函館駅前にある舗百貨店の棒二森屋が早ければ来年度にも閉店との報道があった。経営不振から福島の企業・中合の傘下に入り、さらにその企業がダイエー、さらにイオンと所属企業グループが変わる中で、イオンの不採算店舗の整理の候補に挙がったという事だ。
今後、建物の売却先を探すことになるようだが、老朽化した建物を受け入れる事業者が現れるかは厳しいと言わざるを得ず、巨大な廃墟が駅前に出現しないとも限らない。
店内にあった「無印良品」が五稜郭地区に移転したことも大きい理由の一つだった。
函館駅前では先に廃業したデパート跡地に新築されたマンションを兼ねた商業ビルもテナントが埋まらない。
さらに函館駅隣接のの広大な空き地に予定された施設の建設も始まらない。
「駅前商店街」と言われる商業集積は交通手段の多様化で、全国各地でその役割を終えていることを行政も商工関係者も認めなければならない。
全国の商店街の90%近くが衰退、停滞しているという国の調査もあり、特に駅前商店街の衰退は目を覆うばかりである
北海道新幹線が市街地の遠方を素通りし、結局は函館駅前の活性化にはつながらなかったという事だろう。
地元住民が利用しない観光施設となった朝市もいつかは限界が来る。
JR北海道が直面している自動車社会の問題は、鉄道の経営だけではなく、駅というランドマークの意味合いも変えているという事だ。
函館駅周辺には大きな医療施設もなく、ほとんどは五稜郭、旧亀田方面などにあり、道南地域からの通院患者も、鉄道よりバスを使って函館東部地区へ通っているため、駅付近は、宿泊施設が多いこともあって観光客だけが頼りという状態だ。夏場はともかく、冬場や深夜などは人通りが極端に減少している状況だ。
私も函館の出身という事もあって、墓参りや親せきを訪ねる「口実」を作っては乗り鉄で函館を訪問するのだが、夜7時もすぎると駅前通りはすっかり閑散としてしまう。
西部地区から、駅前、そして五稜郭、亀田地区へと函館の中心地は変わってきた。五稜郭から函館の東部地区へと建設され、太平洋戦争と共に幻となった国鉄戸井線が走っていたら、沿線は、さぞ賑わっていたかもしれない、などとついつい妄想を巡らせてしまう。
写真は函館駅正面から駅前一帯を望む。
今後、建物の売却先を探すことになるようだが、老朽化した建物を受け入れる事業者が現れるかは厳しいと言わざるを得ず、巨大な廃墟が駅前に出現しないとも限らない。
店内にあった「無印良品」が五稜郭地区に移転したことも大きい理由の一つだった。
函館駅前では先に廃業したデパート跡地に新築されたマンションを兼ねた商業ビルもテナントが埋まらない。
さらに函館駅隣接のの広大な空き地に予定された施設の建設も始まらない。
「駅前商店街」と言われる商業集積は交通手段の多様化で、全国各地でその役割を終えていることを行政も商工関係者も認めなければならない。
全国の商店街の90%近くが衰退、停滞しているという国の調査もあり、特に駅前商店街の衰退は目を覆うばかりである
北海道新幹線が市街地の遠方を素通りし、結局は函館駅前の活性化にはつながらなかったという事だろう。
地元住民が利用しない観光施設となった朝市もいつかは限界が来る。
JR北海道が直面している自動車社会の問題は、鉄道の経営だけではなく、駅というランドマークの意味合いも変えているという事だ。
函館駅周辺には大きな医療施設もなく、ほとんどは五稜郭、旧亀田方面などにあり、道南地域からの通院患者も、鉄道よりバスを使って函館東部地区へ通っているため、駅付近は、宿泊施設が多いこともあって観光客だけが頼りという状態だ。夏場はともかく、冬場や深夜などは人通りが極端に減少している状況だ。
私も函館の出身という事もあって、墓参りや親せきを訪ねる「口実」を作っては乗り鉄で函館を訪問するのだが、夜7時もすぎると駅前通りはすっかり閑散としてしまう。
西部地区から、駅前、そして五稜郭、亀田地区へと函館の中心地は変わってきた。五稜郭から函館の東部地区へと建設され、太平洋戦争と共に幻となった国鉄戸井線が走っていたら、沿線は、さぞ賑わっていたかもしれない、などとついつい妄想を巡らせてしまう。
写真は函館駅正面から駅前一帯を望む。