何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

月窓寺 (上田)

2018年05月11日 | 寺社巡り-長野

【長野・上田市】室町時代(戦国時代)の永禄元年(1558)、真田幸隆(真田氏の始祖)の弟で長野原城主だった常田隆永が、上田城下に堂宇を建立したのが始まり。
天正十三年(1585)の真田氏と徳川氏との戦いである第一次上田合戦で焼失し、その後、真田幸村(信繁)によって現在地(鍛冶町)に再建されたとされる。 真田昌幸・幸村親子が隠棲した地である紀州九度山へ旅立つ際、この寺に馬具や遺品を納めたといわれている。 「月窓寺」の寺号は、昌幸の兄・信繁(長男)の法名「月山伝心」に由来する。 宗旨は禅宗である曹洞宗で、本尊は釈迦如来像。

城下町の道路に面して[月窓寺」「伝叟山」と刻まれた門柱が立ち、切石敷の参道の奥に御堂が見える。 御堂は仏教建築を用いた城鎮守稲荷社で、木鼻と水引虹梁中備の龍はいずれも精緻な彫刻で素晴らしい。 稲荷社の傍に地蔵堂が建ち、衲衣のように衣が掛けられた石仏地蔵尊像が鎮座、壁に沢山のカラフルな千羽鶴が下げられている。
門前に戒壇石が立つ簡素な総門をくぐって竜宮門へ向かう....切石敷の参道脇に鎮座する六地蔵尊像が迎えてくれる。 両側に回廊を延ばした白い漆喰塗りの竜宮門....下層天井には漆喰で描かれた龍の鏝絵がある。 先の総門と竜宮門に扁額が掲げられているが、読解力がなく読めず。 アーチ型通路の竜宮門をくぐると、堂宇がコの字に配された伽藍。 正面に向拝がない白壁の本堂が建つが、中央腰高障子戸、両脇間に一つの花頭窓を設けただけの簡素な造りだ。
帰り際、この寺の「赤地蔵」のことを思い出したので、地蔵堂を覗いて鎮座する地蔵尊像をよ~く観たら、確かにお顔も衲衣も赤い色だった。
 
「月窓寺」「伝叟山」と刻まれた山門と参道正面奥に建つ御堂

門前の風景....石燈籠、城鎮守稲荷、地蔵堂そして総門がある....石燈籠は昭和十四年(1939)の造立
 
石燈籠越しに眺めた城鎮守稲荷....豊川吒枳尼尊天(荼枳尼尊天)を祀る/切妻造桟瓦葺の地蔵堂....衲衣のように衣が掛けられた赤地蔵と呼ばれる地蔵尊像が鎮座

入母屋造桟瓦葺の城鎮守稲荷....「豊川吒枳尼尊天」の扁額が掲げられ、精緻な木鼻と水引虹梁中備の龍の彫刻、切目縁を廻らし、正面は全面が腰高格子戸
 
切妻造桟瓦葺の総門は簡素な薬医門....袖塀は白壁の築地塀/総門脇に立つ「禁葷酒」と刻まれた戒壇石

総門から竜宮門への切石敷の参道脇に鎮座する六地蔵尊像

竜宮門の両側に延びる大きな連子窓と板壁で桟瓦葺の回廊

入母屋造本瓦葺の竜宮門(鐘楼門)....平成元年(1989)~3年(1991)に大改修された
  
全面白の漆喰塗りで軒下四隅に風鐸が下がる....上に回縁を巡らせている/下層天井に漆喰で描かれた龍の鏝絵..扁額の「〇〇閣」が読めず/土間床の回廊

竜宮門のアーチ型通路から眺めた本堂

入母屋造桟瓦葺の本堂

腰高障子戸と脇間にそれぞれ花頭窓
  
本堂前に鎮座する忿怒顔の阿形吽形の獅子の狛犬/大正十四年(1925)造立の櫛型萬霊等
  
切石敷の縁に食い込むように設けられた手水鉢/寛文十一年(1671)造立の石燈籠/頭頂から地蔵尊像と思う....錫杖と未蓮花を持つ痕跡がある

本堂右手に建つ寄棟造桟瓦葺の坐禅堂(最初の文字が読めないが禅堂から推測)...正面は白壁で、入口に腰高障子戸、両脇間に各3つの花頭窓が並ぶ

本堂右手の寄棟造桟瓦葺の客殿(と思う)
  
境内に佇む石燈籠..自然石を利用した石燈籠/竿から下の造りが小さいの石燈籠/雪見燈籠

露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の鐘楼..簡素な楼閣風の造り
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