昨日18日、日曜日。
驚くことにこの喜久家プロジェクトのブログ訪問者が、過去最多の366人。
喜久家ボランティアがこのブログを開設してくれたのが、2009年11月。
彼女たちが旅立った、2010年2月から私が引きついだ。
旅立ちの時
「おさむさん、このブログの更新をよろしくお願いします。」
全く筆まめではない自分にとって、たいへん困ったことだった。
そこで考えたコンセプトが、
「このブログを通して、ふるさとの平礒などの様子を記していこう。
様々な事情があって、ふるさとを離れて暮らす人たちに、
タイムリーに、なつかしいふるさとの様子を伝えていこう。
それが、ふるさとで暮らす自分にできることの一つじゃないかな。」
したがって、内容が超ローカル。
分かる人しか分からない内容も多い。
それが平礒以外にも少し広がり、田舎者から見た視点や考えをも記すようになった。
引きついだ6年前の2010年の頃は、
ブログを見る訪問者が、1日に20人くらいだった。
それが40人になり、80人になり、最近は平均150人くらい。
そして昨日は、366人の訪問者。
かつて訪問者が少ない頃は、誰が見てくれているか、だいたい想像できたが、
もうこうなったら顔が見えないことが多い。
そしてたまに思いもよらない人から、
「喜久家ブログを見させてもらっています。」
という驚きの声が聞こえてくる。
都会で暮らす平礒出身の方からも
「ふるさとのことがなつかしくて、うれしいです。」
といったうれしい声もいただくことがある。
「情報は、発信するところに集まってくる」
と教えてくれたのは、双海町の尊敬する若松進一さん。
この言葉を心にとめ、超グローカルなブログを書いていきたい。
岬人(はなんちゅう)
驚くことにこの喜久家プロジェクトのブログ訪問者が、過去最多の366人。
喜久家ボランティアがこのブログを開設してくれたのが、2009年11月。
彼女たちが旅立った、2010年2月から私が引きついだ。
旅立ちの時
「おさむさん、このブログの更新をよろしくお願いします。」
全く筆まめではない自分にとって、たいへん困ったことだった。
そこで考えたコンセプトが、
「このブログを通して、ふるさとの平礒などの様子を記していこう。
様々な事情があって、ふるさとを離れて暮らす人たちに、
タイムリーに、なつかしいふるさとの様子を伝えていこう。
それが、ふるさとで暮らす自分にできることの一つじゃないかな。」
したがって、内容が超ローカル。
分かる人しか分からない内容も多い。
それが平礒以外にも少し広がり、田舎者から見た視点や考えをも記すようになった。
引きついだ6年前の2010年の頃は、
ブログを見る訪問者が、1日に20人くらいだった。
それが40人になり、80人になり、最近は平均150人くらい。
そして昨日は、366人の訪問者。
かつて訪問者が少ない頃は、誰が見てくれているか、だいたい想像できたが、
もうこうなったら顔が見えないことが多い。
そしてたまに思いもよらない人から、
「喜久家ブログを見させてもらっています。」
という驚きの声が聞こえてくる。
都会で暮らす平礒出身の方からも
「ふるさとのことがなつかしくて、うれしいです。」
といったうれしい声もいただくことがある。
「情報は、発信するところに集まってくる」
と教えてくれたのは、双海町の尊敬する若松進一さん。
この言葉を心にとめ、超グローカルなブログを書いていきたい。
岬人(はなんちゅう)