7月14日、愛媛新聞ヤング落書き帳に特集された中から、紹介します。
『「今ある史跡残し 語り継いでいく」 バンビ(14歳)
総合的な学習の時間に史跡めぐりをしました。
前回に比べ、戦争関係のものがたくさんありました。
印象に残った正野の砲台跡は、木に囲まれていて、
暗くて怖かったです。
でも昔は、そんな所や、
もっとたいへんな場所で働いていた人たちもいたんだなあと思うと、
今はとても幸せな時代なんだと思います。
私たちは昨年、広島で原爆の被害にあった方の話を聞きました。
興味を持ったので、その後はテレビなどでも戦争に関する話題や
戦争の被害にあった方の話などに気をつけるようになりました。
戦争の悲惨さと、戦争の被害にあった方のつらい気持ちを、
少しずつわかっていきたいです。
被害にあった方はだんだん減っています。
今ある史跡を残し、私たちが語り継いでいきたいです。』
写真は、砲台跡のわきを通っているところです。
砲台跡には、水がたまり、沼のようになっています。
この奥に迷彩色に塗られた通路と砲弾倉庫があり、
向こう側にも同じような砲台跡があります。
ここにたどり着くまでの山道も整備していないため、
なかなか人が近づくこともありません。
「どういった目的で、何を、どう残していくか」
地域や行政の姿勢が問われるところです。
まちがいのないことは、この貴重な戦争施設跡を感じた子どもたちが、
戦争や平和というものを、今までとは比べものにならないほど、
自分のものとして考えるようになったということです。
未来は、まさに人づくりなのです。
岬人(はなんちゅう)
『「今ある史跡残し 語り継いでいく」 バンビ(14歳)
総合的な学習の時間に史跡めぐりをしました。
前回に比べ、戦争関係のものがたくさんありました。
印象に残った正野の砲台跡は、木に囲まれていて、
暗くて怖かったです。
でも昔は、そんな所や、
もっとたいへんな場所で働いていた人たちもいたんだなあと思うと、
今はとても幸せな時代なんだと思います。
私たちは昨年、広島で原爆の被害にあった方の話を聞きました。
興味を持ったので、その後はテレビなどでも戦争に関する話題や
戦争の被害にあった方の話などに気をつけるようになりました。
戦争の悲惨さと、戦争の被害にあった方のつらい気持ちを、
少しずつわかっていきたいです。
被害にあった方はだんだん減っています。
今ある史跡を残し、私たちが語り継いでいきたいです。』
写真は、砲台跡のわきを通っているところです。
砲台跡には、水がたまり、沼のようになっています。
この奥に迷彩色に塗られた通路と砲弾倉庫があり、
向こう側にも同じような砲台跡があります。
ここにたどり着くまでの山道も整備していないため、
なかなか人が近づくこともありません。
「どういった目的で、何を、どう残していくか」
地域や行政の姿勢が問われるところです。
まちがいのないことは、この貴重な戦争施設跡を感じた子どもたちが、
戦争や平和というものを、今までとは比べものにならないほど、
自分のものとして考えるようになったということです。
未来は、まさに人づくりなのです。
岬人(はなんちゅう)