喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

大阪での結婚式の結末 ~今宵は、メディアカフェ~

2016-09-23 | 感動
 生涯決して忘れることはないだろう、父と私の思い出の1ページ。

 3年前の平成25年9月21日。
 大阪で結婚式・披露宴が終わり、愛媛に帰るため父と一緒に夜行バスを待つ。
ところが出発時間を少しまちがえ、乗り遅れ。
 バスセンター職員さんの好意により、明朝7時のバスに乗れることになったが、
大阪で泊まらなければならなくなった。

 ところが右も左もわからない大阪。
しかも時間は23時を過ぎていた。

 先ほどの職員さんに相談したところ、
「歩いて5分ほどの所にあるメディアカフェが一番便利。
安いし、シャワーもついているし、仮眠程度なら十分。」

 何とこの歳になりメディアカフェとは。
しかも73歳の父もいる。
 しかし、背に腹は代えられず、そのすすめにのることにした。

 父との先ほどまでの盛り上がりは冷めてしまい、
もうしわけない気持ちでいっぱい。


 教えてもらった今夜泊まるメディアカフェを探した。
そして5分ほど歩き、ネオンで光るカフェにたどり着く。



 この手の店は、初めてなのでおそるおそる店に入る。
一瞬、本屋かレンタルビデオ店かと思うような雰囲気。
壁にはびっしりマンガ本などがならぶ。
 ようするにマンガ喫茶とネットカフェが合わさったような店だった。

 手続きを済ませ、店員さんに案内された番号の個室に入る。
 個室と言っても隣との仕切があるだけで、
天井はなく、立ち上がると店内が見わたせる。

 2人用の部屋にしたため、椅子ではなく、硬めのベッドのような感じ。
もちろんパソコンはあるが、使う用はなく、マンガなども見ることもなく、
寝る準備をした。

 父と2人がようやく横になれるほどのスペース。
「こんなことになってごめん。」
とおわびした。
 父は黙ってニヤリと微笑んだ。
こうして私たちは長い1日を終え、眠りについた。

 私のみならず、73歳になる父の初めてのメディアカフェ利用。
これまた忘れられない思い出になった。

 人生、何があるかわからない。



 
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大阪での結婚式の夜にアクシデント

2016-09-23 | 感動
 忘れられない3年前の平成25年9月21日。

 大阪で中野明徳おっちゃんの長男の結婚式があった。
賢い2人で、お互いのことを思いやるすてきな夫婦。
 久しぶりに再会した人もたくさんいて、とってもいい結婚式と披露宴。



 楽しい時間はあっという間に過ぎてお開きになった。
22時50分、梅田発の帰り夜行バスまでには4時間以上もある。
父と一緒に梅田まで歩こうと新御堂筋をてくてく。
休日のため人通りは多くない。

 40分ほど歩き、梅田に到着。
まずバスセンターを確認し、歩いて3分の場所にあるビルの居酒屋に入った。
旅館を思わせるような落ちついた空間。

 あれこれと話をする父と私のすてきな時間。
もちろん父と過ごす居酒屋でのこんな時間は初めて。
人生の大半を田舎で土を愛しながら生きてきた父だから。
 客が多くなり、2時間でラストオーダー。

 まだバスの時間までは1時間半以上あったので、居酒屋をはしご。
それでも話は尽きず。
父との思い出のひとときとなった。


 
 10分前くらいにはバスに乗ろうと22時43分頃にバスセンターの窓口へ。
乗車券を差し出すと、とんでもない言葉が返ってきた。
「お客さん、このバスはもう出発しましたよ。」
何と私のかんちがいで、バスの出発時間は22時50分ではなく、40分だったのだ。


 窓口の職員さんに何とかならないか相談。
20分後の11時10分最終便に空きがあれば何とかなりますと、
望みをつないだ。
 そして運命の最終バスがセンターに入り、
運転手さんに空き席を確認してもらった。

 予約しているがまだ乗車していない人がいるとのこと。
その人に乗車確認の電話をするがつながらない。
と、その時予約していた男性が息を切らせながら到着。

 完全に夢は消えた。
職員さんから明朝7時のバスなら乗車できるとのこと。
ありがたくお願いした。

 今夜はいったいどこに泊まろうか。
父と息子の大阪の夜はまだ終わらなかった。

 そして探しあてたのが何と…。


          岬人(はなんちゅう)
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故郷を抱いて生きる明徳おっちゃん

2016-09-23 | ふるさと
 3年前の平成25年9月21日。
 大阪に住む中野明徳おっちゃんの長男の結婚式があった
父と母夫婦での予定だったが、母に代わり私が父と一緒に行くことになった。

 父がもっとも慕う明おっちゃん。
 平磯出身の明おっちゃんは、父の二歳上の従兄弟。
中学を卒業し、同じ平磯出身で工務店を経営し成功していた河野武市さんのもとへ弟子入り。
3年の弟子入り、奉公。

 その後就職して3年経ち、弟の日三夫さんが二名津中学校を卒業するのを待ち、
母シゲと日三夫さんをに大阪に引き取った。
 たいへんな苦労と努力の末、暮らしの基礎を築いた。



 明おっちゃんは、けがと病気のため、結婚式への出席が危ぶまれた。
でも体調が大丈夫な段階まで参列するとのこと。



 式場に到着し、明おっちゃんの控え室を尋ねる父。
ドアを開け、中に入ると正面に車椅子に座っていた。
 私たちの姿を見ると、明おっちゃんは顔をくしゃくしゃにして泣き、涙をぬぐった。
うれし涙なのか、くやし涙なのか。
たぶん両方だろう。

 同時に父の目からも涙がこぼれた
言葉を交わさなくても、心から通じ合っている2人。






 その後、式、披露宴と進んでいく。
そして披露宴も終わりに近づいた頃、明おっちゃんについに限界がきた。
 私たちのテーブルを後にする車椅子に乗った明おっちゃん
「おっちゃん元気でな。」
と手をにぎると、それまで以上に涙を流された。
 奥さん、親戚、家族、新郎新婦、新婦の両親、そして私の父に見送られ会場をあとにした。




 みなさんそれぞれの思いが痛いほど伝わる。
父だけは控え室までついていき、しばらくしてからもどって来た。

 2人は、故郷平磯や生家の話で盛り上がっていた。
明おっちゃんが故郷を離れて60年が経つ。
おっちゃんの中には、故郷の山や海、人は変わらずあるのだろう。




 人はいつも故郷を抱いて生きている。
人のつながりは血縁・地縁そして思いでつながる縁などさまざま。
そんなつながりが少しずつ薄っぺらくなっているような昨今。
 明おっちゃんは、故郷平礒やそこに暮らす人たちへの思いをますます強めている。
切ないほどの思い。

 故郷を離れている懐かしの人とまた会いたい。


                 岬人(はなんちゅう)
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