西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

カルロス・クライバー

2007-07-03 09:30:49 | 音楽一般
今日は、指揮者のカルロス・クライバーの生誕日です(1930年)。
最初この名前を知った時、カルロスという名にどういうことなのだろうと思いました。ドイツ語だとカールですが、スペイン語のカルロスになっているからです。父親は、エーリッヒ・クライバーという名指揮者でドイツの人ですが、時の政権ナチスとぶつかり、南米アルゼンチンに移住したということからだと後で知りました。
私が、指揮者カルロス・クライバーの名を知ったのは、歌劇「こうもり」のレコードが出た時だったかそれともその前の「魔弾の射手」が出た時だったか。その後も「椿姫」が出て、主にオペラを指揮する人という印象を持ちました。しかしもちろん、その後にはベートーベンの「第5」や「第7」「第4」が出て、正統的なドイツ音楽を主として振る指揮者と知りました。クライバーは、録音数が極めて限られているようです。しかし、そのカリスマ的指揮ぶりからか、彼には根強いファンもいるようで、彼の故郷を訪ねるツアーがあったのには驚きました。もちろんその指揮棒から出てくる音楽は間違いなく人を酔わせるものがあるのでしょう。カラヤンも、彼を天才と呼んでいるようです。
私は、ある時、彼の一面を知り、とても驚き嬉しく思いました。彼はお忍びで日本に来て、温泉に浸かるのが好きなほどの人だったということのようですが、新聞(産経)で阪神大震災(1995年)後に日本人を励ます手紙を送って来た記事を読んだ時です。彼はその中で、あれほどの災害を蒙りながら、秩序正しく避難生活をしている日本人の姿を見て大きな感銘を受けたということを述べていました。その記事はもちろん保存してあります(今手元に無いので、見つけたら少し詳しく書きたいと思います)。ここまで行動する人はあまりいないのではないかと思います。このことを知り、彼の普段分からなかった、日本への思いが伝わる一面を知り、日本人の1人としてとても嬉しくなりました。今では、彼の名前を聞くと、この時のことを第一に思い浮かべます。彼の指揮し生み出した芸術作品をもっとよく知らなくては、と思いました。