喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

どうしてこんなに喜久家に帰ってくるの?

2016-09-11 | 喜久家ボランティア
 3日前の8日木曜日。
昨年H27年3月の国際ワークキャンプに参加した夏ちゃんが平礒に帰ってきた。





 というのも、9日の朝出勤しようとしたら、向こうから歩いてくる2人。
1人は今ワーキングホリデーを利用している台湾のゴー。
そしてもう一人の女性は? 何と夏ちゃん。
帰って来るとは知らされていなかったのでびっくり。

 握手をして、いつものあいさつが始まる。
「夏ちゃん、いやー、びっくり。おかえりー。」
前夜に帰ったばかりなのに、早速仕事の手伝いに来てくれたみたいだ。

 彼女にはいつもびっくりさせられる。
少しの暇を見つけては、東京から帰って来てくれる。
1年半の間で、何と今回で6回目。
 観光でもなく、すぐにわが家や貴光の柑橘仕事を手伝ってくれる。

 ということで、昨夜土曜日は、息子武蔵も松山から帰って来ていたので、少しばかりの懇親会。
高1の娘たちも東京の大学に興味があるみたいで、やってきた。
夏ちゃんが通う早稲田大学や大学生活のことなどを目を輝かせて聞いている。



 今年4回生の夏ちゃん。
進路について聞いてみた。

「以前は生活を便利や豊かにする物づくりについて興味があったんですけど。
その物の価値って、わずかな時間に過ぎないと思うんです。
すぐにまた新しい物がどんどんと生まれてくる。
 その一方、人を育てる教育って、その子どもたちを通して、
何十年も先の未来に影響していく、すごいことだと考えるようになりました。」




 夏ちゃんのそんな話を聞いていて、とてもうれしくなった。
人づくりは、地域づくり。そして未来づくり。
 それは学校の教師に限ったことではないのだけれど。

 喜久家ボランティアの若者たちはこの田舎に来て、
癒されたり、元気を蓄えたりするのだろう。

 そして田舎に暮らす私たちもそんな若者たちから元気をもらう。

 いいなー、こんな違いが多い者の交流って。

              岬人(はなんちゅう) 

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2001年アメリカ同時多発テロ後のニューヨークを訪れる

2016-09-11 | 社会
 今日2016年9月11日は、アメリカ同時多発テロが起こってから15年目になる。
 2001年9月11日――。いつもと変わらないニューヨークの朝。
ビジネスマンや市民がストリートを足早に歩いていた。
 午前8時46分、アメリカン航空11便は世界貿易センター北棟(110階建て)に時速750kmで突入し、爆発炎上。
その直後、ユナイテッド航空175便も南棟(109階建て)に突入し、爆発炎上。
 南棟に続き、北棟も大音響とともに崩壊。
 その直後、アメリカン航空77便はペンタゴン(国防総省本庁舎)に激突炎上、ユナイテッド航空93便はペンシルベニア州シャンクスヴィルに墜落炎上したとされる。

 突如として起きた米国同時多発テロ事件。
航空機4機のハイジャックによる史上最大最悪のテロ事件は、米国だけでなく世界中に計り知れない衝撃と悲嘆をもたらした。
 その余波は、米軍によるアフガニスタンとイラクへの報復戦争に飛び火し、おびただしい人たちが悲惨な犠牲を強いられた。

 日米若手教員米国派遣事業により全国から集まった10人。
事業も終盤12月、テロ事件から3年目になるニューヨーク(グラウンドゼロ)に行ってみた。

 世界金融の中心ウォール街。
 ティファニーなどのブランドショップが建ち並ぶ五番街。
 様々なイベントやショーでにぎわうブロードウェー。

 自由の女神とリバティー島。




 エンパイア・ステートビルからの展望。


 ロックフェラービルのクリスマスイルミネーション。


 そして世界貿易センタービルが建っていたグラウンドゼロ。


 破壊された鉄骨で追悼の十字架が立てられていた。


 グラウンドゼロ辺りには、様々な楽器演奏をする人たちや
絵や写真を制作して売る人たちが多くいた。
 そんななか、お土産に1枚の絵を買った。


 テロや戦争とは無縁なふるさとに暮らしながら、テロがあったグラウンドゼロに立ち、
不思議な感覚になったことを覚えている。

 報道によれば、確認された死亡者は3025人(ハイジャック機の乗員・乗客246人、国防総省125人、世界貿易センタービル2602人など)。
死亡者数に明らかな誤差があり、今なお多数の犠牲者の身元が不明。
 現在もおよそ2万グループに及ぶ遺体断片の確認作業が続けられている。
だが、米政府は、死亡者数の誤認や身元確認の遅滞の理由を公式には明示していないため、正確な犠牲者数を把握できない。

 たとえば、世界貿易センタービルの死亡者数には、ニューヨーク市消防局の消防士343人、ニューヨーク市警察本部の警察官23人、ニューヨーク港湾管理委員会の職員37人が含まれている。
 だが、粉々に破壊され、散乱したビルの残骸を現場検証したものの、およそ1100人もの遺体は発見されていない。

 つまり、ニューヨークでは、3,025人もの命が奪われながらも、
15年も経つのに未だ4割以上にあたる1,100人もの遺体が発見されていないという悲しい事実。
 

 この事件は、今でも様々な疑問が取り上げられている。
 テロ後の米軍によるアフガニスタンとイラクへの報復戦争も含め、
おびただしい人たちが悲惨な犠牲を強いられた。

 その一方で、政治や経済の面でかなり得をした人たちもいるだろう。
イスラム教はかなり厳しい見方をされたし、テロを許さないという考えでアメリカはまとまった。
そして報復戦争により軍需産業は潤った。

 この事件が仕組まれたことだったとしたら。

 国や世界の政治や経済に何の影響もない田舎で暮らしていても、
広い見方や考え方は大切だと考える。

  「Think Globally、 Act Locally」


亡くなった方々に祈りをささげる。
いつかまた、あの場所を訪れてみたい。

              岬人(はなんちゅう)




 


 
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