囲碁に夢中になり、ソフトバレー、登山、太極拳等にも参加し、色々と楽しんだ一年。
私以下、家内、息子、娘一家、元気で年越しができることに感謝。
日の出に向かって カウマン夫人著より
わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。
わたしが力衰えた時、わたしわ見捨てないでください。詩篇七一9
年月では、人の年齢は測れません。
私たち年を取るにつれて、もっと落ちついてくるべきです。
若い時よりも幸福でないと感じつつも、人生とは何かを以前よりずっと良く知ることができるのです。
もう一つの世界が現実になることが期待できます。
もちろん、その世界がどんな世界か正確に表現することはできないけれど。
若さとは何かと私に語った人々は
もう逝ってしまった
それと共に私の人生の力強さも去ってしまった
何も残ってはいない
あるのは衰えだけだ
あるのは老いと朽ち果てた姿だけだ
否!そうだ!
私は、神の幼な子だ
まだ生きるのが始まったばかりだ
わが最良の年がやって来るのだ
わが人生の力強さがやって来るのだ
神の幻が与えられるのだ
わが人生の盛りと力がやって来たのだ
老いを最善の時とせよ!
悪しきものの最善の時が最善なのではない。
あなたの人生にとって、今は最善の時。
なぜなら老いは、人生の最後に位置するからだ。
私と共に、老いていこう。
荒野の泉 カウマン夫人著より
あなたがたがもし、一つの不思議な、
かくれた摂理によって、薄暗い蔭にいるとしても恐れてはならない。
ただ信仰と、愛の中に、疑わずに進みなさい。
神はわたしたちを見守っておいでになる。
そして彼はあなたがたの苦痛と涙の中から善と美を取り出しなさる。
ーJ・R・ミラー
最近、たまに皿洗いをするようになった。
仕事をしていた時は一度もしたことがなかったが、
仕事をしてない今、家事全てを家内にやらせて、
自分だけ好きなことばかりやっていては申し訳ない思うから。
実際やってみれば、それほど苦にはならないもの。
シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
・・・・・・・ この世で生きる人たちが、この世の苦しみや悲しみを乗り越え、
素晴らしい喜びに満ちた人生を送るために、神様ご自身が人間になって一緒に住もうと、
この世にお降りになったのがクリスマスです。
クリスマスの"マス"は贈り物という意味で、クリスマスは"キリストの贈り物"ということからも、
クリスマスの喜びは、神様がご自分を人にお与えになったということにあります。
・・・・・・・
4年生の孫は、学童保育に行かない為(3年生までは行くことができるが)、一人で過ごさねばならぬ為、弁当持ちで様子を見に行く。
孫は、テレビを見たり、宿題したりしていた、私は読書、昼になったので、二人で昼食をとる。
とりとめもない話をしながら一緒に食事をする、これが良いと思う。
昼からは、友だちのところに遊びに行ってしまったので、解放される。
今ままでも、風呂で短時間読書をしていたが、体が温まるのは気持ちが良いので、
最近は、時間を測りながら湯に浸かって読書をしている。
今日は、一時間読書をした。
体は温たまり、読書はでき、一石二鳥。
昨日は、皆生温泉の「おーゆ・ランド」へ行った。
約一時間、露天風呂、サウナ等で温まる。
いろいろな風呂があり、値段もまずまず(500円)で気にいった。
午前中に風呂に入ったが、その温もりが夜中まで続いたようで夜も良く眠れた。
温泉の効用を再確認。
今日は、元上司の「お別れの会」に出席。顔が広い人で会社、趣味のサークル関係の人が多く参加されていた。
彼とは、一緒に面接を受け同時採用され、その後30年一緒に働いた仲で、色々なことが思い出された。
今日は、琴浦町社会福祉協議会で行われたふれあい教室(琴浦・知を愛する者の集い・おとなの学習)に参加
学びのテーマは、『科学と哲学と宗教』という興味深いもの。
第一話は、「科学的思考」についてであった。
自然科学、人文科学、社会科学分野をいっきに説明され、講師の知識に感心。
次回からの哲学、宗教の講義が楽しみ。
山頂めざして カウマン夫人著より
私はひとりではない、
他の人は、私の選んだ道と違う道を歩んでいるけれど。
私はひとりではない、
私は「いいえ」と言うけれど
自分が決してうしなわれないことを知っている。
私はひとりではない、
他の人は私をからかい
同じ道をとるように私を強要するけれど。
私はひとりではない、
私が友人たちと決して同調しないので
彼らの不興を買っているけれど。
私はひとりではない、
他の人々は、私を変人と呼び、
私は今は、道に迷ったように見えているが、
イエスが歩まれていた道を選んでいるからだ。
L・E・ダンキン
シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
私は今までに何回も、不治の病を宣告された人が、
次の検査のとき治っていたり、予定していた手術しなくてもいいことになったりという場面に立ち会ってきました。
どうしてそういうことが起こるのか、どのようにガンの自然治癒が起こるのか、私には説明できません。
ただ私が体験として知っていることは、このような場合、共通しているものがあります。
病人が祈りに包まれていること、そして病人が「起こることにはなにか意味がある」と受けとめ、
病気からなにかを学ぼうとしていること、そして病気を現実のものとして受け入れたあとの、
やすらぎと、感謝の気持ちを持っているとき、自然治癒が起こっているらしいということです。
山頂めざして カウマン夫人著より
意思の交換
私は自我を私の心から全く追放したい。
私の愛する主が、私の心の中に来られ、
主の造作を取り付けて、
私の心を主のホームとして下さるまでに。
そして私は、このために何が必要か
知っているので、
朝ごとの静けさの中で、そっと密室にはいり、
私の意思を彼の御前に置く。
主はいつも優しくそれを取り、
主のご意思を私に差し出される。
私はそのとき、その日に対して
すべての問題に直面する準備を終わる。
このように私の主は、私の関心事を支配し、
私の邪悪さを制御される。
私たちは意思の交換をするために
夜明けに会合の時わ持つ。
アンナ・ジェーン・グランニス
マザー・テレサ 日々のことばより
今日、いまだかつてないほど、
私たちには祈りが必要です。
神のご意志を知るための灯火として・・・
神のご意志を受け入れる愛のために・・・
神のご意志を行う道のために・・・