かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

石仏・石塔見て歩き(7:道祖神?)

2008-05-20 13:26:08 | 田舎の歴史


この石仏は、スキンヘッドではないようであり、いわゆる「地蔵菩薩」とは違っているように思える。そして、この石仏には、「右 三崎道 左 佐田道」と刻まれており、なにやら“道しるべ”のようでもある。確かに、この三叉路を右に上がって行けば、墓地、さらに峠を越して三崎へ通じる山道がある。一方、左へ行く道は子供の頃、我が家の畑もあったイツグチへ通じる道であったように思うが、きっとこちらも別の峠を越して佐田まで通じる山道があったのであろう。しかしながら、今では我が地区の古老でもその道を知っている人はいないのではないだろうか。
また、この場所が集落の端っこに位置しているため、地域内に疫病や邪悪なものが入ってこないように、境界を守る神さまとしての『道祖神』のような意味合いがあるのではないだろうか?
  
この石仏には、さらに「彦七 同人妻」との銘が刻まれている。おそらく石仏を建立した人であろうが、なぜ妻の名前を明かしていないのだろうか? この時代にあっては、女性の名前を刻むというのは憚られることで、これが標準形だったのだろうか? それとも、名前を明かせない事情があったのだろうか? 
ひょっとして、『駆け落ち』? 
もうすぐ、この石仏のすぐ近くを道路が出来ることになっているのだが、この石仏は移動を迫られるのだろうか?

うらめしや台風4号

2008-05-19 13:27:18 | 田舎の生活
 昨日の昼頃からしだいに風が強まり、宇和海は波が大きくなり、白波がたち始めた。台風4号の影響であろう。そして、今日はといえば、朝から今にも雨が降りそうな雲行きだったのが、正午過ぎからとうとう降り始めた。台風は、今頃は低気圧に変わっている頃だろうか?
昨年の台風4号は7月中旬だったので、今年は約2ヶ月も早い。今年は台風が多い年になりそうだ。
せっかく大潮なので、磯に行こうと1週間も前から楽しみにしていたのに、とても残念である。
 しかも、今日はテングサ漁の解禁日だったというのに、この悪天候のため解禁は延期となった。 

ツバメの超能力

2008-05-18 14:31:20 | 田舎の生活
我が家には一度もツバメが巣を作ったことがない。
子供の頃、親戚の家には毎年ツバメが来るのに、なぜ我が家には来ないのか不思議に思ったので、尋ねてみたことがあった。すると、母だったか、親戚の叔母だったかが、「巳年生まれの家族がいる家には、ツバメは巣を作らんのよ」と言っていた。
なぜツバメは人間家族の干支を知っているのか不思議だとは思ったが、子供心にはなんとなく納得したような気がする。我が家の父は、巳年生まれなのである。
というわけで、父を恨むわけにもいかず、子供心に毎年ツバメが巣を作る家が羨ましかった。でもそのうち、気まぐれなツバメか、前年の家の場所を忘れたツバメが、我が家の軒先に迷い込んでくるかもしれないと、かすかな希望を持っていたが、とうとうそれが現実となることはなかった。
  
以前は数軒以上あったこの集落の親戚も、近しい親戚はもう1軒しかない。その親戚の家に、最近ツバメがやってきている。タイミングを見計らって、写真を撮らせてもらった。 


  ≪2羽います。わかりますか?≫

つがいであろう2羽が一緒に帰ってきて、飛び立つ時も一緒だ。そうして、1羽は巣の近くで見張っているかのようで、もう1羽は巣の中に入り、口にくわえたわらのようなものを巣にくっつけている。そうして少しすると、その1羽は巣の中にしゃがみこんでしばらくもぞもぞしている。もしかして卵を産んでいるのだろうか?それとも生んだ卵を温めているのだろうか? ツバメは1年に2度卵を産むらしい。 

聞けば、この親戚の家に来るツバメは、2年ぶりに帰ってきたという。なぜ、昨年ツバメが来なかったかについては、従兄弟が話してくれた。悲しい・むごい事件があったようだ。
このての話が苦手な方は、どうかこの先は読まないで下さい。かわいそうなので、私も一部伏せ字で書くことにします。


従兄弟の話は、以下の通りである。
ある日、伯母さんがふとツバメの巣を見てみると、○○が壁を這って○の中に頭を突っ込んでいたそうで、こりゃ大変とばかりに、棒で○○を叩き落し、やっつけたのだそうだ。すると、○に○○○の○○を○○えており、それをなんとか助け出し、従兄弟がその○○を○に返してあげたとのこと。しかし、その後親鳥が帰ってきてから、その○○は親鳥に○から落とされてしまったそうだ。従兄弟の話によると、身体に○○が付いていたのだろうか、だから親鳥は落としたのではなかろうか、と言っていた。それ以来、ツバメは来なくなっていたとのことで、今年2年ぶりにやってきたそうだ。

それにしても、今回やってきているツバメは、2年前に生まれたツバメなのだろうか? なぜ、親戚の家に巣が残っていることを知っているのだろう? なぜツバメは、一度巣を作った家が判るのだろうか?
なんとも不思議で、渡り鳥の超能力はすごい。

きみの名は?

2008-05-17 11:09:39 | 草花・樹木
我が家から20~30メートル離れた道沿いの石垣に、このような白い花が見事に咲いている。この花が咲いている石垣のすぐ向かい側に住宅があるので、そこの方が植えたのかも知れないと思いつつ、きれいなので、写真を撮ろうとしていると、ちょうどこの家の住人が帰って来られた。
 尋ねてみると、やはりこのおばちゃんが植えたのだそうだ。そこで、花の名前を聞いてみると、「知らんなあ。ヒデリソウと言いよったかなあ?」と自信なげな答えだった。
そして、このおばちゃんによると、こうして石垣に花を植えておくと、草が生えないから植えたのだとのことである。なるほど、一石二鳥だ。




写真を撮り終え、家に帰って調べてみると、「ヒデリソウ(日照草)」はマツバボタンの別名のようで、私にはこの花はマツバボタンではないように思い、どうもおばちゃんは勘違いしているのではないかと思う。
以前本ブログで紹介した「リビングストン・デイジー」に、花や葉(棒状でプヨプヨした質感)が似ているようなので、デイジーの一種なのではないだろうかと思えるのだが・・・。ちなみに、白色以外に、オレンジやピンクもあるそうです。でも、白色が一番よく育っているようです。
 どなたか、この花の名前をご存知の方、教えていただけないでしょうか?

おのればえ

2008-05-16 11:16:00 | 菜園
おのればえ」・・・私は、「ばえ」とは「碆(はえ)」のことだろうと思い、その前の「おのれ」は、時代劇などで怒りを込めた、あるいは相手を威嚇する場合の「おのれー」を連想して、なにやら怖そうな、怒っているような名前だなあと思いつつ、「おのればえ」とは我が地区に数ある地名のひとつ、あるいは畑のある部分(例えば「あさじり」などと同様に)だろうと、ずーと思っていた。
 
ところが、こぼれ落ちた種で生えた苗のことだということを昨年知った。恥ずかしい限りです。しかも、全国各地でも一般的に使われているようだ。なるほど、「おのれ」とは「己、自分」、「ばえ」は「生える」という意味で、自生する(した)ということなのだろう。


   ≪ぜーんぶ 自生したシソ≫

ということで、今年も我が菜園の隅っこに、昨年以上にたくさんのシソが生えてきた。今はまだ小さいが、これが生長して夏場にはジャングルのようになる。昨年育ったものを、花が咲いてもそのままにしておいて、その後枯れてもしばらくそのままにしていたので、種が地面に落ちてたくさん芽を出してきたようだ。
 まさに「おのればえ」だ。なんだか、「生き抜いてやるぞ」と言うような強い意志を感じる。夏場には、冷やしそうめんを食べる機会が多くなるので、シソは貴重な薬味だ。シソの包み揚げなんていうのも美味しい。奥さんの話では、シソはスーパーで買うととても高くて、10枚入りパックで100円前後するそうだ。しかも余り日持ちしないとのことだ。日持ちしないから高いのだろうか?
なんだか、おのればえのシソ1苗が百円玉、いや千円札に見えてきそうだが、 それにしても狭い場所にこんなにたくさん自生してくると、育ちが悪くなりそうだし、第一こんなに食べきれるものではないので、大量に間引きしたほうが良さそうである。

僕の心細道(12:ニュージーランド編-第十一章)

2008-05-15 10:26:02 | 旅行
トレッキング最終日のホテルでの夕食は豪華でした。そして、4日間一緒に過ごした皆さんと、トレッキング中の出来事や印象を思い出しながらの、にぎやかな夕食パーティとなりました。
   


≪夕食風景:左側の顔を前に出している男性が「ぴゃ ぴぃ ・・・」のおじさん、右手前がスイスの若者≫

宴たけなわのころ、ひとりのおばあちゃんが、スイスの若者と私に勲章をくれるというのです。勲章といっても、食事の時に使ったぺらぺら紙のコースターに、おばあちゃん直筆の文字が書かれた手作りです。おばあちゃんによると、滝めぐりの時、石ころゴロゴロの川を渡ろうとした彼女の身体を支えてあげたことが表彰の理由だとのことでした。この勲章、なぜかまだあります。この旅行の後、私は5回引越しをしているのですが、他の物にまぎれて捨てずにおいていたようです。もうかなり変色していますが、改めて見てみると、“MILFORD TRACK  OUR HERO”と書かれているのがかろうじて読めます。私にとっては、思い出の品です。
  


   ≪おばあちゃんの勲章≫

 そして、トレッキングを終えた翌日午前中、フィヨルドの景勝地として人気のあるミルフォード・サウンドを船での遊覧です。2時間ほどのクルージングでしたが、この日はどんよりとした天気でした。それでも、フィヨルドと言うだけあって、日本では見られない氷河で浸食された名残の地形を見ることができました。両側の岩の壁は、高さが1200mもあるというから驚きです。崖そのものは、せいぜい数百メートルくらいにしか見えないのですが・・・。多分崖だけの高さではなく、山の頂上までの高さではないだろうかと思われます。


  ≪ミルフォード・サウンド≫

岩場で日向ぼっこしているアザラシや、少し外洋に出るとイルカの大群が船と並走して泳ぐ姿なども微笑ましく思いました。
ホテルに帰って昼食後、バスでテ・アナウへ戻ってトレッキング・ツアーは解散です。

楽しみにしていたトレッキング・観光地をまたひとつ堪能することができ、とても満足でした。そして、私は再び一人になり、路線バスに乗って、先日泊まったクイーンズタウンへ向かいました。今回は、クイーンズタウンではユースホステルに泊まりました。

   ≪つづく≫

四川省大地震

2008-05-14 11:56:30 | 政治・社会
ミャンマーのサイクロン被害に続いて、12日中国四川省で、マグニチュード7.8の大地震が起こった。昨日現在で、死者12,000人以上、23,000人が生き埋めになっており、倒壊家屋は50万戸余りという大惨事である。まだまだ余震が続いて、救助活動も思うようにはかどらないだろう。 

もともとインドの北側、つまりヒマラヤ山脈の北~北東にかけての、チベット、四川省、青海省などは、地震の多い地域だ。この地域は、ユーラシアプレートの下にインドプレートが潜りこんでいる地域に相当するので、岩盤にひずみが溜まりやすくなっている。そして、今回の地震は、全長約250kmに及ぶ断層(四川省を北東-南西に延びる)が2段階に分けて動いて引き起こしたと見られている。そのために広範囲に被害が及んだようだ。
1976年に河北省で発生した唐山地震では、24万2千人が死亡したとのことであるが、そのような大地震があったことを、私はもう忘れている。

我が地方関連でいうと、四国沖を震源とする『南海地震』は、今後30年間で発生する確率は30%を越えているらしい。怖いと思うのだが、この数字が高いのか、低いのかピンとこない、実感しにくい状態でおります。 
地震予知というのは、本当に難しいようで、世界初の早期警戒システム、気象庁の緊急地震速報は、まだきちんと機能を果たせずにいる。そして、気象庁の会見が言い訳じみていて、みっともない。 地道な実績の積み重ねをお願いします。
   
と、こんなことを書いていると、地区の有線放送のサイレンが鳴ったので、何事かと思ったら、「串地区(半島の先端付近)で住宅火災が発生したので、消防団の○○分団は出動して下さい」との放送だった。
『地震、雷、火事、●●』は怖い怖い。

沖縄ぶらぶら(5:飲み屋編)

2008-05-13 11:06:37 | 旅行
国際通り周辺の散策を終え、そしてもずくも確保し、腹も減ってきたので、国際通りの端の方にある居酒屋へ入りました。この店は以前にも2度ほど来たことがあり、まあまあ気に入っているので、今回もここに入りました。



まだ6時少し前だったので、お客さんは1組だけでした。しかし、その後次々とお客さんがやって来て、そのうちほぼ満席状態となりました。
この店では、もずく天ぷら、アーサー(アオサ)天ぷら、くぶしみ(いか)の刺身、青パパイアのサラダ、アグー豚のスペアリブなどを注文して、ビールと泡盛を美味しく頂きました。このあと映画を見に行くことになっているので、「あまり飲むと眠くなるよ」と奥さんに釘を刺されていたので、泡盛は1合だけにしました。仕上げに、イカ墨ジューシーを頂きました。このジューシー(沖縄風炊きごみご飯)さすがに真っ黒でしたが、なかなか美味しかったです。 
そして、そろそろ帰ろうかなあと思っていると、7時半から島唄ライブが始まりました。


   ≪島唄ライブ≫

やや太目のお兄さんときれいなお姉さんでした。お兄さんは唄も三線(さんしん)も上手でしたが、ひとつ驚いたのは、沖縄県人はよく口に指を入れて指笛を吹きますが、このお兄さんは三線を弾きながら、指を使わずに口だけで指笛と同じ音を出すのです。「きっと口の中で上手に舌を丸めているのだろう。太っているから出来るのかも知れない」とは奥さんの弁です。そして、話も上手で、曲の合間にお客さんに話しかけていました。最初、東京から来たおじさんと話していましたが、次にうちの奥さんが当てられました。
「お客さん どちらから来られたのですか?」
「えひめ」
「沖縄は何回目ですか?」
「生まれました」
「里帰りですか」

こうして、我々が愛媛から来たことを知った太目のお兄さんは、「愛媛だと松山空港。JTAですね。今JTAでは機内のヘッドホーンで、国吉さん(隣のきれいなお姉さん)の唄が聴けますよ。聴いてあげて下さい」と宣伝していた。それにしても、客の反応に対して、すぐに話題を返せるところなど、たいしたものだと思いました。
ちなみに、この太目のお兄さんの名前は忘れましたが、久米島出身とのことで、きれいなお姉さんは、読谷(よみたん)村出身の国吉美奈さんと言われるそうです。
翌日、那覇から松山へ帰る時、奥さんはこの国吉さんの唄を聴いてみようと、イヤホーンを耳にあてていたのですが、肝心なところでほとんど眠っていて聴き逃したとのことです。  
30分間の島唄ライブが終了したところで、私たちはこの店を出て一度家に帰り、そして映画『相棒』を観に行ったのでした。

  ≪おしまい≫

沖縄ぶらぶら(4:国際通り周辺散策編)

2008-05-12 11:58:36 | 旅行
 衝撃的な“あしたのジョー”とおじさんを目にしたあと、さらに国際通りを北東に歩きましたが、墓参りに行く前にかなり歩いていたので、一度休憩をしたいと思い、以前入ったことのある地下の喫茶店に入り、ジュースを注文しました。



国際通りはなかなか騒々しいのですが、この店に入るととても静かです。そして、以前もこの店に入ったのは、暑い日だったと思うのですが、ここに入るとオアシスのように感じます。 店でしばらく足を休めた後、再び喧騒の中、むつみ橋通りに入りました。
 この通りで、私はどうしても買って帰りたいものがありまして、今回の沖縄旅行の楽しみのひとつでもありました。そして、色々な店を眺めながら、その店の前にやってきて、欲しいものの有無を確認して、とりあえずまだ時間が早いので、そのまま素通りして、『壷屋やちむん通り』へ行きました。
この通りでは、以前ある店でシーサー作りを体験したことがあります。その時指導を受けながら作って、焼いてもらったシーサーは、現在我が家の玄関と勝手口に飾ってあります。この通りは、観光客の方は余り足を向けないのではないかと思いますが、むつみ橋通りや平和通りと違って、人通りも少なく、路面が石畳というのもなかなかいい雰囲気のところです。でもきっと、以前はもっといい雰囲気をかもし出していたのではないだろうかと想像しています。


≪やちむん通り≫

そして、時間もいい頃合いになり、いよいよ私が買いたいものを求めに先ほどの店に行きました。
そうです、欲しかったのは“もずく”です。2年越しの夢が叶いました。
   

   ≪丸市ミート前で売っているもずく≫

何年か前、まだ東京在住の頃、沖縄の知り合いが生もずくを送ってくれたことがあります。そのもずくを食べて、衝撃を受けたのです。太くて、しこしこして美味しかった。 
この時のタレがまたよく合っていたのだとも思います。それ以前に一度、宮古島産の味付けもずく(多分内地のスーパーでも売っていると思う)を食べさせて頂いたことがあったのですが、その時も「もずくってこんな美味しんだ」と思いました。しかし、知り合いが送ってくれた生もずくは、それよりも数倍美味しく感じました。とにかく衝撃的でした。それ以来私は、内地のスーパーで売っているパック入りもずくは、“もずくもどき”だと思っております。 
私が気に入った生もずくは、糸満のもずくで、3月から6月の間が旬のようです。だから、この時期に沖縄に来ることができて、『よかったあ~』と幸せでした。
 みなさん、もし、この時期沖縄を訪れることがありましたら、是非生もずくをご賞味下さい。きっと身体も心も洗われます。 

5月の冷たい雨

2008-05-11 12:34:59 | 田舎の生活
 昨日は、朝から雨が降り続け、風も強く、気温も上がらず寒い一日でした。そこで、介護老人に風邪をひかせては大変と、久しぶりに石油ストーブをつけました。幸いまだ灯油が少しばかり残っていたので、次の冬までに使い切っておいたほうがよいだろうとの思いもあってのことです。
 雨が降っているので、昼間でも皆さん畑仕事に行かず、家にいるだろうと思い、班長さんの2回目の仕事で、お寺の運営費用や各種募金を集めに回ったのです。
すると、あるおばちゃんは、「今日は寒いなあ。ほんじゃけんど、コタツしもうたけん、熱いお茶飲みよる」(=今日は寒いですねえ。そうだけど、既にコタツを片付けてしまったので、熱いお茶を飲んで温まろうとしております)と言っていた。そして、別のおばちゃんは、やはりコタツを片付けたとのことで、フトンの中に入っておりました。
そうでしょうねえ、このところ温かい日が続いたので、几帳面な家庭は、コタツやストーブは既に片付けていることだろうとお察しします。
 今日も朝方は少し寒かったものの、やがて雲の合間から時折陽が射してくるようになり、そのうち雲も少なくなり、青空が広がり始め、昨日に比べればうんと過ごしやすくなりました。