
【長野・上田市】創建年は不詳。 歴代天皇の崇敬厚く、平安時代の大同元年(806)に神戸(封戸)として信濃国から1戸が寄進され、延喜五年(905)に醍醐天皇(第60代)の勅によって編集された「延喜式」(延長五年(927)完成)の神名帳に生島神・足島神が記されていることから、千年以上の歴史を持つ信濃屈指の由緒ある古社。
鎌倉時代に入っても皇室や武将の崇敬が篤く、建治年間(1275~1278)には武将・北条国時(陸奥守入道)によって社殿が営繕され、地頭の領家(荘園領主)から祭祀料の田地の寄進を受けた。 主祭神は生島大神(万物を生み育て生命力を与える)と足島大神(国中を満ち足らしめる)。
東の参道の入口に立つ紙垂としめのこを付けた注連縄が張られた朱塗りの両部鳥居をくぐり、大きな神池に沿って参道を進む。 神池に浮かぶ神島の木立の中に鎮座している社殿が見える。
参道の先に東御門と称す神門があり、門前の手水舎の前に立てられた高札に「手水で身体を清めてから参拝を....」と書かれている。 禊を行って身を清めた後、東御門をくぐって社殿境内に....。 東西を貫く参道の南側(左手)に、神池に架かるいずれも反り橋の石造り参橋と朱塗りの神橋があり、神島の老樹の中に上宮である本社が鎮座しているが、正面からは社殿がよく見えない。
正面と後方に唐破風の屋根を乗せた風格のある神橋(太鼓橋)は通行できないので、隣の参橋を渡って本社へ。 拝殿の右前には祭りに際して神様が降臨する「磐座 磐境」があり、白い玉砂利が敷かれた中に注連縄が張られた4つの岩が鎮座している。
本殿には御室と呼ばれる土間の内殿があり、大地そのものが御神体として祀られているそうだ。 本社で参拝した後、本社横の十三社と本社前に鎮座する子安社を参拝して参道に戻り、西御門をくぐって神池の南側の境内に鎮座する末社に向かう。

東参道の入口に立つ社号標石と両部鳥居の東鳥居....社号標石は明治四十一年(1908)造立で「国幣中社 生島足島神社」の刻

紙垂としめのこを付きの注連縄を張った朱塗りの両部鳥居....鳥居前の石燈籠は文化十年(1813)の造立

東参道から眺めた神池....池に浮かぶ神島の木立の中に本社(上宮)の社殿が鎮座している


切妻造銅板葺の東御門....門前右手に切妻造銅板葺の東手水舎

東御門から眺めた境内、右奥に屋根付神橋、手前に石造り参橋(反橋)、中央に本社拝殿、左に子安社

天保十一年(1840)造立の石燈籠越しに眺めた御神橋と拝殿

切妻を唐破風にした銅板葺屋根の御神橋

朱塗りの御神橋は太鼓橋(反橋)

神島の拝殿前から眺めた御神橋....後方右は神楽殿、左は西御門

池心宮園地の神島に鎮座する本社(上宮)の入母屋造銅板葺の拝殿....社殿は慶長十五年(1610)、上田藩主・真田信之の寄進で再建


拝殿向拝に紙垂としめのこを付けた大根注連の注連縄が張られ、水引虹梁の中央に脚間に彩色された巴文様風彫刻を配し2つの斗を乗せた大きな本蟇股がある/本殿には御室と呼ばれる室町時代建立の一間の内殿があり、床板がなく土間になっていてそこがご御神体(御霊代)になっている


注連縄が張られた4つの岩がある場所は「盤座 盤境」と称し、祭りの際に神様がここに降臨する/拝殿の右に繋がった御龍殿と手前の小さな建物は上神井様

流造銅板葺の子安社....手前の中台から上がない石燈籠は享保三年(1718)造立


子安社の左脇に佇む2基の石燈籠....手前は文政十三年(1830)、奥は享保四年(1719)の造立

流造銅板葺の十三社....祓戸神十三柱を祀る

横から眺めた神池に架かる神島への神橋

西御門近くから眺めた新橋と社殿

西御門の門前に立つ大小2基の石燈籠....大きい方は嘉永元年(1848)、小さい方は明治二十九年(1896)の造立


切妻造銅板葺の西御門....門を通して東御門が見える/西御門の手前左手に切妻造銅板葺の西手水舎
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます