・31) 私たちは他者と比べて自信を失ったり、優越感で人を差別したりする。しかし、神の目には私もあなたも尊い存在であり、各かくに固有の賜物と使命を与えられているのである。  

 神を信ずるとは、聖書から神の言葉を聞き、神に生かされている意味と幸いを知り、与えられた場所で神に従うということである。 聖書を読み、また説教を聞く時、神はみ言葉と聖霊によって私たちの霊的な問いに答えてくださる。

 内藤淳一郎著 「一日の発見 365日の黙想」より

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全能の力で万物を支配。

2019年04月09日 | お気に入りの言葉

   神はあまねく存在し、全能の力で万物を支配し、御自分の目で探り、 同時に非常にささいなものまで配慮されることが、神の偉大さを最もはっきりと現わします。 神は私たちの髪の毛までも一本残らず数えられています。  

   最も小さいものまでの神の配慮に御父の愛の大きさ、神の偉大さを見る目を持つ者は、神の本質と栄光とを最も深く理解するのです。  

   そのような目を願い求めなさい。そうすればあなたはあなたの至るところに神の偉大な御業を見、最も小さな出来事の中でも神に導かれていることを知るでしょう。

 M・バジレア・シュリンク著 「愛のまなざし 神の子の日ごとのよりどころ」より

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