かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

西郷隆盛宿営地?

2007-08-19 11:59:46 | 田舎の歴史
昨夜テレビで、映画「ラスト サムライ」を見た。この映画が公開された時、当時オーストラリアに住んでいた知人が、この映画を見て「トム・クルーズより渡辺謙がかっこよかった」と言っていたので、私も新宿の映画館へ見に行った(当時は東京在住)。この映画は印象的なシーンがいくつもあるが、そのたびに私はうるうるしていた。そして、最後に謙さんたちが突撃するシーンでは思いっきり涙が出た。でも、奥さんは「どのシーンで泣けるの?」と不思議そうだった。
「ラスト サムライ」を見たとき、やはり西南戦争(西南の役)や神風連の乱、佐賀の乱を思い出した。おそらく、この映画の監督もそういった明治政府に対する反乱士族をイメージしたのだろう。昨夜テレビを見ていて気づいたのは、時代設定が1877年(明治10年)となっていたので、まさに西南戦争の年である。
ところで、なぜ、西郷隆盛の反乱は「戦争または役」で江藤新平や太田黒伴雄の場合は「乱」なのだろうか?おそらく、これは当時の政府や天皇から見て、そしてその後の歴史研究家からみた西郷隆盛と江藤新平・太田黒伴雄の身分・立場・業績などの違いからくるのであろう(皇国史観的要因もあると思う)。   たしかに日本史を見ていると、「平将門の乱」「弘安の役」「承久の変」などと「乱」「役」「変」が使い分けられている。井沢元彦氏の本を読むと、「乱」は単なる国内の反乱だが「役」は「戦争」という意味があるからで、日本では大規模な対外戦争はすべて「役」と呼ぶようだ。ところが、「承久の変」の場合は、鎌倉幕府に対して後鳥羽上皇が起こした戦いなので、「乱(臣下の反乱)」でも「役」でもおかしいというわけで、「変」(変事ないしは災難の意味)となったようだ。ちなみに、「本能寺の変」というが、明智光秀の側からみれば「光秀の乱」と言うことになるだろう。
さて、西郷隆盛であるが、私の母方の祖母が生前「昔、西郷さんがうちに泊まったことがある」と言っていた、という話をいとこから聞いたことがある。母方の祖母の家は昔、旅館をやっていたことがあるようだ。その家は私が子供の頃にはもう廃屋となり、今は私の菜園となっている場所だ(写真参照)。
西郷隆盛がこの半島にやってきたという話は聞かないが、西南戦争の時、豊後(今の大分県)を目指したことがあるようなので、その下臣が海を渡りこの地に泊まったことがあるのかも知れない。あるいは、佐賀の乱の終盤、東京を目指した江藤新平が高知県で捕らえられているので、その途中この地に宿泊したのかもしれない。しかし、江藤新平はこの時、日向市から船をやとって宇和島へ渡りその後高知県にぬけたようなので、そのルートでは半島からちと遠すぎる。それとも、日向市から海岸線に近い海路を北上し、宇和島に行ったのであれば、この半島に泊まった可能性はある。などと妄想は膨らむ。 

この祖母の話は、祖母の記憶違いかもしれないが、今はわが菜園となっている場所に、うそでもいいから『西郷隆盛御宿営地』などと石碑を建てておけば、どなたか熱心な研究家が真相を確かめてくれるのではないかと思ったりする次第である。≪恐縮です≫

ウメーッシュ

2007-08-18 12:11:30 | 食材・食事
我が家の庭に梅の木が1本ある。しかし、最初冬に咲いた花を見た時は、梅かどうか自信が持てなかった。というのは、一般の梅の花より色が薄く、花びらの形も少し違うように感じたからだ。ところが、その後成った実をみると、間違いなく梅だと確信した。
その梅、昨年はほったらかしておいたので、黄色くなって全部落ちた。
今年も小粒ながらたくさんの実が成ったので、「もったいないから、試しに作ってみよう」と言って奥さんが、梅干と梅酒を仕込んだ。
仕込んだのが5月16日で、それから3ヶ月が経過し、色も十分梅酒らしくなってきたので、昨夜梅酒を試飲してみた。飲んでみると、なかなかいい味になっており、思わず“ウメーッシュ!”だった。今年は1ビンだけ漬けたが、気を良くした奥さんは、来年は2ビン漬けようと言っていた。
たしか昨年酒税法が改正され、梅酒などの自家醸造酒についても規制が厳しくなったのではなかったかな、と思い勉学のため国税庁のHPを開いてみた。すると、詳しいことは良くわからないが、梅酒の場合も「新たに酒類を製造した」とみなされるようだが、米などの穀物やぶどう、アミノ酸などを混和していない場合は、「例外的に製造行為としない」としているようだ。多分、梅自体が発酵するものではないからだろう。ただし、あくまで個人で楽しむためだけであった、販売は禁止されている。

いっぽう、梅干は小粒で果肉が硬かったせいか、“カリカリ梅”に似ていると言っていた。
また来年が楽しみだ。

 ※このブログは、個人的なささやかな日記です。迷惑コメント、迷惑トラックバックの類はご容赦願います。


祭りのあと

2007-08-17 11:26:54 | 田舎の生活
モーレツな暑さが続く日本列島は、ついに昨日、国内最高気温を74年ぶりに更新したとのことで、熱中症で12人の方が亡くなられたようだ。ペルーではM8.0の大地震が発生して、今朝は日本の海岸に津波が到達しているようだ。そして、アメリカのサブプライムローン問題で、株価の下落は止まらず、円高が加速している。それにしても、なぜアメリカでは債務者の返済能力を無視したような貸付を考え出したのだろう。日本のバブルの失敗を学習していないのだろうか。そんな貸付システムが破綻することを、なぜ予測しなかったのだろうか。
昨日からそんな喜べないニュースが流れるなか、個人的には、楽しみにしていた同級会が終わり、お盆も終わり、屋外に出れば汗だくだくとなり、吉田拓郎の唄「祭りのあと」を思い出しながら、何だか脱力感に襲われている。
そして、この暑さの中、エアコンのない部屋の我がパソコンは、扇風機で風を送るものの、苦しそうなうなり音を立てている。

同級会

2007-08-16 13:56:07 | 田舎の生活
昨夜、20数年ぶりに同級会が行われた。田舎の小学校時代の同級会である。同級会といっても1学年1クラスなので、イコール「クラス会」である。その同級生は小学校卒業時には29名いたし、私が小学生の頃は全校生徒が200名あまりいた。それが、その後の過疎化でどんどん生徒数が減少し、ついには10名となり、とうとう平成15年3月に閉校となり、110年間の歴史の幕が閉じられた。地域にとって学校がなくなるというのは寂しいものである。
さて、同級会であるが、地元在住の友人に手伝ってもらい、1ヶ月余り前に皆さんに連絡をした。計画したほうとしては、一人でも多くの方に参加してもらいたいと思っていたが、29名のうち故人となった人、住所が判らず連絡できなかった人5名を除いて17名が集まってくれた。嬉しい限りである。我が地区には、飲食店などないので、会場は地区のとある施設である。
同級会は午後6時からの開始であったが、懐かしい顔がやって来る度に歓声が上がり、話が弾んで、会自体も大盛況だった。結局、約半数の同級生が最後まで残り、散会したのは夜中12時を過ぎていた。田舎の同級生というのは本当にいいものだなあとあらためて感じ、また次回も計画したいと思った次第である。同級生のみんなありがとう!また逢おうね。  

もうりょう

2007-08-14 15:27:55 | 田舎の生活
我が地区では、毎年お盆の8月13日に“もうりょう(もうりょ?)”と呼ばれる行事がある。これは、初盆を迎えた家庭の親族が、なにやら仏教用語などの書かれた“旗”(幟?正式な名称がわからない)のようなものを持って、鉦と太鼓の音にあわせてぐるぐるねり回るという単純なものだ(写真参照)。
初盆(または新盆)は、故人が仏になって初めて里帰りするということだろうから、この行事は故人の霊を迎える、あるいは霊を慰める、というような意味合いがあるのだろうが、ちゃんとした由来や“もうりょう”とはどういった漢字が当てられるかは知らない。まさか、「魑魅魍魎」の「魍魎」ではないだろう。“もうりょうを舞う”という言い方をするが、これはおそらく踊るということではなく、鳥が舞う、木の葉が舞うなどのように、くるくる回ると言うほどの意味だろうと思う。いつか、詳しい由来などを地区の古老か和尚さんに聞いてみたいと思っている。
その“もうりょう”、今年は例年になく亡くなられた方が多かったため、参加者・見学者も非常に多かったようだ。夜の盆踊りもたくさんの人で賑わっていた。

おしょろい棚

2007-08-13 13:30:10 | 田舎の生活
お盆がやってきた。最近では簡略化されている地域も多いと思うが、我が地区ではお盆の期間、“おしょろい棚”をつくり、そこに仏壇から出した位牌を安置して線香・蝋燭や供え物などを飾る。“おしょろい棚”のつくりはテーブル状だったり、ひな壇のようになっていたりと様々あるようだが、我が家では写真のように高床式風の棚になっている。これは簡単に組み立て・解体ができる仕掛けになっている。
“おしょろい棚”とは、“精霊棚”のことで、お盆の間、我々が生活する娑婆の世界でご先祖様や亡くなった家族と一緒に過ごして頂くと言う意味があるようだ。今夜は“迎え火”をたいてご先祖様の霊をお迎えし、15日には“送り火”をたいて、翌日には精霊棚を片付けることになる。送り火は16日に行う地域が多いようだが、なぜか我が地区では15日のようだ。
私が小学生の頃は我が地区では、旧暦の7月15日を中心にお盆行事が行われていたが、その後、全国的にも普及した月遅れの日程で実施されるようになった。その頃は、8月13~16日の4日間、毎晩深夜まで盆踊りが行われ、県外などから帰省された方達も大勢参加し、踊りの輪が2重・3重になるほどとても盛況だった。若い人たちは深夜まで残って踊っていたので、深夜12時を過ぎた頃には、盆踊りの後なぜかフォークダンスが行われていた時期がある。私もこのフォークダンスが始まるのをどきどきしながら待っていた時代がある。 
しかし、人口の減少に伴い現在では、盆踊りは13日と14日の2日間だけとなった。
ところで、お盆と言うのは、正式には“盂蘭盆会”というようだが、子供の頃には“盂蘭盆”を“裏盆”だと思っていた。実際その頃は、本ちゃんのお盆行事が終わってから、数週間後に“うら盆”だといって盆踊りもやっていた。あのころの“うら盆”とは一体何だったのだろうか

墓掃除

2007-08-11 15:53:33 | 田舎の生活
お盆が近づいたので、草刈や落ち葉などを掃除するために、午後お墓へ行った。我が地区は、標高100~200mの宇和海に面した半島斜面に集落があるのだが、墓地はさらにその上の標高225~250mに位置している。そのため、昔は石段を汗かきながら登ったものであるが、近年農道ができて墓地までは車で行けるようになり、ずいぶんと楽になった。一般に墓地は、お寺に隣接してあるのだろうが、我が地区では集落の中央にごく小さなお寺があり、墓地からはずいぶんと離れている。ただし、そのお寺に和尚さんは常駐しておらず無人である。
そんな場所に墓地があるので、写真でみるように宇和海を一望でき眺めはすこぶる良い。やはり先人は、ご先祖様に見晴らしの良い場所に眠ってもらおうと考え、開墾したのだと思う。その他、集落のあちこちに古そうな小さなお墓がいくつかある。おそらくこれらの小さなお墓は、現在一ヶ所にまとまってある墓地ができる前にそれぞれの家で造り祀られたものではないかと思う。残念ながら、私は現在の墓地がいつ頃造られたのか知らない。機会があれば、地区の古老に聞いてみたいと思う。

森の神フンババを救え

2007-08-10 12:02:17 | 政治・社会
先日新聞に「世界の地表3割砂漠化」との、国連大学の調査報告が載っていた。これは大変なことである。報告によると、過剰な家畜の放牧や農地開発が原因とされており、「このままでは地球温暖化の影響も加わって砂漠化がさらに深刻となり、10年後には、世界人口の3分の1近くに当たる20億人が影響を受け、5千万人が居住地を失うことになる」と警告している。そして、国連大学は、砂漠化対策のための投資や国際援助の拡大、国の土地利用政策や農業政策の見直しなどを提言している。
砂漠化などの環境破壊は、おそらく人類の文明とともに始まったのだろう。家畜の放牧は、何も今に始まったことではなく、古代文明の栄えた地域では農耕牧畜という新しい生産方法を発明して以来、自然環境の破壊が行われている。そして、人類が巨大な都市文明を発明したときに、環境破壊はますます著しくなった。そう、シュメールの王ギルガメッシュが森の神フンババを殺害したときから。などと、哲学者の梅原猛さんは以前から指摘している。このほか、焼畑農業も砂漠化に大いに関与していると思う。
さいわい日本は、まだ国土面積の約3分の2は森林で覆われており、そのうちの4割は原生林だという。日本において、これほど多くの森林が残されている要因について、梅原氏は、農業と深い関係があると指摘する。日本に農業が移入されたのは約2千年前であり、文明の先進地帯と比べれば大変遅く、また移入された農業が牧畜を伴わない稲作農業であったことが関係しているだろうと。つまり、水稲農業は小麦農業よりはるかに多くの水が必要であり、水を確保するためには川がなければならないし、川に豊かな水が流れるためには、やはり森がなくてはいけない。それで日本では、水稲農業の神は森の神と共存して、今日でも豊かな森に恵まれているというふうに読み解いている。
私の住むこの半島も数十年前に比べれば、国道、町道、農道など生活基盤の整備が進み、森林が少なくなってはいるが、それでもまだまだ自然環境に恵まれていると思う。人間の傲慢さによるこれ以上の自然・環境破壊はもうやめにして、梅原氏の指摘するように、人類は“共生と循環”という智慧を取り戻さなければ、この危機を克服することができないだろう。
お盆が近づき、ご先祖様のことと自分のこの先を考えながら、そんなことを思っている今日この頃である。 

最後の1個

2007-08-09 14:13:35 | 菜園
庭に鉢植えしたミニトマトの最後の1個が赤く熟した。もう葉っぱは全て茶色く枯れていたので、熟すのだろうかと心配したが、立派なものである。思えば、6月14日に初収穫して以来、約2ヶ月間美味しい味を楽しませてくれた。一時は鳥に何個か食べるなどの災難もあったが、1株で100個近く食べたと思う。
ミニではなく普通の大きさのトマトもまだ少し畑になっている。これもまた美味しく、奥さんは大変喜んでくれている。私はあまりトマトが好きではなかったのだが、今年初めて自分で育てたトマトは、スーパーなどで売っているものより格段に美味しかった。トマト本来の味を知った思いで、逆にトマト好きになったくらいである。また、来年も美味しいトマトを食べたいと思う。

苦しそう

2007-08-08 13:15:22 | 政治・社会
今日も朝から強い陽射しが照りつけ、宇和海は太陽光線がぎらぎら反射し、クマゼミとミンミンゼミが大合唱している。そして、クーラーの無い部屋にある私のパソコンは苦しそうでうめくような音を立てている。少しでも涼しくしてやろうとパソコンに扇風機の風を当てているのだが、やはり苦しそうだ。
安倍首相も苦しそうだ。昨日の自民党代議士会で、散会間際に中谷、小坂、石破の3議員から首相に“退陣要求”が突きつけられた。特に、おとなしそうな中谷議員は、こころなしか声が震えているように感じた。最初に物申したわけだし、勇気ある行動だと思う。参院選で大敗したにも関わらず、自らは何も責任を取ろうとせず、何をどうするかの説明もしない安倍首相に、業を煮やす議員が身内からでるのは当然だろう。自民党はまだ少しは健全さが残っているということだろう。安倍首相のお手並み拝見だ。“急性ストレス障害”にならないで下さいよ。 

こんなに暑いのだが、暦の上では今日が立秋だとのことである。とうとう1枚も暑中見舞いを出さずじまいだった。