何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなた がたの求めるところを神に申し上げるがよい。
わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・ イエスにあって満たして下さるであろう。 ピリピ四6、19
主は、山上の垂訓で語られました。「あすのことを思いわずらうな。 あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。 一日 の苦労は、その一日だけで十分である」。
心配している時、私たちは信頼していないのです。それでもなお、重荷と責任を負っている私たちは心配しやすいのです。
クアイル主教はユーモアーのセンスを持っていました。彼は多くのことを心配しながら、書斎に座っていた時のことを、面白おかしくこう語りました。「ついに主が私のところに来て『クアイル、寝なさい。これからの時間は、私が代わりにおきていてあげよう』とおつしゃたんだよ」。
カウマン夫人著 「日の出に向かって」より