北のとうさんの鉄道旅・アマチュア無線JA8HBO

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寝台特急北斗星の終了。

2015年08月24日 | うんちく・小ネタ












寝台特急北斗星が、3月に終了した定期列車ブルートレインとしての運行、続いて去る8月22日には臨時列車としての運行も終了した。
昭和63年に運行開始した当時は、格安航空会社もなく航空料金も高価だったので、廉価で東京を往復する手段としてビジネスパーソンに利用された。
私も研修や会議で上京する手段として使ったものだ。
ただ、航空料金の低下とともに北斗星は差別化のためだったかと思うが高級化路線へと舵を切り、いつしかビジネスでの利用は離れていき、少なくなっていった。
一部の成金の暇つぶしの道具になり下がったと言ったら叱られるだろうが、一億総中流社会から格差社会への変化もこの列車の形を変えたのだろう。



国鉄時代からの車両の更新も出来ず、乗り心地を求める客はカシオペアに移り、お世辞にも良いとは言えない乗り心地から利用者の減少がどんどん続き、青函トンネルの新幹線工事の関係もあって最盛期は、エルムや臨時も含めて4往復にもなった寝台特急も、最後には1往復に減少。
新幹線準備のために運休も多くなった。

 最近は特段の思い出のあるご年配の方や、葬式鉄と言われる鉄道ファンがオークションで入手した高額なチケットで乗車してレストランでコース料理を食べたり、本来のコンセプトは消えてしまった。
同時に、新幹線の開業を半年も先に残したまま終焉を迎えた。
(少しジェラシーもこめてます(笑))
私は大学生活を首都圏で過ごし、東北本線・常磐線・青函連絡船と乗り継いでの帰省を何度も繰り返したが、当時利用したのは特急ゆうづる、はくつる、遠回りして乗った日本海と言った列車だった。
 確かに思い出はたくさんあるが、記憶に多く残ったのは急行十和田や八甲田や連絡船のことばかりである。
はくつる、ゆうづるは眠れなかったことだけが記憶にあるだけだ。
北斗星に関しても青森・函館で乗り換えが無いことには感動したが、食堂車など利用したこともないし、車内の思い出はさほどのものではない。40歳近くなった身には、とにかく疲れるだけだった。

新幹線の函館延伸で姿を消すわけだが、正直言って、「そうですか」当然でしょうと言ったところなのだ。
カメラの被写体としては美しくグラマラスな車体は、実に素敵な列車だった。ついつい、たくさん撮ってしまっている。
「お世話になりました。ご苦労様でした」とは言いたいが、ホームで飛び交った意味不明な「ありがと~」には同調できない。夢を与えてくれたことに対してなのだろうけど、最近の風潮として言葉が軽い・短い。
まあ、私としては「成仏してね」と言ったところかな(笑)。もっと酷いかなwww

ただ、「急行はまなす」に関しては十和田・八甲田の思い出と重なるものが多く、このまま乗らずに終わってしまうのかと心配であった。
しかし、来年春までは運行されるようなので、寝台ではなく座席で挑戦してみたい。ただし疲れるから帰途に(笑)。






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