喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

男の隠れ家でのすてきな時間 ~もにこど2~

2016-09-21 | 感動
 昨年の今頃、猛烈な肩や首・背中の痛みに悩まされ、
ようやくその痛みが和らいできたころだった。
 たくさんの人に心配してもらい、健康のありがたさを肌で感じていた。

 昨年の9月21日は、シルバーウィーク唯一の休日で、
前日松山で研修があり宿泊していた。

 家族もそれぞれ用事があったので、久しぶりに自分の時間を過ごせた。
岬への帰り道にどこかおもしろいところはないものか。

 もう10年以上も前だろうか、伊予市に大谷池というダム湖があり、
その周辺が県立森林公園になっていた所に行ったことがあった。
 自然を暮らしの中にどう生かすかに興味があるので、久しぶりに行ってみたくなった。

 その途中、知り合いのおすすめで、おもしろいカフェがあるということで立ち寄ってみた。
カーナビで車を走らせるが、くねくね道でどうみても人家の中。
こんな所に店があるのだろうか?

 そしてついに目的地に到着。
その家は少しおもしろいデザインなものの、どうみても普通の民家にしか見えない。



 入口さえよくわからないくらい。
しばらく家の回りをぐるぐると。
 そしてようやく見つけ、入口の戸を開けるとおしゃれな玄関ホール。
正面にはほどよい古さの調度品が置かれていて、部屋へ入る気持ちを誘ってくれる。



 入ってみるとビックリ。
何段か下がった所に、フロアがあり、カウンターと椅子テーブル、そして和風な板間。
ちょっとおしゃれなリビングといった感じ。
お客さんが結構いて、にぎやかにおしゃべりをしている。

 空いている席が板間しかなかったので、窓際の席に座る。
そこから見える景色にまたビックリ。



 すぐ手前にみかん畑があり、何軒か民家がすぐそばにある。
遠くには、刈り取り前の稲穂がゆれる田んぼが広がっている。
さらに遠くには瀬戸内海とそこに浮かぶ島々。
 見晴らしがよい所に建っている我が家感覚だ。

 メニューを見るが、聞きなれないメニューは注文できず。
せめて普通のコーヒーではなく、香りがよさそうな炭火コーヒーをたのんだ。



 待つこと10分。
個性的なカップに入ったコーヒーが運ばれてきた。
そしておもしろい入れ物に入った砂糖。
味は、炭火のちょっとした苦さが、ほどよかった。

 これだけでも十分だったのだが、普段はあまり食べないスイーツを注文した。
最近、自然食に興味があるので、よもぎ入りのシフォンケーキとラズベリーのケーキセット。
イチジクが入ったヨーグルトのようなものも。
 実に柑橘農家らしい選択。



 味は、むつこくなく、あっさりの甘さでおいしい。
うちのデコポンや清見タンゴール、伊予柑、サンフルーツなどもこんなアレンジはできないものだろうか。

 運んできてくれた店のご主人と少し話をすることができた。

「このお店に感激しています。もちろん飲み物やスイーツはこだわりが感じられます。
それ以上に交通の便があまりよくないこの場所にお店を開いたということがすごいですね。」


 するとおもしろい返事が返ってきた。

「店のメニューのよさはもちろんですが、店までの道を楽しんでもらいたいという気持ちがありました。
 大きな道路のそばのにぎやかな場所は便利です。
 それに比べるとここは不便ですが、民家をすり抜けるような道を、
季節の自然を楽しみながら来ていただくことができます。
 そんな非日常を感じていただきたいと思っています。

 これは、地元生まれではない私たちだからこそ魅力に感じたことかもしれないですし、
でもそんなふうに感じてもらえるお客様は多いと思います。
 地元の方は、ずっと暮らしてきてこれがあたりまえになり、
そのすばらしさに気づきにくいのではないでしょうか。」


 すごくいい話だった。
そう考えると、私の超田舎のふるさと平礒は、とびっきりのすてきな場所なのかもしれない。
確かに少しずつではあるけれど、そう感じている。

 男の隠れ家 「もにこど2」。
またぜひこっそり来てみたい家だ。

                    岬人(はなんちゅう)

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クアーズフィールドでメジャーリーグ観戦

2016-09-21 | 感動
 13年前の平成15年度文部科学省日米国民交流・若手教員のアメリカ派遣をふり返りながら追体験。
9月18日夕方にコロラド州の州都デンバーに到着。
それから21日(日)までの3日間は、時差ぼけなど体調の調整や活動の準備。

 21日はホテルのすぐ近くにあるクアーズフィールドにメジャーリーグ観戦に行った。
歩いてすぐの場所でメジャーリーグが見られるなんて、贅沢だ。
クアーズフィールドは、コロラドロッキーズのホームグラウンド。



 インターネットで調べてみた。
 
「ここデンバーは、海抜1600メートルの平地。
 コロラド州の東側は、海抜1600メートルの平地だが、
2000キロ東の大西洋までなだらかに高さが減って行き、大西洋沿岸で海抜ゼロになる。

 デンバーの西にはロッキー山脈が連なり、標高4200メートル級の山がいくつも(正確には53)ある。
デンバーから車で3時間も走れば、これらの山のいくつかの頂上付近に到達することができる。

 しかし、デンバーそのものは、標高1600メートルの平地。
東側を見ると、(海抜1600メートルの)平原が地平線まで続く。
 西側には山脈があるが、山の麓(山の麓自体が、海抜1600メートル以上)まで車で40分~1時間なので、
ちょこっと高い山脈程度にしか見えない。」




 こんなすてきな場所にあるのが、クアーズフィールド。
クラフトビールの醸造所が併設されていて、ビールを飲みながら野球観戦するには最高。









 アメリカの人たちは、地元愛が深い。
コロラドロッキーズも地元の人たちにとても愛されている。
 スタンドとフィールドとの距離も近く、一緒になって盛り上がることができる。






 スポーツによって地域が元気づく。
まるで、今年優勝した広島カープのようだ。


           岬人(はなんちゅう)







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ロッキー・マウンテン・ハイ (Rocky Mountain High) からふるさと佐田岬を思う

2016-09-20 | ブログ
 平成15年、3ヶ月間の「日米国民交流若手教員のアメリカ派遣」
13年前の9月20日、研修スタートの前にロッキー山脈国立公園に行ってみた。

 公園を東西にぬけるトレール・リッジ・ロード (US-34 / Trail Ridge Road) は、
山頂の大陸分水嶺を通りぬけるが、分水嶺近くのアルパイン・ビジター・センター (Alpine Visitor Center) や
前後のビュー・ポイントからは、壮大なロッキー山脈の山々の眺望が楽しめる。

 まさに、ジョン・デンバー (John Denver) のロッキー・マウンテン・ハイ (Rocky Mountain High) の世界。

ジョンは、1970年代前半から1990年代にかけて活躍したアメリカのカントリー・ポップス・シンガー。

「ロッキー・マウンテン・ハイ」は、数あるジョン・デンバーの曲の中でも代表曲の1つ。
カントリー・ミュージックをベースにした、素朴でアコースティックな味わいの曲で、
ギルドのアコースティック・ギターを弾きながら軽やかに歌い上げている。

 歌詞は、「彼は27歳の年に生まれた。そして、今までやって来たこともない場所に戻ってきた…」
というおもしろい表現で始まっている。
 都会生活に見切りをつけた若者が、ロッキー山脈の自然の中で暮らし始めて、
その生活に新たな意味を見出していく姿が描かれている。

 この曲が作られた1970年代前半の日本は、右肩上がりの高度成長時代が終わりを迎えた頃。
それまでの日本社会は、戦後の復興から目覚ましい発展をとげ、
GDPではアメリカ合衆国に次ぐ世界第2位の大国にまで上りつめた。

 一方で、経済の停滞や公害問題が深刻になってきた。
それまでの猛烈な生き方への反省として、人間性の回復などがクローズアップされた時でもあったようだ。
自然(nature)に帰ることが求められてきた時代と言えるだろう。』



 

では、ロッキー・マウンテン・ハイの歌詞をかみしめながら。



『ロッキーマウンテンハイ 作詞作曲 ジョン・デンバー&マイク・テイラー 訳詞 マーヤ
 
彼は27歳の夏に生まれた
未だかつて住んだことのないふるさとに戻ってきた
彼は過去に別れを告げ生まれ変わったと、あなたは言うかもしれない
彼はどんな扉をも開ける鍵を見つけたんだと

彼が初めてその山に来た時、
人生について迷っていたんだ
道すがら歌いながら
でも、弦が切れても彼は気にしなかった
変化というものは素早く変わるし、いつまでも同じままじゃないから

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
星灯かりの影は子守唄よりも柔らかく優しい
ロッキーマウンテンよ

彼は大聖堂のような山に登り、銀色に輝く雲を足元に見た
彼には何もかも彼方に見えた
みんなは彼のことを気ちがい呼ばわりした
太陽に触ろうとしたと
彼はとある友人を失ってしまったけれど、思い出だけは失うことはなかった

今や彼は森や小川の中を一人静かに歩いている
一歩一歩あるきながら美しいものを探し求めていた
彼は内なる心に向けられ、その思いを理解しようとしていた
青く澄みきった山の湖の穏やかさも

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
神に話しかけ気さくな返事に耳を傾けよう
ロッキーマウンテンハイ

彼の人生は不思議なことだらけで心は怖れに満ちている
簡単なことすら理解できなくなっている
なぜ彼らは山を引き裂こうとしているのか
人々が増え、地には傷跡が残ろうとしているのに

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
鷲が空高く飛ぶのを見なかったら
彼はもっと貧しい男になっていただろう
ロッキーマウンテンハイ

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
友よキャンプファイヤーを囲んでみんなで楽しくやろう
ロッキーマウンテンハイ
ロッキーマウンテンハイ
ロッキーマウンテンハイ』


 都会生活に見切りをつけた若者が、ロッキー山脈の自然の中で暮らし始めて、
その生活に新たな意味を見出していく姿が描かれている。

 ふるさと佐田岬にもたくさんの魅力がある。


                       岬人(はなんちゅう)
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デンバーでの生活  ~ロッキー山脈に登る~

2016-09-20 | 感動
 平成15年日米国民交流若手教員のアメリカ派遣。
9月20日、コロラド州デンバーでの研修を前に、ロッキー山脈国立公園観光に行った。

 自然の美しさにかけては、コロラド州に及ぶ場所はなかなか見つからないと言われている。
 多くの山、川、牧草地、大平原および湿地には、1000種類以上の野生生物が住み、
あらゆる場所で自然を楽しむことができる。
 しかも、コロラド州は、半分以上が公用地で、レクレーションのために管理されている。



 コロラド州には、ロッキー山脈の山岳地域において、4200メートル以上の山が54あり、
スイスの6倍の規模を誇っている。
これらの山々は、人気のある行楽地となっており、息をのむような景色を満喫できる。

 ロッキー山脈国立公園はコロラド州、ちょうど山脈の中間、最高峰のエルバート山もあり、
植物、生態系が非常に豊かでまったく手付かづの自然が残されている地域である。 





 ロッキー山脈には米国カナダあわせて10の国立公園があり、
バンフ、イエローストーン等もその中に入るが、
そんな中でグレーシャー国立公園とロッキー山脈国立公園は、
もっとも人の手が加えられない自然がそのまま残っている公園。 

 グレーシャー国立公園に比べ、ロッキー山脈国立公園はアクセスが良く、
デンバーからわずか2時間弱で玄関口のエステスパークに到着できるのも魅力のひとつのようだ。



               

                     「きれいなエステスパークのまち」

 観光のために設けられた道路は主要道路が一本のみ、豪雪地帯のため、
入り口付近は通年開いているが、車で標高3500mを超えるフォールリバー峠を超えるトレイル・リッジ・ロードは、
1年の半分以上雪に閉ざされてしまう。

 真夏でも万年雪が見られた。
 最高地点 (3,713 m) は、アルパイン・ビジター・センター近くにある。
ここでおり、あたりを散策。

 駐車場で目についたのが、HONDAのバイク「ゴールドウィング」。
「かっこいいな~」と見ているとその持ち主が現れた。
何と、かなりのおじいちゃん。
それに驚き、少しではあるがバイクの話、旅の話をした。




そして記念にバイクにまたがらせてもらった。



「日本のバイクは、最高」と言ってくれたおじいちゃんの言葉が感動的だった。

 何かきっかけを見つけて、現地の人たちと話がしたかった。




 気さくに話をしてくれるアメリカの人たち。
言葉はなかなか通じないのだが、何か気持ちで通じ合う感覚があった。


 この感覚は、それからの自分に大きな影響を与えた。

                   岬人(はなんちゅう)




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ふるさとを伝える、喜久家プロジェクトブログ

2016-09-19 | ふるさと
 昨日18日、日曜日。
驚くことにこの喜久家プロジェクトのブログ訪問者が、過去最多の366人。

 喜久家ボランティアがこのブログを開設してくれたのが、2009年11月。
彼女たちが旅立った、2010年2月から私が引きついだ。
旅立ちの時
「おさむさん、このブログの更新をよろしくお願いします。」

 全く筆まめではない自分にとって、たいへん困ったことだった。

 そこで考えたコンセプトが、
「このブログを通して、ふるさとの平礒などの様子を記していこう。
様々な事情があって、ふるさとを離れて暮らす人たちに、
タイムリーに、なつかしいふるさとの様子を伝えていこう。
それが、ふるさとで暮らす自分にできることの一つじゃないかな。」


 したがって、内容が超ローカル。
分かる人しか分からない内容も多い。
 それが平礒以外にも少し広がり、田舎者から見た視点や考えをも記すようになった。



 引きついだ6年前の2010年の頃は、
ブログを見る訪問者が、1日に20人くらいだった。
それが40人になり、80人になり、最近は平均150人くらい。
 そして昨日は、366人の訪問者。

 かつて訪問者が少ない頃は、誰が見てくれているか、だいたい想像できたが、
もうこうなったら顔が見えないことが多い。

 そしてたまに思いもよらない人から、
「喜久家ブログを見させてもらっています。」
という驚きの声が聞こえてくる。

 都会で暮らす平礒出身の方からも
「ふるさとのことがなつかしくて、うれしいです。」
といったうれしい声もいただくことがある。

「情報は、発信するところに集まってくる」
と教えてくれたのは、双海町の尊敬する若松進一さん。



 この言葉を心にとめ、超グローカルなブログを書いていきたい。


 
       岬人(はなんちゅう)
 
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初めてのアメリカ ~コロラド州デンバーでの生活~

2016-09-19 | 感動
 13年前の平成15年度文部科学省日米国民交流・若手教員のアメリカ派遣をふり返りながら追体験。
9月18日夕方にコロラド州の州都デンバーに到着。
それから21日(日)までの3日間は、時差ぼけなど体調の調整や活動の準備。

 アメリカでの研修は日本同様、土日が休日で、月曜日から金曜日までは研修がある。
この3日間はゆっくりと体を休めるというよりも、動き回りたいという好奇心の方が強かった。

 19日は、まずエンバシー・スイーツデンバーというホテルから1㎞ちょっとのクアーズフィールドに足を運んだ。





 ここは、MLBのコロラド・ロッキーズのホームグランド。
ここには、日本人選手が2人在籍していた。
1人は、吉井理人投手。
もう1人は、1996年のシーズン途中に、ニューヨーク・メッツからトレードで
コロラド・ロッキーズに移籍をした松井稼頭央選手。

 松井稼頭央選手は、移籍翌年の1997年のリーグ優勝に大きく貢献した。
また、コロラド・ロッキーズに所属はしていないものの、本拠地のクアーズ・フィールドと縁のある日本人選手がいる。
 それは、日本人メジャーリーガーのパイオニアである野茂英雄投手。
野茂英雄投手が、初めてノーヒット・ノーランを達成した球場が、クアーズ・フィールド。

 海を渡り、大きな夢に挑戦した日本人。
いつの時代もこのような時代の先駆けとなる人たちがいた。


 デンバーにあるこの球場は、標高がちょうど1マイル(1600m) の比較的高地にある。
そのため空気が低地の球場に比べて薄いために投球での変化球が変化しにくく、
打撃面では打ったボールが飛びやすいということでピッチャー泣かせの球場として知られているようだ。

 そして休日最終日の9月21日(日)、実際に試合を見に行った。
初めて見るメジャーリーグ。
 観客席とフィールドが近いのが大きな特徴。



 ファンに愛される地元の野球チーム。
アメリカでは、人種や民族などさまざまであるが、このような地元大好き、地元びいきの郷土愛が強い。

 違いが大きいゆえに、まとまるための何かが必要なのかもしれない。
違いは、豊かさを生み出す。


             岬人(はなんちゅう)

 

 

 

 
 
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平成15年度 日米国民交流若手教員の米国派遣  “Boys, be ambitious!”「少年よ大志をいだけ!」

2016-09-18 | 感動
 今から13年前、平成15年9月18日、成田空港からアメリカに向けて飛びたった。
後の報告書に次のようなことを書いていた。
 
 『私は、愛媛県の西端で社会科を教える一教師。
日本地図では、地名が載っていますが、世界地図になると当然のことながら地名は記されていません。
直径80㎝の地球儀から眺めても、その小ささにがく然とします。
地球は、とてつもなく広いのです。
 
 毎日の通勤距離が、往復60㎞。
購入10年目の愛車は、走行距離22万㎞を突破しました。
地球1周が約4万㎞と考えると、地球を5周半走ったことになります。
地球は、思ったより狭いようです。
 しかし、自分では実感がわきません。
地球の大きさがよくわかっていない自分がいました。

 海外旅行の経験は、これまでに韓国に1回だけ。
世界のこと(アメリカのこと)を写真やビデオ、説明などで授業をしますが、
本当のところはよくわかっていない自分がいました。
 
 大学生の頃、日本中をバイクで旅し、今でも旅は大好きです。
その魅力の1つは、自然を生で体感できるということです。
さまざまな地形と気候、そしてそこでたくましく生きる動植物が、自分の目の前に広がっているのです。

 もう1つの魅力は、さまざまな環境で生き、さまざまな考えを持った人に出会えることです。
その出会いは、今までと違う新たな自分との出会いにつながっていきます。
多くの人と出会い、つながりをもっていくことは、これからの教育において、とても大切なことだと感じています。
  
 ちょうど150年前、アメリカ合衆国の東インド艦隊司令長官ペリーが、4隻の黒船を率いて日本にやって来ました。
このときから、日本とアメリカの関係が本格的に始まります。
それ以後多くの人たちが互いに行き来し、交流を深め、時代をつくってきました。

 私の勤務校である伊方町立伊方中学校の前身は、伊方実践農学校という私立の学校です。
佐々木長治という人が、教育によるよりよい人づくりをめざし開校しました。
その初代校長として、札幌農学校で学んだ児島喜作先生が赴任しました。
児島先生は、札幌農学校でアメリカのクラーク博士から学んださまざまなことを人づくりに生かしたことでしょう。

“Boys, be ambitious!”「少年よ大志をいだけ!」。
記念すべき150年目、この言葉を胸に私の研修は、始まりました。』


 
 飛行機からアメリカの大地を見おろす。
どこまでも広がる平原。





 穀物を育てるセンターピボット。
世界の食料庫アメリカの規模の大きさに愕然。



 ついにデンバー空港に降り立つ。



 時差ぼけもなんのその。
州都デンバー(人口50万2000人)の中心地へ繰り出す。
見るもの全てが新鮮で、できるだけ多くのことを吸収したい気持ちでいっぱいだった。
 






 青年よ大志を抱け。

               岬人(はなんちゅう)


 
  
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平成15年度 日米国民交流若手教員の米国派遣 ~コロラド集団のすばらし仲間たち~

2016-09-18 | 感動
 平成15年9月17日、翌日の出発を前に成田空港のホテルに全国から集まった10名の仲間たち。
6月の筑波での研修以来の再会。

 コロラド州ボールダー班。
福岡県出身のコロラド集団団長の春野克俊(小学校教員)。
山形県出身の今 将史 (小学校教員)。
静岡県出身の亀井慎一 (中学校教員)。
鹿児島県出身の石神純子(高校教員)。
鳥取県出身の八田紀子 (小学校教員)。

 コロラド州フォートコリンズ班。
福岡県出身の因幡隆幸 (高校教員)。
宮城県出身の浦山正幸 (小学校教員)。
京都府出身の井口博恵 (小学校教員)。
高知県出身の三瀬薫子 (小学校教員)。

そして、愛媛県出身の副団長の私、浅野長武(中学校教員)。

 全国からさまざまな立場で活躍するすばらしい仲間が集まった。
大きな夢と期待を抱いて。

 私たちの研修テーマは、
feel ・ challenge ・ dramatic  ~ 和 ~

 この研修を通して、「和」の意味を見つめ直し、「和」の心を大切にしていきたいと考えた。
そして団員一人一人がfeel(心を感じて)、
challenge(勇気を出して思いを伝え)、
dramatic(新しいドラマを生み出すこと)
の意味を考え、行動する。
 このことで、出会ったアメリカの多くの人々(学校、地域、家庭)と私たち団員に、大きな「和」が生まれてくるだろうと考えた。

 そして9月18日(木)、成田発17:10、ユナイテッド航空876便。
シアトル経由、デンバー着 14:45。



 控え室の様子



 出発前





 いよいよ出発の時。
外から日本を、外からふるさとを感じる旅の始まり。

                      岬人(はなんちゅう)

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日米国民交流・若手教員の米国派遣(平成15年度)  人生のターニングポイント 

2016-09-17 | 感動
 人生のターニングポイントとは、自分の考え方や価値観が大きく変える出来事のこと。
今から13年前の平成15年、日米国民交流・若手教員の米国派遣がそれにあたる。

 日米首脳会談(平成8年4月)による日米国民交流計画を推進するための取組。
 25歳から35歳までの若手教員をアメリカに派遣し、現地の学校での活動、ホームステイ、地域社会での交流活動を通じて、
1 日本とアメリカの若者の相互理解を深めること。
2 派遣された教員の国際的視野に立った見識を高めること。
3 日本の小中高校の国際化を推進するための中核となる人材を養成することを目的としたもの。

 派遣期間は、9月中旬から12月中旬までの3ヶ月間。
コロラド州、ミシガン州、ミズーリ州、バージニア州、ウィスコンシン州の5つの州に
それぞれ10名グループで派遣された。

 思いもよらないチャンスに心踊ったが、気になることが2つあった。
1つは当時入院していた祖母の容態のこと。
もう1つは、3歳の双子と6歳の息子を働いていた妻にまかせていかなければならないことだった。

 結局、妻の後押しもあり、6月の筑波での研修を終え、9月から3ヶ月間のアメリカ研修に行くことになった。
出発したのがまさに13年前の今日9月17日。

 こんな長い出張は初めて。
上司の竹崎校長先生から大きなキャリーバッグをお借りした。
 重たいキャリーバッグを引っぱり、朝早い二名津口のバス停から松山空港、
そして集合場所の成田空港へ向かう。




 離れる家族のことを思うとすごく寂しい出発だった。
3歳の双子の娘たちはたぶんしばらくの別れの意味を分かっていなかっただろう。
きっと明日にでも家に帰ってくるような思いでいたのではないだろうか。

 6歳の息子には、じっくりと言って聞かせ、夏休みの終わりには双海町の海水浴場でおもいっきりいっしょに遊んであげた。
出発の朝、ニッコリと笑顔で「行ってらっしゃい」と見送ってくれた妻は、すばらしい。
心から感謝している。
 同じ住宅の上の階に住んでいた妹には、留守中たいへんお世話になる。


 成田空港に着いた頃には、気持ちも切りかえられ、やる気がわいていた。
たくさんの交流を行い、友をつくりたい。
いろいろなことを吸収して帰ってきたい。

 「Think Globally、 Act Locally」
この経験がもとになり、地球規模で考え、足元から行動するという礎を築き始めることになった。


                       岬人(はなんちゅう) 

 

 

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佐田岬の朝焼け

2016-09-17 | 佐田岬の風景
 朝焼けと夕焼け。
どちらもそれぞれの趣があり美しい。

 台風が接近中だが、今朝は朝焼けが見られた。
 
 高校1年生の娘たちがテニスの新人戦に行くため、
朝6:30分三崎高校に送っていったときのもの。

 対岸の釜木の尾根がオレンジ色に染まり、
グラデーションのように空に広がっていく。





 今日は1日バレーボールの部活動。
そして夜は飲み会。

 いい一日になりそうだ。

             岬人(はなんちゅう)

 
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佐田岬の十五夜お月さま

2016-09-17 | 佐田岬の風景
 毎年この時期楽しみにしていることがある。
それは中秋の名月。十五夜お月さま。

 ただし今年は、台風が近づいていて、天気があまりよくない。
昨夜の月。



 雲が空を覆い、ときおり月が顔をのぞかせる。


 「お月見をすると言われている十五夜は、「中秋の名月」とも言われています。
十五夜は満月を意味していて、新月と呼ばれる月が出ないときから満月になるまでおよそ15日ほどかかることから十五夜と言われています。
 空が澄んで特に美しく晴れ渡る空が見えるのが9月中旬〜10月上旬といわれ、
この時期に出てくる満月を十五夜または中秋の名月といいます。

〇 この十五夜はいつから始まったのでしょうか??(゜o゜)
お月見が始まったのは平安時代までさかのぼります。
江戸時代に入って、月は作物が月の満ち欠けと一緒に成長していくことから縁起がいいものとされていました。
そのことから十五夜は秋の収穫を喜び感謝する祭りとして今に至ります。

〇 それでは2016年の十五夜はいつなのでしょうか?
2016年の十五夜は9月15日(木)です!!
 十五夜は旧暦8月15日のことを指していますが、新暦と旧暦とではズレが出るので毎年十五夜の日は変わりますよ。

〇 十五夜は満月を意味しているので、毎年満月なのではないかと思われるでしょう。
実は十五夜はいつも満月ではありません!
 十五夜と満月は毎年1日ほどずれていることが多いのです。
 2016年で言うと十五夜は9月15日ですが、満月は9月17日となっています。
 新月から満月へとなる周期が14日〜16日とブレがあるからなんです!
                        shittoku.xyz より」


 中秋の名月、十五夜は、9月15日(木)でもう過ぎてしまった。
ただし、満月は17日(金)の今夜。
 月がきれいに見える田舎の夜を楽しもう。
 
                       岬人(はなんちゅう)
 
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石垣のある風景 ~平礒編~

2016-09-15 | 佐田岬の風景
 わが家の前の石垣のある風景。
お気に入り。

 時々、掃き掃除。

 玄関に明かりがともる。
違った趣のある風景。

 

 景観って、自然とできるものではなく、
創っていくもの。

 ふるさとをよりいいものにしていきたい。



         岬人(はなんちゅう)
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どうしてこんなに喜久家に帰ってくるの?

2016-09-11 | 喜久家ボランティア
 3日前の8日木曜日。
昨年H27年3月の国際ワークキャンプに参加した夏ちゃんが平礒に帰ってきた。





 というのも、9日の朝出勤しようとしたら、向こうから歩いてくる2人。
1人は今ワーキングホリデーを利用している台湾のゴー。
そしてもう一人の女性は? 何と夏ちゃん。
帰って来るとは知らされていなかったのでびっくり。

 握手をして、いつものあいさつが始まる。
「夏ちゃん、いやー、びっくり。おかえりー。」
前夜に帰ったばかりなのに、早速仕事の手伝いに来てくれたみたいだ。

 彼女にはいつもびっくりさせられる。
少しの暇を見つけては、東京から帰って来てくれる。
1年半の間で、何と今回で6回目。
 観光でもなく、すぐにわが家や貴光の柑橘仕事を手伝ってくれる。

 ということで、昨夜土曜日は、息子武蔵も松山から帰って来ていたので、少しばかりの懇親会。
高1の娘たちも東京の大学に興味があるみたいで、やってきた。
夏ちゃんが通う早稲田大学や大学生活のことなどを目を輝かせて聞いている。



 今年4回生の夏ちゃん。
進路について聞いてみた。

「以前は生活を便利や豊かにする物づくりについて興味があったんですけど。
その物の価値って、わずかな時間に過ぎないと思うんです。
すぐにまた新しい物がどんどんと生まれてくる。
 その一方、人を育てる教育って、その子どもたちを通して、
何十年も先の未来に影響していく、すごいことだと考えるようになりました。」




 夏ちゃんのそんな話を聞いていて、とてもうれしくなった。
人づくりは、地域づくり。そして未来づくり。
 それは学校の教師に限ったことではないのだけれど。

 喜久家ボランティアの若者たちはこの田舎に来て、
癒されたり、元気を蓄えたりするのだろう。

 そして田舎に暮らす私たちもそんな若者たちから元気をもらう。

 いいなー、こんな違いが多い者の交流って。

              岬人(はなんちゅう) 

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2001年アメリカ同時多発テロ後のニューヨークを訪れる

2016-09-11 | 社会
 今日2016年9月11日は、アメリカ同時多発テロが起こってから15年目になる。
 2001年9月11日――。いつもと変わらないニューヨークの朝。
ビジネスマンや市民がストリートを足早に歩いていた。
 午前8時46分、アメリカン航空11便は世界貿易センター北棟(110階建て)に時速750kmで突入し、爆発炎上。
その直後、ユナイテッド航空175便も南棟(109階建て)に突入し、爆発炎上。
 南棟に続き、北棟も大音響とともに崩壊。
 その直後、アメリカン航空77便はペンタゴン(国防総省本庁舎)に激突炎上、ユナイテッド航空93便はペンシルベニア州シャンクスヴィルに墜落炎上したとされる。

 突如として起きた米国同時多発テロ事件。
航空機4機のハイジャックによる史上最大最悪のテロ事件は、米国だけでなく世界中に計り知れない衝撃と悲嘆をもたらした。
 その余波は、米軍によるアフガニスタンとイラクへの報復戦争に飛び火し、おびただしい人たちが悲惨な犠牲を強いられた。

 日米若手教員米国派遣事業により全国から集まった10人。
事業も終盤12月、テロ事件から3年目になるニューヨーク(グラウンドゼロ)に行ってみた。

 世界金融の中心ウォール街。
 ティファニーなどのブランドショップが建ち並ぶ五番街。
 様々なイベントやショーでにぎわうブロードウェー。

 自由の女神とリバティー島。




 エンパイア・ステートビルからの展望。


 ロックフェラービルのクリスマスイルミネーション。


 そして世界貿易センタービルが建っていたグラウンドゼロ。


 破壊された鉄骨で追悼の十字架が立てられていた。


 グラウンドゼロ辺りには、様々な楽器演奏をする人たちや
絵や写真を制作して売る人たちが多くいた。
 そんななか、お土産に1枚の絵を買った。


 テロや戦争とは無縁なふるさとに暮らしながら、テロがあったグラウンドゼロに立ち、
不思議な感覚になったことを覚えている。

 報道によれば、確認された死亡者は3025人(ハイジャック機の乗員・乗客246人、国防総省125人、世界貿易センタービル2602人など)。
死亡者数に明らかな誤差があり、今なお多数の犠牲者の身元が不明。
 現在もおよそ2万グループに及ぶ遺体断片の確認作業が続けられている。
だが、米政府は、死亡者数の誤認や身元確認の遅滞の理由を公式には明示していないため、正確な犠牲者数を把握できない。

 たとえば、世界貿易センタービルの死亡者数には、ニューヨーク市消防局の消防士343人、ニューヨーク市警察本部の警察官23人、ニューヨーク港湾管理委員会の職員37人が含まれている。
 だが、粉々に破壊され、散乱したビルの残骸を現場検証したものの、およそ1100人もの遺体は発見されていない。

 つまり、ニューヨークでは、3,025人もの命が奪われながらも、
15年も経つのに未だ4割以上にあたる1,100人もの遺体が発見されていないという悲しい事実。
 

 この事件は、今でも様々な疑問が取り上げられている。
 テロ後の米軍によるアフガニスタンとイラクへの報復戦争も含め、
おびただしい人たちが悲惨な犠牲を強いられた。

 その一方で、政治や経済の面でかなり得をした人たちもいるだろう。
イスラム教はかなり厳しい見方をされたし、テロを許さないという考えでアメリカはまとまった。
そして報復戦争により軍需産業は潤った。

 この事件が仕組まれたことだったとしたら。

 国や世界の政治や経済に何の影響もない田舎で暮らしていても、
広い見方や考え方は大切だと考える。

  「Think Globally、 Act Locally」


亡くなった方々に祈りをささげる。
いつかまた、あの場所を訪れてみたい。

              岬人(はなんちゅう)




 


 
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ほろ酔い もみじ饅頭

2016-09-10 | 田舎暮らし
 田舎にいてもおいしいものは食べられる。
とれたての野菜や果物、魚介類はもちろん、流通が発達した現在では時として都会的なお菓子やスイーツまでも。
食が豊かになった。

 8月にめずらしいお菓子をいただいていた。
それを朝食べようと取りだした。
 贈ってくれた人が絶賛していた逸品。
その名も
「ほろ酔い もみじ饅頭」



 ところが思い出した。
「冷やして食べるとおいしいです。」
包装にも書いていた。
「冷やすと一層おいしくいただけます。」と。
ということで、これは食べず、冷蔵庫に。

 アイスコーヒーと一緒に、もう一つの洋菓子をいただいた。
 朝日で輝く釜木湾を見ながら。 

 田舎にはない味だ。



 朝のちょっとした幸せな時間。

 今晩は、郷帰りした喜久家ボランティアの夏ちゃん、台湾のゴー、弟、息子・娘たちとの懇親会。
これもまた幸せな時間となりそう。
 ビールを飲みながら、「ほろ酔い もみじ饅頭」を食べるとしよう。

          岬人(はなんちゅう)

 

 



 
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