何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

一乗寺-(3) (加西)

2024年05月21日 | 寺社巡り-兵庫

【兵庫・加西市】中世(鎌倉~室町時代)においては、山内に真言律宗の律院が併設されていた。 真言律宗の宗祖・興正菩薩叡尊が鎌倉時代の弘安八年(1285)、一乗寺にて仏教活動を行い2124人に菩薩戒を授けた。 正応三年(1290)には、後に後醍醐天皇・後村上天皇の護持僧となる文観房弘真(13歳)がこの地で真言律宗に入信、真言律宗の僧・巌智律師に入室し、叡尊の高弟・観性房慶尊のもと得度した。

★三重塔境内から3番目の石段を上っていくと、眼前に舞台造りの本堂が迫ってくる。 斜面にせり出して建つ本堂は、古色蒼然たるたたずまいで歴史を感じさせる。 五色幕が張られた正面に古びた「大悲閣」の扁額が掲げられているが、向拝がなく入口への階段がない。
少し右に進んで左に折れると、趣のある腰袴付きの鐘楼が建ち、本堂に沿って参道が奥に延びている。 周囲に切目縁を設けた本堂の東側面の意匠を拝観しながら背面に回る。

△三重塔境内から見上げた入母屋造本瓦葺の本堂(金堂)....本尊の銅像聖観世音菩薩像(秘仏)を祀る

△3番目の石段下から見上げた本堂

△斜面にせり出した舞台(懸)造りの本堂(国指定重要文化財)....飛鳥時代の白雉元年(650)、第36代孝徳天皇による建立....現建物は江戸時代前期寛永五年(1628)の再建

△軒廻りは二軒重垂木、組物は出三ツ斗で中備は間斗束....長押の上に「大悲閣」の扁額が掲げられている

△舞台造りで南面の正面からではなく背面から本堂に入る....本堂正面九間の内の五間は両折両開の桟唐戸、両端二間と側面二間(連子窓)に五色幕が張られている

△本堂正面(南面)の縁(切目縁)の床下....左は下の境内に建つ三重塔

△正面から右に折れ、本堂脇の参道を進んで本堂入りに....右側(東側)の建物は鐘楼

△入母屋造本瓦葺の袴腰鐘楼....江戸初期寛永六年(1629)の建立で、軒廻りは二軒繁垂木、組物は出三ツ斗

△本堂側面は八間で一間は両開き桟唐戸、五間は舞良戸風の引違い戸(五色幕が張られた二間は失念)

△本堂への入口階段傍から眺めた本堂東脇の参道....左側は袴腰付き鐘楼

★本堂の背面には手水舎が建ち、本堂に上がる片側のみに登高欄を設けた階段がある。 階段を上がって縁を進み、本堂から腰袴付き鐘楼を拝観しながら本堂正面に。 正面に回ると眼下の三重塔が目に入り、素晴らしい眺望が現れる。 両折両開の桟唐戸から外陣に入る。 密教寺院の特長である広い外陣があり、大きな2つの「南無観世音」の赤い提灯が下がる。 内陣とは格子壁で仕切られていて、まるで参詣者に内陣を見られるのを拒んでいるかのようにみえる。

△桁行九間、梁間八間の本堂の背面(北側)....背面の縁には擬宝珠高欄が無い

△向かって左手(東側)の階段から本堂に上がる....背面は五間に扉、四間横羽目板....手前の建物は手水舎

△切妻造本瓦葺の手水舎/寺社形手水鉢は江戸時代正徳四年(1714)の造営

△階段を上がってみた本堂東側の切目縁

△袴腰付き鐘楼は桁行三間、梁間二間....屋根の大棟、降棟、隅棟の端に鳥衾付き鬼瓦、拝は猪ノ目懸魚、妻飾は豕扠首

△上層周囲に組高欄付き切目縁....周囲の外壁には格子窓が設えられている/「一乗寺」の銘が打たれた梵鐘

△正面の両折両開の桟唐戸....一部の戸に連子を入れている/本堂は広い外陣、閉鎖的な内陣、脇陣、後陣から構成されている

△内陣は五間の格子壁と菱格子欄間そして引き違い板戸で外陣と仕切られている

△引き違い板戸で仕切られている....三間の厨子に本尊聖観音立像(国指定重要文化財)と左右に不動明王・毘沙門天像を安置....飛鳥時代末~ 奈良時代初造立の金銅仏でいずれも秘仏

△三間の広い外陣に「南無観世音、左三つ巴、法輪」が描かれた赤提灯が下がる

△外陣に鎮座する十六羅漢の第一尊者・賓頭盧尊者/外陣の格天井の模様は木札?....改修前は巡礼者が打ちつけた大量の木札があったそうな


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