対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

原点0

2014-11-30 | まちがい発見
 『古典力』(齋藤孝著、岩波新書、2012年)。「第三章 マイ古典にしたい名著五〇選」は、とりあげた古典の内容が、見開き1ページに、要領よくまとめられていて感心する。

 「方法序説(デカルト)」に気になるところが、一か所あった。

 解説は、次のように始まっている。

 「われ思う、ゆえにわれあり」は、言葉としてはだれもが知っている。しかし、この言葉を自分の存在の根本原理として生きている人がどれだけいるだろうか。この本を読めば、この言葉が、人としての原理であると同時に学問の原理であることがわかる。

 そして、内容の紹介があり、次のように終わっている。

 デカルトは、x、y、z軸の空間座標を開発した。各人が宇宙の原点0となるのが、「われ思う、ゆえにわれあり」だと私には思える。

 とてもよくまとまっているのだが、残念なことに、「原点0」の「0」に「ゼロ」とルビがふってあるのだ。画竜点睛を欠く、というべきだろう。

 原点はOrigin のO(オー)である。原点Oであり、座標にもOと表示するのであって、0ではないのである。「方法序説」には、ここだけにルビが振ってある。他の名著の解説には、まったくないもの、いくつもあるもの、さまざまである。ルビは、齋藤氏の指示だったのだろうか。それとも読みやすくするために編集者の判断で行われたのだろうか。

 注意深く見ると、たしかにアルファベットのOではなく、算用数字の0である。齋藤氏が「ゲンテンゼロ」と打ち込んで変換され出てきたのが「原点0」。その原稿に編集者がゼロとルビを振る。原点Oを知らない二人の共演だったのであろう。

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