怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

9月8日押切公園テニスコート

2018-09-09 07:16:58 | テニス
この日ははっきりしない天気。
前日の天気予報では雨でしたが、朝起きてみると夜中に雨が降った気配はあるものの曇り
雲の動きを見てみると午後は何とかもちそう。
ところで私は先日の救急受診の際保険証を持っていなかったし、会計は後日でお願いしてあったのでこの日の午前に行ってきました。
雨が降り出さないうちにと自転車で市立大学病院まで。
実はCTを取る時に磁気ネックレスを取るのですが、そのまま忘れてしまい金曜日に電話がかかってきました。それも会計の時に取りに行かなくてはいけません。ということで防災センターへ寄って忘れ物をいただき、会計をします。
土曜日と言えども救急外来は結構混んでいて会計も並んでいました。

会計は1万円を超える結構な値段。まあ、CTを撮り心電図もやり、血液検査もやっているので仕方ないか。
帰りにバローへ寄って実家の母に渡すお買い物。一人暮らしで買い物もコンビニぐらいしか行けないので3~4日大丈夫のように3千円以上買い出し。
体は翌日に気づいたのですが、頭に知らないうちにたんこぶがある。お尻も打撲の痛みが残っている。意識をなくして受け身なしで倒れたので打っていたみたいです。
こんな具合なので私は今日のテニスはパスしないとかみさんから怒られ、家がタケちゃんマン家状態になりそうです。
実は1059さんからは右ひざが痛いので今月中は休養しますとのメールが。先月は肘が痛いからと言っていたのにあちこちガタが来るものです。
ヨイショからも欠席のメールで、ヤッターマンからは何時から始めるかとの問い合わせがあったので14時からでいいのではと答えたのですが、結局ヤッターマンもはげ親父も欠席するそうです。
ということはこの日は参加者がいるのか?
後でえみちゃんからメールがあったのですが、結局この日はえみちゃん、カバちゃん、森の熊さんの3人だけだったとか。
雨は降ることなく気温も高くなかったのでテニスにはいい日だったんですけどね。
どうも我がクラブも病人とか怪我人ばかりで高齢化の影響は止められないみたいです。
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まさかの救急搬送

2018-09-07 21:15:51 | Weblog
それはいつもの木曜日の夜でした。
冷酒を2合ほど飲みつつ夕飯を食べて、ソファーでダラーっとしてテレビを見ていたのですが、デザートがあるという声で立ち上がったところまでは覚えているのですが、そこで意識が飛んでしまいました。
気が付くと救急隊員が横にいて名前を言えとかいうので答えたような気がするのですが、そこでまた暗転。
次に気がつくと名市大病院の救急処置室で寝ていました。
いつの間にか右腕には点滴がされていて、看護師さんが忙しく働いています。
なんじゃこら~と思っても体は動かず。
CTを取りますと言われて運ばれていったのを断片的に覚えています。
一通り処置が終わると、点滴をつけたまま処置ベッドから車椅子に乗って部屋の前の待合に移動です。救急患者がどんどん来るので用が済んだ人は早く移動しなさいと言うことか。
待合椅子には家人もいて、記憶が途切れていた時のことを聞いたのですが、とにかくいきなり倒れて意識がないので慌てて救急車を呼んだとか。因みに呼吸はあって脈拍も弱いけどあったとかです。
う~ん、酒を飲んだと言っても2合だけだし‥‥
4~5年前にも家で寛いでいて、いきなり倒れたことがあったのですが、その時はすぐに気がついて起き上がった記憶です。以来そういうことがなかったので、これはどうしたもんか。結構長く意識が飛んでいたみたいです。
CTと心電図、血液検査の結果を見た医師が来て説明してくれましたが、特に異常は見当たらない。血液検査結果を見てみると肝機能はγが98と久しぶりに100を切っているのでそのことを言うと医師は笑っていました。
多分一過性の脳虚血発作ではないかと言うことで、またある様ならすぐに来てくださいとのこと。当然入院の必要なしの薬も出ない。
検査だけして意気消沈したまま家人に連れられタクシーで帰宅したのですが、こうなるとテニス旅行などはいけないかも。飲みすぎて意識をなくすと同行者が迷惑しますよね。
ところで意識をなくした時は全く苦痛はなくて、このまま死んだとしたら結構いい死に方かもと思ったりします。家人は幽体離脱もなかったし、お花畑も光あふれる世界もなかったので、臨死体験とは程遠いと断定。そう簡単には人は死なないのでそれなりに苦しまないといけない、そんな甘いものではないとのこと。まあ、死の淵を覗いたという感覚は全くなかったですけど、あそこで逝ってしまえば、いろいろな後片付けにみんなに迷惑かけるのだろうと思う次第。
まさかの救急搬送でしたが、初めての経験でもう少し余裕があれば写真でも撮っておくべきだったかと不謹慎なことを考えています。一過性脳虚血発作は原因にもよりますが脳梗塞の前触れとなることもあるので気を付けないとと言ってもどうすればいいのか。とりあえずお酒は1合にしときます。
私としては根拠なき楽観で、立ち眩みの一過性の脳貧血ぐらいで特に心配ないと思いたいものです。
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日曜日は「蓬莱軒」

2018-09-04 14:27:27 | Weblog
日曜日は子供の誕生日が近いということもあって、希望により夜は家族で熱田蓬莱軒へ。
ここはお昼は何時も行列で、席の予約もできないという記憶ですが、夜は比較的すいていて前日でも席の予約が可能でした。
最も6時30分と言ったら7時にして下さいとのこと。どうやら熱田神宮帰りの夜の第一陣が終わってからということでしょう。
10分前に到着したら、しばらく待合でお待ちくださいと言われたのですが、定刻の7時には席に案内されました。
席に着いたら何はともあれ名物の「ひつまぶし」を注文。
出てくるまでには少し時間がかかるので、ビールでのどを潤します。

蓬莱軒の名前入りのコップがいいですよね。
つまみに骨せんべい

1人前でも結構量があって3人で食べても十分。
「うまき」も頼んだのですが、これは1人前を最初から人数分に分けて出してくれました。

ビールはすぐに無くなるので冷酒に。
これは「草薙」ですが、1合1100円というのは高い!神宮前のパレで売っているのですが、4合瓶が買えるのでは。
熱田神宮銘柄なんですけど、醸造所は確か広島だったはず。
さて、いよいよひつまぶし登場。

最初の1杯は何も入れずに、次は薬味を入れて、3杯目は薬味を入れて出し汁をかけてお茶漬けで。最後は一番気に入ったものというのが定番。
でもコチトラは年に1回くらいは来ているので好きな食べ方にします。まあ、一番のお気に入りはだし茶漬けですけどね。

完食です。
今回は3人で16450円。

冷酒3合で3300円というのが効いています。
でも美味しいので年1~2回はいいかな。
昼は何時も行列で待たなければいけませんが、夜は予約できます。 
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9月1日瑞穂公園テニスコートは雨で中止。

2018-09-02 17:36:38 | テニス
前日の天気予報では午前中雨で昼からはあがりそう。
朝起きてみると雨が降った後はあるけど一応やんでいる。
この日は月の第一土曜日なので新聞紙とか段ボールを縛って資源回収に出さなくては。
雨は強くはないのですが、ポツポツ降ったりやんだり。これくらいならと実家へ行って掃除をしてから母をバロー迄買い物に連れて行きます。運よく買い物に出かけている時には雨はやんでいました。一週間分は無理ですが、3~4日は持つくらい買い込んできたのですが、甘いものには抑制が効かない母があればあるだけ食べてしまうのですぐに無くなるものも多いかな。
この日は16時30分から瑞穂公園テニスコートなので、お昼を食べてから寛いでいるとどんどん雲が厚くなってきている。
雲動きとレーダーの予想を見てみると、まずい、15時くらいから雨。
果たして予報通り雨がポツポツ降ってきて、これでは中止にするしかないか。
ヤッターマンとヨイショからは天気もあって不参加のメール。
15時過ぎにはこの分では無理だから中止にしますと全員にメールを出しました。
16時頃には激しく降ってきたのですが、皮肉なことに16時30分ごろには小降りになって17時ごろには上がったかな。でも路面は濡れているしとてもテニスをできる状況ではなかったということで今回は納得しましょう。
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「全電源喪失の記憶」

2018-09-01 07:28:06 | 
確か江本孟紀だったが「ベンチがあほやから野球できへん」とか言って、結局その言葉がもとで阪神を引退してしまう事件があったと思うのですが、ベンチがあほやから仕事できへんと言うことはあちこちにある。日本は現場は一流でもマネジメントは三流とかよく言われていることです。
でもそれがまさに日本を危機に陥れるかもしれない状況の下、現場は命を懸けてでも仕事をしないわけにはいかないとしたら…
東日本大震災における福島第一原子力発電所の現場の状況はまさにそういう場面でした。
この本は共同通信社が関係者の実名を出して、その時「何が起こり」「何を見て」「何を考えたか」を証言してもらい、事故の現場をできる限り再現しようとしたドキュメンタリー。

改めて原発事故の過酷さと恐ろしさを感じるとともに、そこで懸命に踏みとどまって原発の暴走を抑えようとした現場の人たちの使命感に感じ入ります。
想定外!の巨大地震によって、外部送電網からの電力は途絶。そこで非常用発電機が起動していくのだが、タービン建屋の地下に設置してあったため津波により海水に浸かって全滅。原子炉は地震によりすぐに停止するので、そこから冷やすという作業に入るのだが冷却できない。
原子力発電所の運転室では非常用発電の電気も消えて真っ暗。ありとあらゆる状況を想定して訓練していたはずの運転員たちもさすがにそこまで想定した訓練はしていなくて動揺するしかない。
運転室にある無数の計器も消え状況不明。まったく手探りの中で試行錯誤しつつ何とか原子炉を制御しなくてはいけなくなった。原子力発電所で事故が起こった場合放射線の被ばくがすぐに問題になる。目に見えないだけに線量計だけが頼りなのだが、現場を確認しようにも灯りもなく懐中電灯だけで壊れた建物の中を進むなくてはいけない。その恐怖は如何ばかりか。余震が続き何時津波がまた来るのかもわからない中、道はがれきでいっぱいでずたずたになっていて車も通れないので現場へ行くだけで何倍もの時間がかかってしまう。
それでも何とか計器だけでも復旧しないと状況把握もできない。自衛隊も使って電源車をかき集めるのだが、道路も寸断されていて遅々として進めない。マニュアルもない中、現場では自動車のバッテリーをつなぎ合わせて計器類だけでも何とか復旧させていく。
原子炉を一刻も早く冷却させるために現場の知恵を絞りありとあらゆる手段を考える。火災に備えての消火系ラインを使って注水できないか。弁は電源がないので手動で開けないといけない。水は消防車のホースを送水口につなぐ。そのためにはまず建屋へ行く道のがれきを撤去していかないと。ここでは地元の協力企業の専務がショベルカーを運転して活躍する。
現場の人たちは必死で事態を修復しようと知恵を絞りいささかアナログな手法で進めていく。電源喪失てしいるんだからデジタルでは役に立たないんですよね。重機もなく、動かせる人もいないので、重いものを運ぶ作業でも手作業で進めていくしかない。こういう中でも東電の職員だけでなく協力企業の社員も大活躍する。その多くが地元の人で地元を福島第一原発を見捨てるわけにはいかなかった。
ところで免振重要棟と東電本社とはテレビ電話でつながってやり取りしているのだが、会議室だけを写していても現場の状況を理解できないので意識の差は甚だしい。現場は本社が状況を理解せず気の抜けた様なやり取りになるので、苛立ちをつのらせていく。
さらにここに官邸が関わってくるので事態はますますややこしくなってしまう。官邸の危機管理体制も問題ありだったのだろうが、原子力安全保安院を始めとした官庁官僚も当事者能力が欠けていて東京電力との意思疎通もうまくいっていない。当時の菅首相の個性でやたらと怒鳴り散らすところから言うべきこともいえずに忖度する輩も出て迷走した方針は現場をさらに混乱させてしまう。正直付き合っていられないと吉田所長は海水注入については偽りの報告をしてまでいる。
必死の作業を続けていく現場だが、1号機が水素爆発してからは残っている職員は多かれ少なかれ死を覚悟している。遺書を書いたり最後のつもりでメールを送ったりしている。それでも持ち場を離れようとしない。それぞれの葛藤の記述を読んでいると目頭が熱くなる。家族への想い、使命感、責任感。
3号機も爆発し、停止中だった4号機も水素が3号機から配管を伝ってきて爆発。そんな中で最悪の事態を回避できないかとありとあらゆる手段を使って不眠不休で奮闘している吉田所長を始めとする職員たち。
それでも4号機が爆発した時には吉田所長は2号機が爆発して最悪の事態になったと感じている。武田邦彦によると2号機は偶然の幸運で爆発しなかったみたいですが、もし爆発していたら建屋の水素爆発ではなくて格納容器が破裂して大量の放射性物質が外部放出される。第一原発構内どころか周辺地域も人が近づけなくなる。現場での事故対応ができなくなり制御不能のまま大量の放射性物質を放出する。それどころか福島第2原発にも放射性物質は飛来して人が近づけなくなりそこも制御不能に。
東北から首都圏まで移住対象地域となってしまい、東日本は壊滅する。
ところでほとんど気にしていなかったのですが、福島第2原子力発電所も大きな被害を被り津波で海水熱交換器建屋、タービン建屋が浸水して4基のうち3基の冷却機能が失われている。ただ幸運なことに4回線ある外部電源のうち1回線は生き残ったため、その電源を使って設備の状況把握が可能となり配管の弁の開閉もできた。東芝の三重工場から自衛隊を使ってモータを運んでもらい人力でケーブルをつなぎ川から水を取水して何とか冷却に持って行った。現場の知恵と工夫が満載です。ここもダメだったらどうなっていたのか。
偶然の幸運と命を懸けた現場の知恵と頑張りで、何とか最悪の事態は免れたのだが福島は決してアンダーザコントロールという状況ではない。現場は一流、マネージメントは3流と言うだけでは、失敗は繰り返す…
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