今乗っているというか現代日本の右傾化に警鐘を鳴らし続けて奮迅している内田樹と元産婦人科医という変わり種の精神科医春日武彦の対談です。
と言ってもしゃべっているのは圧倒的に内田さん。春日さんはその合間合間に話すという感じなのですが、その設定が心地よいのか何時にもまして内田節が炸裂。本人もどうして「そんなこと」を口走ったのか説明できないところがあちこちにあると言っている。
思わず笑ってしまうようなカミングアウトもあって、さらさらと読むことができますが、中身は結構深いものがあると思います。
以下断片的ですが
「ひきこもり」は困難な現実に向き合えないからとりあえず状況をやり過ごそうとしているものですが、親にとってもそれが解決すればもっと困難な現実に直面するので、治っては欲しいけど治ってほしくもないという微妙な感じがある。悩み多き人生では現代人は病気になるということで癒されることもある…鬱とか神経症とか言いつつ問題をとりあえず先送りするってか。
自己実現とかキャリア形成とか言うけれど「自分は他人のために何ができるか」「誰が自分の支援を必要としているか」という問いを自分に向ける習慣がない人間は社会的には役に立たない。他人が必要としているものを提供し続けるような身体感覚を持たないと。
未来はいつも闇の中、取りこし苦労はやめて人事を尽くして天命を待つ。う~ん、これって名越さんの言っていた「今ここ」に集中するってことか。
「未知なる幸福に襲われるよりは、勝手知ったる不幸の方が気が楽だ。」この感覚はわかります。未知への恐怖です。
「強く念じれば望みは実現する。ただし、自分の望んだ時期には実現しない。」
自分のことは自分にだってよく分かっていない。「自己自身に対する無知」こそ創造の泉になる。あることをついてどうしてもうまく語れないという、このバイアス総体を個性と呼ぶのです。モーツァルトはなぜこんなものを作り出したのか、その起源も生成プロセスも言葉で説明できない。「本当の自分探し」とか言って、無知のままにしておくべきところを出来合いのフレーズで粗雑に言語化するっていうのは自殺に類した行為でしょう。それに時間軸で見れば1秒後の私は今の私とは別のもの。変わらない私がどこかにいる本当の私を探すことはありえない。時間軸で見てみれば本来結婚とか親子の在り方というのはロングスパンで見なければいけないのに、ビジネス的時間感覚で「早く結果を出せ」というショートスパンで見ようとしているので家庭がうまくいかなくなっているのかも。
自分で口にした言葉の現実変成力を自分の人生をかけてでも証明しようとするので、人間て言うのは他人から聞いた話というのはあまり軽々しく信用しないくせに自分がいったん口にした言葉というのは、どれほど不合理であっても信用する。だから人を好きになったら内省なぞせずに「愛している」どうせ愛しているなんてどんなものか誰にも分からない、わからないからこそまず「愛している」と言ってみて、そこからそれはこういうことかなと後付していくものなんです。そもそも自分だって何考えているかわからないのに他人に分かるわけないんだから。
すばらしい!でもこれをもろに言うとアウトでしょうね。内田先生、だからバツイチ…
こうやって写真に納まる時はいいんですけど日本男子は「男は黙って…」を旨としているんですよね。
被害者意識というのは、父権制イデオロギーが原因で、自分を被害者という立ち位置において、自分の身に起こるすべてのことを「加害―被害」の因果関係で説明しようとするものです。でも自分が不幸な目に遭っているのは、様々なファクターの複合的な効果であってこれを起死回生に一気に逆転する方法はなくて、小さなことでもいいので一つ一つほぐしてゆくことで状況が変化させるしかない。大きな器に水がいっぱい入っていて、一滴の水が落ちた途端水があふれたとしても、その最後の一滴が原因ではない。最後の一滴がこぼれる前におちょこ一杯でも掬い出しておけば水は溢れない。落ち込んだらまずは部屋を掃除しなさい。これも名越先生が同じことを言っています。内田さんと名越さんはお友達で一緒に本も書いているんでした。
日本は世界一安全な国なので感度が鈍いのですが、危険を知らせるアラームというか「嫌な感じ」というか、非常に言語化しにくいんですが、感知する能力が人間には備わっている。身体が感じる違和感に忠実にならないと。
自分が深く確信を持ったことを言う時は、自分の身体全部がブーンって唸るような感じで共振してくれる。嘘をつくときには共振しない。自分でしゃべっていても嘘をついている時はだんだん声が単調になるのが分かるとか。嘘をつく人は体が声についていかないから見破られる。プロの詐欺師というのは自分の嘘を自分で信じているんですね。
非常に断片的な紹介になってしまいましたが、興味を持ったフレーズがありましたら是非本を手に取ってみてください。
と言ってもしゃべっているのは圧倒的に内田さん。春日さんはその合間合間に話すという感じなのですが、その設定が心地よいのか何時にもまして内田節が炸裂。本人もどうして「そんなこと」を口走ったのか説明できないところがあちこちにあると言っている。
思わず笑ってしまうようなカミングアウトもあって、さらさらと読むことができますが、中身は結構深いものがあると思います。
以下断片的ですが
「ひきこもり」は困難な現実に向き合えないからとりあえず状況をやり過ごそうとしているものですが、親にとってもそれが解決すればもっと困難な現実に直面するので、治っては欲しいけど治ってほしくもないという微妙な感じがある。悩み多き人生では現代人は病気になるということで癒されることもある…鬱とか神経症とか言いつつ問題をとりあえず先送りするってか。
自己実現とかキャリア形成とか言うけれど「自分は他人のために何ができるか」「誰が自分の支援を必要としているか」という問いを自分に向ける習慣がない人間は社会的には役に立たない。他人が必要としているものを提供し続けるような身体感覚を持たないと。
未来はいつも闇の中、取りこし苦労はやめて人事を尽くして天命を待つ。う~ん、これって名越さんの言っていた「今ここ」に集中するってことか。
「未知なる幸福に襲われるよりは、勝手知ったる不幸の方が気が楽だ。」この感覚はわかります。未知への恐怖です。
「強く念じれば望みは実現する。ただし、自分の望んだ時期には実現しない。」
自分のことは自分にだってよく分かっていない。「自己自身に対する無知」こそ創造の泉になる。あることをついてどうしてもうまく語れないという、このバイアス総体を個性と呼ぶのです。モーツァルトはなぜこんなものを作り出したのか、その起源も生成プロセスも言葉で説明できない。「本当の自分探し」とか言って、無知のままにしておくべきところを出来合いのフレーズで粗雑に言語化するっていうのは自殺に類した行為でしょう。それに時間軸で見れば1秒後の私は今の私とは別のもの。変わらない私がどこかにいる本当の私を探すことはありえない。時間軸で見てみれば本来結婚とか親子の在り方というのはロングスパンで見なければいけないのに、ビジネス的時間感覚で「早く結果を出せ」というショートスパンで見ようとしているので家庭がうまくいかなくなっているのかも。
自分で口にした言葉の現実変成力を自分の人生をかけてでも証明しようとするので、人間て言うのは他人から聞いた話というのはあまり軽々しく信用しないくせに自分がいったん口にした言葉というのは、どれほど不合理であっても信用する。だから人を好きになったら内省なぞせずに「愛している」どうせ愛しているなんてどんなものか誰にも分からない、わからないからこそまず「愛している」と言ってみて、そこからそれはこういうことかなと後付していくものなんです。そもそも自分だって何考えているかわからないのに他人に分かるわけないんだから。
すばらしい!でもこれをもろに言うとアウトでしょうね。内田先生、だからバツイチ…
こうやって写真に納まる時はいいんですけど日本男子は「男は黙って…」を旨としているんですよね。
被害者意識というのは、父権制イデオロギーが原因で、自分を被害者という立ち位置において、自分の身に起こるすべてのことを「加害―被害」の因果関係で説明しようとするものです。でも自分が不幸な目に遭っているのは、様々なファクターの複合的な効果であってこれを起死回生に一気に逆転する方法はなくて、小さなことでもいいので一つ一つほぐしてゆくことで状況が変化させるしかない。大きな器に水がいっぱい入っていて、一滴の水が落ちた途端水があふれたとしても、その最後の一滴が原因ではない。最後の一滴がこぼれる前におちょこ一杯でも掬い出しておけば水は溢れない。落ち込んだらまずは部屋を掃除しなさい。これも名越先生が同じことを言っています。内田さんと名越さんはお友達で一緒に本も書いているんでした。
日本は世界一安全な国なので感度が鈍いのですが、危険を知らせるアラームというか「嫌な感じ」というか、非常に言語化しにくいんですが、感知する能力が人間には備わっている。身体が感じる違和感に忠実にならないと。
自分が深く確信を持ったことを言う時は、自分の身体全部がブーンって唸るような感じで共振してくれる。嘘をつくときには共振しない。自分でしゃべっていても嘘をついている時はだんだん声が単調になるのが分かるとか。嘘をつく人は体が声についていかないから見破られる。プロの詐欺師というのは自分の嘘を自分で信じているんですね。
非常に断片的な紹介になってしまいましたが、興味を持ったフレーズがありましたら是非本を手に取ってみてください。