今日は、フランス革命の記念日である(1789年)。
革命200周年を記念して1枚のCDが発売されました。「プラッソン ラ・マルセイエーズ フランス革命歌集」です。全部で8曲入っていて、その中から、ベルリオーズの編曲になる「テルミドール9日の歌」と有名な「ラ・マルセイエーズ」を聴いた。
フランス革命は、いわゆる「バスティーユ牢獄の襲撃」で始まった、「自由・平等・博愛」を目指した民衆による革命であった。それはそれ以前の社会状況のあり方を考えれば、いつかは行われるべきものであったかも知れない。しかし、その過程でどのようなことがあっただろうか。
1789年8月4日、封建的特権の廃止
8月26日、「人権宣言」
1791年9月、君主制憲法を制定し、国民議会(=立憲議会)が解散する
10月、立法議会成立
1792年4月、立法議会でジロンド派内閣、オーストリアとプロイセンに宣戦する
*ジロンド派の思惑に反し、外国軍、国境を越え、フランス国内侵入、立法議会は義勇軍を募集し防衛に努めるが苦戦する、このときマルセイユの義勇軍が行進曲として用いたのがルージェ・ド・リールの作曲による「ラ・マルセイエーズ」だった。後のフランス国歌である。
1792年8月10日、ブラウンシュヴァイク公の宣言を契機にジロンド派に取って代わったジャコバン派の指導の下、パリ市民と義勇兵により、テュイルリー王宮襲撃が行われ、王権の停止を宣言する
9月21日、共和制成立
1793年1月21日、ルイ16世処刑
6月、ジャコバン派の独裁、革命裁判所による恐怖政治の開始(ロベスピエールが中心となる)
10月、マリー・アントワネット処刑
11月、ロラン夫人処刑さる(この時、「自由よ、汝のもとに如何に多くの罪が犯されたことか」の言葉を残す)
1794年5月、「質量不変の法則」で知られる化学者であり徴税請負人ラヴォアジエ処刑さる(この時、大数学者のラグランジュ、「彼の首を刎ねるのはほんの一瞬であるが、彼のような学者を得るには1世紀はかかるだろう」の言葉を残す)
7月27日、ロベスピエール捕えられる(28日、処刑)
1795年10月、総裁政府成立、革命は終焉を迎える
「テルミドール9日の歌」というのは、ロベスピエールが失脚した7月27日を革命歴で言うと「テルミドール9日」となり、それを歌ったものである。
フランス革命は一体なんだったのか。誰が恐怖政治を求めていたのか。「テルミドールの反動」などと私の学参(ずいぶん古いものだが)には出ている。恐怖政治をもっと推し進めろと言うことか。冗談はやめてもらいたい。学参には、この「恐怖政治の事業」の中に、メートル法の制定とともに、理性の崇拝とある。正しい理性を持ち、20世紀最後の10年ほどに起こったことを考えれば、どのようなことが正解により近いかが分かるだろう。
ベルリオーズは、30年の7月革命には理解を示したが、48年の2月革命には疑問を感じたそうだ。もしもう少し生きて、71年のパリにおけるコミューン騒擾を見たならばどのような言葉を残しただろうか。
革命200周年を記念して1枚のCDが発売されました。「プラッソン ラ・マルセイエーズ フランス革命歌集」です。全部で8曲入っていて、その中から、ベルリオーズの編曲になる「テルミドール9日の歌」と有名な「ラ・マルセイエーズ」を聴いた。
フランス革命は、いわゆる「バスティーユ牢獄の襲撃」で始まった、「自由・平等・博愛」を目指した民衆による革命であった。それはそれ以前の社会状況のあり方を考えれば、いつかは行われるべきものであったかも知れない。しかし、その過程でどのようなことがあっただろうか。
1789年8月4日、封建的特権の廃止
8月26日、「人権宣言」
1791年9月、君主制憲法を制定し、国民議会(=立憲議会)が解散する
10月、立法議会成立
1792年4月、立法議会でジロンド派内閣、オーストリアとプロイセンに宣戦する
*ジロンド派の思惑に反し、外国軍、国境を越え、フランス国内侵入、立法議会は義勇軍を募集し防衛に努めるが苦戦する、このときマルセイユの義勇軍が行進曲として用いたのがルージェ・ド・リールの作曲による「ラ・マルセイエーズ」だった。後のフランス国歌である。
1792年8月10日、ブラウンシュヴァイク公の宣言を契機にジロンド派に取って代わったジャコバン派の指導の下、パリ市民と義勇兵により、テュイルリー王宮襲撃が行われ、王権の停止を宣言する
9月21日、共和制成立
1793年1月21日、ルイ16世処刑
6月、ジャコバン派の独裁、革命裁判所による恐怖政治の開始(ロベスピエールが中心となる)
10月、マリー・アントワネット処刑
11月、ロラン夫人処刑さる(この時、「自由よ、汝のもとに如何に多くの罪が犯されたことか」の言葉を残す)
1794年5月、「質量不変の法則」で知られる化学者であり徴税請負人ラヴォアジエ処刑さる(この時、大数学者のラグランジュ、「彼の首を刎ねるのはほんの一瞬であるが、彼のような学者を得るには1世紀はかかるだろう」の言葉を残す)
7月27日、ロベスピエール捕えられる(28日、処刑)
1795年10月、総裁政府成立、革命は終焉を迎える
「テルミドール9日の歌」というのは、ロベスピエールが失脚した7月27日を革命歴で言うと「テルミドール9日」となり、それを歌ったものである。
フランス革命は一体なんだったのか。誰が恐怖政治を求めていたのか。「テルミドールの反動」などと私の学参(ずいぶん古いものだが)には出ている。恐怖政治をもっと推し進めろと言うことか。冗談はやめてもらいたい。学参には、この「恐怖政治の事業」の中に、メートル法の制定とともに、理性の崇拝とある。正しい理性を持ち、20世紀最後の10年ほどに起こったことを考えれば、どのようなことが正解により近いかが分かるだろう。
ベルリオーズは、30年の7月革命には理解を示したが、48年の2月革命には疑問を感じたそうだ。もしもう少し生きて、71年のパリにおけるコミューン騒擾を見たならばどのような言葉を残しただろうか。