人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

柔道の応援。

2019年07月20日 | 日記

今日も、中学生の孫の応援に鳥取県立武道館へ。 個人戦は三位、団体戦は優勝。元気な姿に感謝。

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人生最大の獲

2019年07月19日 | お気に入りの言葉

 神の恩寵を、この世の幸福または成功において見るほど間違うたる見方はない。

  そう見るがゆえに、われらはたびたび神を疑い、彼を見失わんとするのである。神と人とを愛し得る心である。 いかなる境遇にあろも満足する心である。人のすべて思うところに過ぐる平安である。

  そして、これらは神が聖霊をもって、ただちに人に賜う恩恵の賜物であって、身の幸福、または事業の成功を離れて、 しかり多くの場合においてはこれに反して、賜う賜物である。

  幸福はありてもよく、なくてもよきものである。無くてはならぬ物は善心である。 これさえあれば他は何がなくてもよいのである。人生の目的は善心獲得にありというて可なりである。内村鑑三

新版 日日のことば ー日本プロテスタント史上の人物によるー 満江巌編より

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おのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。

2019年07月18日 | お気に入りの言葉

われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。―詩篇九〇・一二―  時は容赦なく過ぎ行くものです。  時はとどまることがない。とめることができない小川の流れのようなものです。  あなたは、時計をとめることはできても、時をとめることはできません。  時をとめたいと思う人は、多いでしょう。その人は年をとりたくないのです。  彼らは時の流れを止めることはできなくても、時計をとめます。髪をそめ、ほお紅をぬります。  しかし、だれもよわいがふえるのを、とどめることはできません。私たちはだれでも、時の流れに従わねばならないのです。 絶えず勢いよく走って行く時の流れに。  時は、なんとまあ、早く過ぎさることでしょう。  私たちが将来に目をむけるときには、まだまだ遠いさきのことように思うのですが、過ぎてみれば、それはつかの間のできごとになってしまいます。 ですから、時がどんなに速くすぎ行くものかがわかります。  時は永遠のはじめであります。  時は、私たちを、いやおうなしに、永遠の中へと運んで行きます。  永遠にむかうのに、二つの道があります。この二つは、死の門で相互に交わるのですが、二度と再び相会うことはありません。 広い道は、永遠の嘆きをさして下って行く道です。狭い道は、永遠の祝福へ向かっている道です。  あなたは、どちらの道を歩いていますか。  時の流れに身をまかせて、ドンドン下に押し流されて、むざんにも永遠の滅びにはいるということは、なんという恐ろしいことでしょう。  それにひきかえ、天国のうるわしい故郷にむかって流れている時の流れの中に生まれることは、なんという大きな喜びでしょう。  神の子よ。時計が時をきざむごとに、時は、あなたの小さな生命の舟のオールをグングン動かしているのです。  前へ前へと進みながら、尊い血をもってあなたの罪を洗いきよめ、あなたのために天国への道を開いて下さったキリストに感謝をささげるようになさい。天を仰いで。

O・ハレスビー著 「みことばの糧・365日の黙想」より

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身を正し

2019年07月17日 | お気に入りの言葉

 もし、死者が復活しないとしたら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになります。 正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。コリントの信徒への手紙一、一五章三二、三四節

 もし復活がないのだとすれば、すべてはむなしいのです。 面白おかしく、楽に生きればいいのです。 しかし、キリストが復活し、わたしたちの罪の命が贖われているのだとすれば、自堕落に生きることはできなくなります。 結婚を約束した人がその日に向けて自分をととのえるように、「身を正し」つつ、復活の日に備えるのです。

小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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善を行う

2019年07月16日 | お気に入りの言葉

善を行う者はいない。ただ一人もいない。ローマの信徒への手紙三章一二節

  善とは神に向けてなされる行為であります。 神の善にこたえようとする人間のこころざしから生まれる行為であります。 わたしたちに対する神の善は、イエス・キリストを通してなされました。 ですから救い主イエスを知る信仰なしには「ただ一人も」善をおこなうことはできません。

 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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戻って来た者

2019年07月15日 | お気に入りの言葉

この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。 ルカによる福音書一七章一八節     祈る人はたくさんいます。病気や苦難に襲われたとき、人は祈らないではおれません。 わたしたちもいくたび祈り、そして癒されてきたことでしょう。いくたび試練の谷をくぐらせていただいたことでしょう。 そのとき、しかし、わたしたちは祈ったことを忘れてしまうのです。 自分の対処の仕方が適切であったかのように考える。運がよかったかのように考える。

  神を賛美して戻っていった人にキリストはいわれました。「あなたの信仰があなたを救った」。 感謝して帰っていく者こそ神の恵みの視野の中で生き始める者であるからです。

   小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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孫の応援

2019年07月14日 | 日記

 今日は、孫の柔道の応援に倉吉武道館へ。 六年生の個人戦に参加したが残念ながら二回戦で負けてしまった。

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御言葉を成し遂げる

2019年07月13日 | お気に入りの言葉

火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ 詩篇一四八篇八節

  異変のことがいわれています。異変は人を不安に陥れ、恐慌をひき起こします。 なにもかもが駄目になると思う。 しかしどんな異変が起こっても(かならず異変は起こりますが)それらは壊すためのものではなく神の「御言葉を成し遂げる」ためのものであります。 神の摂理の外ではなく、内で起こっているのです。

   小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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わたしだ

2019年07月12日 | お気に入りの言葉

イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」マタイによる福音書一四章二七節

   人はいつか、死という逆風のさなかに立たなければなりません。 どんな親しい人もそこにはいません。だれもとなりに立つことはできないのです。 そのとは、救い主キリストがよびかけてくださるのです。 「わたしだ。恐れることはない。」 わたしたちの、絶対に避けることのできない嵐の海のさ中に、わたしたちのために立っていてくださる方がおられます。  

小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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体幹トレーニング

2019年07月11日 | 日記

  昨夜は、琴浦町総合体育館で行われた体幹トレーニング教室に参加、一時間汗を流す。 体幹の弱さを認識、今後のトレーニング課題。

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人生の目的

2019年07月10日 | お気に入りの言葉

心を尽くし、思いを尽くし<、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。マタイの福音書22章37節

 どんな人の心も深く探れば、人生の目的を切に求める思いがきっとある。

  息をするのと同じくらい確実に、いつの日か、こう思うはずだ。 「私の人生の目的はいったい何だろう」 ある人は職業に、その意味を見いだそうとする。 「ぼくの目標は歯医者になることなんだ」 すばらしい仕事にはちがいないが、とうてい自分の存在の証(あかし)にはなりえない。

  彼らは人間として存在することよりも、人間として何かをすることを選ぶ。 自分が何をしているかが、自分の存在を表すものなのだ。

  その結果、彼らはすべきことをたくさん抱え込む。長時間働き続けるのは、仕事をしなければ自分の存在証明を得られないからだ。

  また、何を持っているかで自分の存在を示す人もいる。彼らは新しい車や新しい家や新しい衣服に意味を見いだす。

  こうした人たちは国の経済には貢献しても、家計は火の車になってしまう。常に自分の持ち物に意味を見つけようとしているからだ。(中略)  ほかにも、スポーツや娯楽、新興宗教、セックスなどなど、さまざまなことに手を出す人々がいる。

  すべては人生の目的という砂漠に現れる蜃気楼だというのに・・・・・。(中略)

 ぼくたちは真実と向き合うべきではないか。神を認めなかったら、ぼくたちは宇宙に漂う塵芥(ちりあくた)にすぎないのだから。『グリップ・オブ・グレース』

マックス・ルケード 「みことばの宝石」より

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今年もこのままに

2019年07月09日 | お気に入りの言葉

園丁は答えた。「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。」ルカによる福音書一三章八節

   三年待ってまだ実のならないいちじくの木を主人は切り倒せと命じます。 しかし園丁は「今年もこのままにしておいてください」と嘆願します。 さらに手入れをし、必要なこやしを与えるから、というのです。 「今年もこのままに」。そういうとりなしの祈りの中にわたしたちは守られています。 とりなしの園丁は主イエス・キリストであることはいうまでもありません。                                                            小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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最後まで

2019年07月07日 | お気に入りの言葉

最後まで耐え忍ぶ者は救われる。マタイによる福音書一〇章二二節

   長いトンネルでは入り口も出口も見えなくなる部分を走らなければなりません。 人生にも出口の見えない暗闇の部分があります。ここが終わりだと考えて立ちすくめば文字どおり「終り」であります。 しかしどんなトンネルにも神の備えていてくださる出口が、かならずあります。 大事なことは、途中で投げ出さず「最後」まで走り抜くことであります。最後の場面で神が待っていてくださいます。

  抱きとめるために。

小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世に勝っている

2019年07月07日 | お気に入りの言葉

あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。ヨハネによる福音書一六章三三節

   キリストが勝っているということは、キリストがわたしたちのために闘って勝っておられるという意味であります。 十字架と復活によって。弟子たちには、いま悩みがあります。しかしこの悩みは、キリストがわたしたちのために確保してくださっている勝利に向かうプロセスなのです。

小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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光をたどる

2019年07月06日 | お気に入りの言葉

神に従う人のためには 光を心のまっすぐな人のためには 喜びを種蒔いてくださる。詩篇九七篇一一節

 畑に種が蒔かれます。ひとつぶ、ひとつぶ。ぽつんぽつんと。途切れることなく。ふりかえって見れば、それは一筋の直線。

  神は信じる者に光を、よりたのむ者に喜びを種蒔いてくださいます。人生の長くつらいこの道に。ひとつ、ひとつ。ぽつん、ぽつんと。

  しかし、けっして途切れることなく、その光をひとつひとつたどりながら導かれて行くのです。

  小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より

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