人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

2012年大みそか

2012年12月31日 | 日記

   囲碁に夢中になり、ソフトバレー、登山、太極拳等にも参加し、色々と楽しんだ一年。
私以下、家内、息子、娘一家、元気で年越しができることに感謝。


あなたの人生にとって、今は最善の時。

2012年12月30日 | お気に入りの言葉

日の出に向かって カウマン夫人著より
  わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。
わたしが力衰えた時、わたしわ見捨てないでください。詩篇七一9

年月では、人の年齢は測れません。
私たち年を取るにつれて、もっと落ちついてくるべきです。
若い時よりも幸福でないと感じつつも、人生とは何かを以前よりずっと良く知ることができるのです。
もう一つの世界が現実になることが期待できます。
もちろん、その世界がどんな世界か正確に表現することはできないけれど。
若さとは何かと私に語った人々は
もう逝ってしまった
それと共に私の人生の力強さも去ってしまった
何も残ってはいない
あるのは衰えだけだ
あるのは老いと朽ち果てた姿だけだ

否!そうだ!
私は、神の幼な子だ
まだ生きるのが始まったばかりだ
わが最良の年がやって来るのだ
わが人生の力強さがやって来るのだ
神の幻が与えられるのだ
わが人生の盛りと力がやって来たのだ

老いを最善の時とせよ!
悪しきものの最善の時が最善なのではない。
あなたの人生にとって、今は最善の時。
なぜなら老いは、人生の最後に位置するからだ。
私と共に、老いていこう。


神はわたしたちを見守っておいでになる。

2012年12月28日 | お気に入りの言葉

荒野の泉 カウマン夫人著より
あなたがたがもし、一つの不思議な、
かくれた摂理によって、薄暗い蔭にいるとしても恐れてはならない。
ただ信仰と、愛の中に、疑わずに進みなさい。
神はわたしたちを見守っておいでになる。
そして彼はあなたがたの苦痛と涙の中から善と美を取り出しなさる。
ーJ・R・ミラー


皿洗い

2012年12月27日 | 日記

   最近、たまに皿洗いをするようになった。
仕事をしていた時は一度もしたことがなかったが、
仕事をしてない今、家事全てを家内にやらせて、
自分だけ好きなことばかりやっていては申し訳ない思うから。
実際やってみれば、それほど苦にはならないもの。


神様ご自身が人間になって一緒に住もうと、この世にお降りになったのがクリスマスです。

2012年12月26日 | お気に入りの言葉

シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
・・・・・・・ この世で生きる人たちが、この世の苦しみや悲しみを乗り越え、
素晴らしい喜びに満ちた人生を送るために、神様ご自身が人間になって一緒に住もうと、
この世にお降りになったのがクリスマスです。
クリスマスの"マス"は贈り物という意味で、クリスマスは"キリストの贈り物"ということからも、
クリスマスの喜びは、神様がご自分を人にお与えになったということにあります。
・・・・・・・


孫の冬休み

2012年12月25日 | 日記

   4年生の孫は、学童保育に行かない為(3年生までは行くことができるが)、一人で過ごさねばならぬ為、弁当持ちで様子を見に行く。
孫は、テレビを見たり、宿題したりしていた、私は読書、昼になったので、二人で昼食をとる。
とりとめもない話をしながら一緒に食事をする、これが良いと思う。
昼からは、友だちのところに遊びに行ってしまったので、解放される。


風呂で読書

2012年12月24日 | 日記

   今ままでも、風呂で短時間読書をしていたが、体が温まるのは気持ちが良いので、
最近は、時間を測りながら湯に浸かって読書をしている。
今日は、一時間読書をした。
体は温たまり、読書はでき、一石二鳥。


ふれあい教室(琴浦・知を愛する者の集い・おとなの学習)に参加

2012年12月21日 | 日記

   今日は、琴浦町社会福祉協議会で行われたふれあい教室(琴浦・知を愛する者の集い・おとなの学習)に参加
学びのテーマは、『科学と哲学と宗教』という興味深いもの。
第一話は、「科学的思考」についてであった。
自然科学、人文科学、社会科学分野をいっきに説明され、講師の知識に感心。
次回からの哲学、宗教の講義が楽しみ。


私はひとりではない、イエスが歩まれていた道を選んでいるからだ。

2012年12月20日 | お気に入りの言葉

山頂めざして カウマン夫人著より
私はひとりではない、
他の人は、私の選んだ道と違う道を歩んでいるけれど。
私はひとりではない、
私は「いいえ」と言うけれど
自分が決してうしなわれないことを知っている。
私はひとりではない、
他の人は私をからかい
同じ道をとるように私を強要するけれど。
私はひとりではない、
私が友人たちと決して同調しないので
彼らの不興を買っているけれど。
私はひとりではない、
他の人々は、私を変人と呼び、
私は今は、道に迷ったように見えているが、
イエスが歩まれていた道を選んでいるからだ。
L・E・ダンキン


自然治癒が起こるとき

2012年12月19日 | お気に入りの言葉

シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より

私は今までに何回も、不治の病を宣告された人が、
次の検査のとき治っていたり、予定していた手術しなくてもいいことになったりという場面に立ち会ってきました。
どうしてそういうことが起こるのか、どのようにガンの自然治癒が起こるのか、私には説明できません。
ただ私が体験として知っていることは、このような場合、共通しているものがあります。
病人が祈りに包まれていること、そして病人が「起こることにはなにか意味がある」と受けとめ、
病気からなにかを学ぼうとしていること、そして病気を現実のものとして受け入れたあとの、
やすらぎと、感謝の気持ちを持っているとき、自然治癒が起こっているらしいということです。


意思の交換 私は自我を私の心から全く追放したい。

2012年12月18日 | お気に入りの言葉

山頂めざして カウマン夫人著より
 意思の交換
私は自我を私の心から全く追放したい。
私の愛する主が、私の心の中に来られ、
主の造作を取り付けて、
私の心を主のホームとして下さるまでに。

そして私は、このために何が必要か
知っているので、
朝ごとの静けさの中で、そっと密室にはいり、
私の意思を彼の御前に置く。

主はいつも優しくそれを取り、
主のご意思を私に差し出される。
私はそのとき、その日に対して
すべての問題に直面する準備を終わる。

このように私の主は、私の関心事を支配し、
私の邪悪さを制御される。
私たちは意思の交換をするために
夜明けに会合の時わ持つ。
アンナ・ジェーン・グランニス