何気ない風景とひとり言

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観音崎砲台跡-(3) (横須賀)

2019年06月18日 | 史跡探訪-日本編

【神奈川・横須賀市】腰越堡塁から樹林の中の曲がりくねった園道を暫く進むと三軒家園地に着く。 三軒家園地のトイレの後方の草木が生い茂る中に残るコンクリート製のカギ形の遺構を見学....三軒家砲台跡の案内板から見張所のようでもあるが、位置や形から違うようで、昭和時代の観測所跡という見方もあるそうだ。
三軒家園地から園道を下っていくと、門扉の固定金具が付いた門柱が立ち、その少し先にコンクリート製の2つの掩蔽壕の弾薬庫の入口があり、その一つの内部を見学した。 さらに園道を下っていくと、唯一2種のカノン砲が配備されていた三軒家砲台跡に着く。 観音崎砲台群の中では新しい砲台跡で、観測所、見張所、井戸、トイレ等が整備されていて昭和初期まで使われていたようだ。
27cmカノン砲を1門ずつ配備した大きな砲台跡が4つの並ぶが、砲台の広さから27cmカノン砲がいかに巨大なのかが想像できる。 ここにも墻壁の弾室の隅に伝声管があり、数人の方が糸電話のように声を張り上げて隣の砲台にいる人と言葉を交わしていた。 各砲台跡の間に壁にイギリス積焼煉瓦を張った地下弾薬庫への階段があるが、いずれも良く保存されていて見ごたえがある。
27cmカノン砲と12cmカノン砲の砲台跡の間に外壁にイギリス積煉瓦を張った掩蔽壕の観測所付属室があり、付属室の上に観測所施設の遺構があり見学した。 観測所施設は円形の壁で囲まれ、中央に観測機器の円形の台座があるが、雑草が生い茂っていてよく分からずだった。
観測所付属室の左手に12cmカノン砲の砲台跡があるが、荒廃しているうえ雑草に覆われているのでとても砲台跡には見えない。 草を分け入り墻壁があるとみられる所に近づくと、僅かに残る石積みがみられ、その前の砲座跡に錆びたアンカーボルトが円状に並んで地面から飛び出ている。
砲台跡前の園道を挟んだ向かい側に、石造り擁壁を設けた掘割があり、その入口に石造りの貯水鉢が置かれ脇に見張所跡への狭い石段がある。 掘割を入っていくと、一番奥にコンクリート製の掩蔽壕弾薬庫が2つある。 案内板から、この地下弾薬庫は、三軒家園地から三軒家砲台跡に向かう途中にある2つの弾薬庫と繋がっていた。
貯水鉢から園道を少し下がった脇に、三軒家砲台の砲兵が利用した井戸跡とトイレ跡とがあるが、いまはいずれも休憩所になっている。 最後の三軒家砲台跡を見学した後、横須賀美術館を通り抜け、湾に突き出た埠頭の弾薬庫係船場と海水浴場の中に残る物資補給船桟橋の遺構を遠望しながらパークセンターに戻った。
開国後、他国の侵略に危機感を抱いた明治政府が、帝都と国防最重要拠点の横須賀軍港を護るために築いた貴重な歴史的国防遺跡(「戦争遺跡」ではない!)....もっと遺構の整備が進み、文化遺産として長く保存されることを願いながら、帰路のバスに乗った。

■三軒家園地~三軒家砲台跡の間
*三軒家砲台に関連する施設とみられる遺跡群

三軒家園地の入口にある「旧砲台跡」と刻まれた「三軒家園地」標石
 
標石傍のトイレの後方の石段を上ると木立の中にコンクリート製のカギ形の遺構がある....三軒家砲台跡の案内板から見張り台か?(昭和時代の観測所とも言われている)/案内板からカギ形遺構の位置に見張り台があったとみられる....カギ形遺構の右奥に旧砲台跡があるらしいが不明

三軒家園地から三軒家砲台跡に向かう園道(旧軍道)....門扉の固定金具が残る門柱が残り、右手の土手に2つの掩蔽壕の弾薬庫の入口がある
 
パークセンター職員の方が、土手にある旧砲台の弾薬庫の入口を開けてくれている/弾薬庫の内部....壁は煉瓦ではなくコンクリート

■三軒家砲台跡
*明治二十七年(1894)起工/明治二十九年(1896)竣工
*27cm平射砲(カノン砲)4門/24cm平射砲(カノン砲)2門
*関東大震災で被害を受けたが復旧/観測所、監視所、井戸、トイレ等があったが昭和九年(1934)に廃
 止 (他の砲台は大正時代に廃棄)

三軒家砲台跡....明治二十九年(1896)竣工で、27cmカノン砲4門と12cm速射カノン砲2門を配備

墻壁にずらりと弾室(砲弾置場)が並び区切っている控壁の部分に伝声管がある
  
墻壁に設けられた伝声管....管内を覗くと奥に隣の砲台の景色が僅かに見える/石積みの石に刻印があり、切り出した地域によって刻印が異なるようだ
 
三軒家砲台は昭和初期まで利用されていたので、多くの遺構が良く残り、砲台群の中で最も見所がある/一番大きな27cmカノン砲1門が配備されたので砲台跡が広い

27cmカノン砲4門の砲台間3か所に設けられた地下弾薬庫の遺構(全て閉鎖)が当時の姿で残っている
  
地下弾薬庫の壁にイギリス積焼過煉瓦が張られている....入口の上に架かる渡り部は庇の役目か?/こちらの地下弾薬庫の入口の上には渡り部がない

27cmカノン砲と12cmカノン砲の砲座跡の間に設けられた掩蔽壕の観測所付属室....外壁下部や入口周りにイギリス積焼過煉瓦が張られている

観測所付属室の上に観測所施設の遺構がある....この状況から他砲台の弾薬庫は、入口上部のアーチ形煉瓦まで土に埋まっていることが分かる

分厚いコンクリー壁で囲まれた観測所施設の遺構....横壁の溝は?真ん中に観測機器の台座があるが雑草が生い茂っていてよく分からず

荒廃が進んでいる三軒家砲台跡の12cm速射カノン砲2門の砲台跡

僅かな石積みが残り砲台跡であることが分かる
 
砲座(床)跡に残っている速射カノン砲を固定するアンカーボルト/錆びたアンカーボルトが円状に並んでいたことが分かる

左手の石造擁壁の掘割は弾薬庫への入口....石造り貯水鉢脇に見張所跡への狭い石段がある

掘割の奥に設けられたコンクリート製の掩蔽壕弾薬庫....位置的に三軒家砲台の弾薬庫とみられる....三軒家砲台跡の案内板から先ほど見学した三軒家園地から下った園道脇の弾薬庫と繋がっていたようだ
 
三軒家砲台跡の案内板から、石積みの擁壁の所は井戸跡(と思う)/同じく三軒家砲台のトイレ跡(と思う)

左奥の湾に突き出た埠頭が明治二十年(1887)竣工の弾薬庫係船場(別の日に撮影)

海水浴場に残る遺構は昭和初期造営の物資補給船用桟橋の跡らしい....レールを敷設した跡がある(別の日に撮影)
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