今日は、バイオリニストのアイザック・スターンの生誕日です(1920年)。
スターンは、ウクライナの生まれのユダヤ人で、生後すぐにアメリカに移住しました。メニューイン、フバイ、ミルシテイン、パールマン、彼らはいずれもユダヤ系のバイオリニストである。多くはイスラエルに居住しているわけではないが、ロシア人とかイギリス人とか言う前にユダヤ人、ユダヤ系という言い方をする。私はいつ頃からか、どうしてユダヤ人というのが特別視されるのか、また歴史上において様々な時代、様々な場所で、迫害を受ける(ポグロムという特別な言葉も作られている。)のか不思議でならなかった。キリストを殺害したのがユダヤ人だったからという説明を聞いて、納得しないわけではなかったが、それだけなのか。シェイクスピアも、シャイロックの姿を通してユダヤ人のマイナス・イメージを描いているが、多くの人間の平均的な考えであったのかもしれない。話がそれたようだ。ある時、これからのクラシック音楽界で抜きん出るのは、イスラエル(ユダヤ国家)と日本だというような話を聞いたことがある。ずいぶん前の話だ。確かに、日本人はいろいろなコンクールで優勝者を次々に出している。イスラエルの奏者が優勝したという話はあまり出てきていないように思う。だから先の予言(?)は日本人だけに当てはまっているのかなどと思ったりするが、先のことはもちろん誰にも分からない。我々日本人にとっては、世界に認められる優れた音楽家が続々と誕生することは本当に嬉しく素晴らしいことと思う。いつも思うのだが、西洋の音楽を理解するには、やはりバックボーンとしてのその歴史・文化などの知識が不可欠だと思う。西洋の思想哲学なども肝要だろう。日本人はその点どうだろうか。優勝した時点で、それらをすべて含んだものと考えていいのかも知れないが、やはり十分でないこともあるだろう。ある東洋のチェリストに、その演奏内容をより優れたものとするためにドストエフスキーなどの小説を読ませよう、などと周囲の人が考えた話を聞いたことがあった。その後どのように演奏が変わったか、その後の話は聞いてはいないが。
スターンは、2001年の9月にニューヨークで亡くなった。81歳であった。アメリカを襲った、同時多発テロの11日後である。日本にはたびたび来て、演奏活動のみならず教育活動にも携わった。音楽を通し平和な世界が訪れることを考え、後継者の育成を考えてのことだろう。スターンにとっては、残念な事件であったに違いない。
スターンは、ウクライナの生まれのユダヤ人で、生後すぐにアメリカに移住しました。メニューイン、フバイ、ミルシテイン、パールマン、彼らはいずれもユダヤ系のバイオリニストである。多くはイスラエルに居住しているわけではないが、ロシア人とかイギリス人とか言う前にユダヤ人、ユダヤ系という言い方をする。私はいつ頃からか、どうしてユダヤ人というのが特別視されるのか、また歴史上において様々な時代、様々な場所で、迫害を受ける(ポグロムという特別な言葉も作られている。)のか不思議でならなかった。キリストを殺害したのがユダヤ人だったからという説明を聞いて、納得しないわけではなかったが、それだけなのか。シェイクスピアも、シャイロックの姿を通してユダヤ人のマイナス・イメージを描いているが、多くの人間の平均的な考えであったのかもしれない。話がそれたようだ。ある時、これからのクラシック音楽界で抜きん出るのは、イスラエル(ユダヤ国家)と日本だというような話を聞いたことがある。ずいぶん前の話だ。確かに、日本人はいろいろなコンクールで優勝者を次々に出している。イスラエルの奏者が優勝したという話はあまり出てきていないように思う。だから先の予言(?)は日本人だけに当てはまっているのかなどと思ったりするが、先のことはもちろん誰にも分からない。我々日本人にとっては、世界に認められる優れた音楽家が続々と誕生することは本当に嬉しく素晴らしいことと思う。いつも思うのだが、西洋の音楽を理解するには、やはりバックボーンとしてのその歴史・文化などの知識が不可欠だと思う。西洋の思想哲学なども肝要だろう。日本人はその点どうだろうか。優勝した時点で、それらをすべて含んだものと考えていいのかも知れないが、やはり十分でないこともあるだろう。ある東洋のチェリストに、その演奏内容をより優れたものとするためにドストエフスキーなどの小説を読ませよう、などと周囲の人が考えた話を聞いたことがあった。その後どのように演奏が変わったか、その後の話は聞いてはいないが。
スターンは、2001年の9月にニューヨークで亡くなった。81歳であった。アメリカを襲った、同時多発テロの11日後である。日本にはたびたび来て、演奏活動のみならず教育活動にも携わった。音楽を通し平和な世界が訪れることを考え、後継者の育成を考えてのことだろう。スターンにとっては、残念な事件であったに違いない。