何気ない風景とひとり言

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観音崎砲台跡-(2) (横須賀)

2019年06月15日 | 史跡探訪-日本編

【神奈川・横須賀市】太平洋戦争後、観音崎は自然を残した公園として整備された。 砲台を結ぶ軍道はそのまま園道として利用され、園内には9つの砲台跡の遺構が残っている。 観音埼の砲台群は、<1>日本最初の西洋式砲台、<2>フランドル積煉瓦造砲台は東京湾要塞のみ、<3>数多くの遺構が良好な状態で残存....などが認められ、平成二十八年(2016)に「日本遺産」に認定された。
我が国初の西洋式砲台である第一砲台と第二砲台が着工されたのが明治十三年(1880)なので、来年2020年は東京湾要塞生誕140年を迎えるが、デビット佐藤さん作成の「砲台ガイドツアー」に、この機会に「観音崎の砲台という貴重な歴史的遺産を多く知ってほしい」、また「砲台跡の遺構を巡って理解を深め、歴史的意義と国土防衛に尽力した明治の日本人の厚い心を感じてほしい」と記されている。

トンネルをくぐると左手に閉鎖された掩蔽壕の弾薬庫があり、その先に第三砲台跡が見えるので第三砲台の弾薬庫だと思う。 第三砲台跡は真ん中の砲弾を格納する揚弾井を挟んで左右に砲台があったが、左側の砲台跡は消滅している。 また、第三砲台に配備された砲門は唯一榴弾砲なので、砲台はすり鉢状に造られ周りに墻壁を設けている。 揚弾井はフランドル積(フランス積)煉瓦で造営されているが、入口の石などが崩れかけていて気になった。
第三砲台跡からトンネルを戻って大浦堡塁の砲台跡に向かうと、間も無く、白い慰霊碑が聳える「戦没船員の碑」に着く。 ここが大浦堡塁の砲台跡だが、その面影は殆どなく、僅かに砲台への石段の頂部や周囲に巡らされたイギリス積焼煉瓦の墻壁の一部が残っているだけだ。
大浦堡塁から腰越堡塁の砲台跡に向かう....視界が急に開け、「うみの子とりで」のアスレチック遊具の広場に出る。 遊具傍の窪地が堡塁で、壁にイギリス積焼煉瓦が張られた2つの掩蔽壕の弾薬庫(と思う)があるが、いずれも埋もれていて完全に閉鎖状態。 堡塁の上にイギリス積焼煉瓦の墻壁で護られた砲座跡があるが、荒れた地面の急坂になっていて滑るので少々危険。 急坂脇の壁に階段の痕跡がくっきりと残っていて、ここに階段があったことが分かる。

■第三砲台跡
*明治十四年(1881)起工/明治十七年(1884)竣工
*28cm榴弾砲4門 (少し離れて2つの地下弾薬庫(閉鎖)、砲台傍に崩れかけた揚弾井(砲弾格納庫))
*観音埼砲台で唯一、敵艦の甲板を破壊する榴弾砲を配備/すり鉢型の砲台
 
第三砲台跡へのトンネル....イギリス積煉瓦が張られている(トンネル入口部ににはイギリス積焼過煉瓦)/トンネルを抜けた直ぐ左側にある第三砲台の掩蔽壕の弾薬庫(と思う)

閉鎖された2つの入口の真ん中と左右にはイギリス積焼過煉瓦が張られている

観音崎第三砲台跡....旧第三砲台(閉鎖)から榴弾砲2門を移設

榴弾砲のため砲台はすり鉢型の造り....揚弾井の右側の砲台跡

右側砲台の墻壁(右手)に設けられた弾室

右側砲台の墻壁(左手)に設けられた弾室
  
墻を仕切る控え壁の中央に加工部があるが、砲弾転倒防止の鎖等を引掛けるものがあったと推/墻壁の上に残る観測所への石段....榴弾砲なので敵が目視できす、敵までの距離を測る観測所があった/砲台前の基台壁面にクレーンを固定したと思われる加工部がある

砲弾を格納する揚弾井の両側に各2砲床の砲台があったが、左側の砲台は消滅した

左右の砲台跡の中央に設けられた揚弾井....基台部にフランドル積(フランス積)煉瓦が張られている
 
フランドル積(フランス積)煉瓦で造営された砲弾格納庫の揚弾井....崩れかけていて崩壊が懸念

■大浦堡塁の砲台跡
*明治二十八年(1895)起工/明治二十九年(1896)竣工
*車両式9cm平射砲(カノン砲)2門
*堡塁とは、上陸した敵が砲台の背後に回った時、砲台を護るための陸戦用の砲台
*砲台跡は「戦没船員の碑」造営の際に殆ど消滅

大浦堡塁の砲台跡....埋められたため面影は僅かしかない
 
砲台への石段の頂部(手前)や周囲に巡らされたイギリス積焼過煉瓦の壁が残っている

大浦堡塁に建てられた慰霊碑の「戦没船員の碑」

大浦堡塁から腰越堡塁に向かう園道の途中にある「めがね橋」から眺めた三軒家切通....切通は明治十六年(1883)に軍の資材運搬用道路として切り開かれた
 
明治十七年(1884)、切三軒家切通に煉瓦造りのめがね橋が架けられた....現在のめがね橋は2代目で、昭和四十年(1965)建築の鋼材製の桁構造

■腰越堡塁の砲台跡
*明治二十八年(1895)起工/明治二十九年(1896)竣工
*車両式9cm平射砲(カノン砲)2門 (2つの地下弾薬庫(と思う))
*砲台跡は「うみの子とりで」の遊具広場として利用/堡塁を形成する土塁、煉瓦壁、砲座、地下弾薬庫(閉鎖)などが残存

土塁と煉瓦の墻壁で囲まれた腰越堡塁の砲台跡
 
イギリス積焼過煉瓦が張られた墻壁/焼過煉瓦墻壁の下部のアーチ型に張られた部分は、埋もれた掩蔽壕弾薬庫の入口の上部だと思う

堡塁上の砲座跡への急坂....左の壁下に階段跡がある
 
.階段跡はこの急坂に石段があったことを物語る/車両式平射砲(カノン砲)があった砲座跡....イギリス式焼過煉瓦の墻壁で護られている

急坂を下った直ぐ右手の壁に先ほどと同じイギリス積焼過煉瓦が張られた掩蔽壕の弾薬庫....アーチ形煉瓦部分は弾薬庫入口の上部


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