登別の母のところへ所要で行ったので、ついでに30分くらい車を走らせて室蘭のJR貨物陣屋築港駅を覗いてきました。
去年は711系赤電車が留置されていましたが、今回は急行はまなすに使用した14系客車を中心に10両ほど解体を待っていました。
解体されずに、このまま夜になったら銀河鉄道を通って天国に行ってくれれば良いなと思いつつ眺めました。
何人か撮影にいらしていましたが、枯れ草が生い茂って、なかなか近づけないのです。
そこで、敷地に並行した道路を走ってみると、ちょっといい場所が見つかり、柵に近づくことができました。
翌々日の新聞にも同じアングルの写真が掲載されましたので、考えることは同じですね。




正直に言いますと、急行はまなすは、昨年の暮れに一度乗ったきりです。
私の世代は学生時代に東京から北海道に帰省するためには飛行機などは贅沢だと親に叱られますので、学割と周遊券を使って上野から急行列車に乗るのが一般的でした。
たまに特急ゆうづる、はくつる、はつかりなども利用しましたが、なんと言っても急行八甲田や十和田の良いお得意様でした。
青森まで12時間、連絡船に4時間、そのあとは特急北海や普通列車を乗り継いで、転勤族だった父の勤務先の関係で小樽、室蘭へと5時間ほど、一日かけて帰ったものです。親が函館に居たころが一番楽でした・(●^o^●)
急行列車も臨時便になると青森での青函連絡船との接続が悪くて、数時間待たされることもありましたし、荒天による運航とりやめで半日も足止めを喰ったこともありました。
上野からの急行は、今でいうとキハ40の座席をもっと硬くしたようなものでしたから、お世辞にも乗り心地は良いとは言えません。
でも、若い私には何の苦痛も感じられませんでした。10時間以上の車内での色々な思い出は記憶のかなたに消えていこうとしていますが、少なくとも旅の楽しみはありました。
世の中が便利になって交通機関も早く快適になりましたが、その分、それを利用し消費するためのコストもかかるようになりました。
今の現役世代の皆さんは、交通手段やコミュニケーションにお金のかかる生活を強いられていますね。サービス経済化した現代ではやむを得ないのでしょうが、私は疑問を感じています。
それが本当に必要なことなのでしょうか。
急行十和田、八甲田・・・また乗ってみたいですね。
私が滝川発釧路行きの2429D(現2427D)にこだわって何度も乗車するのは、若き日を思い出すためなのです。
室蘭の帰りに登別で新しい色の261系スーパー北斗を見かけました。
はっきり言うとセンスが悪いですね。かなり評判が悪いのですが、これから北海道の鉄道の顔となる車両のデザインのコンペをするくらいの度量がJR北にはないのですね。
まあ、いずれはJR東の子会社でしょうから、どうでもいいのかな。(想像ですよ)


去年は711系赤電車が留置されていましたが、今回は急行はまなすに使用した14系客車を中心に10両ほど解体を待っていました。
解体されずに、このまま夜になったら銀河鉄道を通って天国に行ってくれれば良いなと思いつつ眺めました。
何人か撮影にいらしていましたが、枯れ草が生い茂って、なかなか近づけないのです。
そこで、敷地に並行した道路を走ってみると、ちょっといい場所が見つかり、柵に近づくことができました。
翌々日の新聞にも同じアングルの写真が掲載されましたので、考えることは同じですね。




正直に言いますと、急行はまなすは、昨年の暮れに一度乗ったきりです。
私の世代は学生時代に東京から北海道に帰省するためには飛行機などは贅沢だと親に叱られますので、学割と周遊券を使って上野から急行列車に乗るのが一般的でした。
たまに特急ゆうづる、はくつる、はつかりなども利用しましたが、なんと言っても急行八甲田や十和田の良いお得意様でした。
青森まで12時間、連絡船に4時間、そのあとは特急北海や普通列車を乗り継いで、転勤族だった父の勤務先の関係で小樽、室蘭へと5時間ほど、一日かけて帰ったものです。親が函館に居たころが一番楽でした・(●^o^●)
急行列車も臨時便になると青森での青函連絡船との接続が悪くて、数時間待たされることもありましたし、荒天による運航とりやめで半日も足止めを喰ったこともありました。
上野からの急行は、今でいうとキハ40の座席をもっと硬くしたようなものでしたから、お世辞にも乗り心地は良いとは言えません。
でも、若い私には何の苦痛も感じられませんでした。10時間以上の車内での色々な思い出は記憶のかなたに消えていこうとしていますが、少なくとも旅の楽しみはありました。
世の中が便利になって交通機関も早く快適になりましたが、その分、それを利用し消費するためのコストもかかるようになりました。
今の現役世代の皆さんは、交通手段やコミュニケーションにお金のかかる生活を強いられていますね。サービス経済化した現代ではやむを得ないのでしょうが、私は疑問を感じています。
それが本当に必要なことなのでしょうか。
急行十和田、八甲田・・・また乗ってみたいですね。
私が滝川発釧路行きの2429D(現2427D)にこだわって何度も乗車するのは、若き日を思い出すためなのです。
室蘭の帰りに登別で新しい色の261系スーパー北斗を見かけました。
はっきり言うとセンスが悪いですね。かなり評判が悪いのですが、これから北海道の鉄道の顔となる車両のデザインのコンペをするくらいの度量がJR北にはないのですね。
まあ、いずれはJR東の子会社でしょうから、どうでもいいのかな。(想像ですよ)

