怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「わが人生の歌がたり 昭和の追憶」五木寛之

2015-05-05 20:58:06 | 
最近はすっかり宗教づいてしまって、お寺を回ったり、親鸞、蓮如について小説を書いたりしている日々みたいの五木寛之ですが、これは歌とともに昭和を回想したもの。この本は「昭和の哀歓」「昭和の青春」の3部作の第3部なのですが、第1部の「昭和の哀歓」は昭和7年から20年代、第2部の「昭和の青春」は昭和20~30年代と言うことで、これだとさすがに物心つく前の知らない歌ばかりでパス。
この本は五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」の小説家デビューから年代を追って歌とともに昭和を追憶しています。

最初の歌は西田佐知子の「赤坂の世は更けて」。う~ん、西田佐知子ってあの関口宏さんの奥様。「アカシアの雨に打たれて」で有名ですよね。
取り上げられている歌は「若者たち」とか「いとしのマックス」、「青年は荒野をめざす(五木寛之の作詞です)」「戦争を知らない子供たち」と言ったフォーク、ポップス調のものから「伊勢佐木町ブルース」「圭子の夢は夜ひらく」と言った演歌、さらには南沙織、ピンクレディーの歌まであって幅広いのですが、何故か加山雄三的な湘南サウンドは出てこない。五木寛之には日本海とか北の海は似合うのですが、湘南の明るい海は似合わない…
作家になる前は放送業界にかかわり、作詩もしていた五木寛之ですので、意外に知っている歌でも作詞しているものがあります。
松坂慶子の「愛の水中花」は知っていましたが、冠二郎の歌った「旅の終わりに」(これはペンネームを替えて立原岬になっています)、ハイファイセットの「燃える秋」とか渡哲也の「海を見ていたジョニー」などなど。
全体を見ると当然ながら歌謡曲が中心でやっぱり演歌への思い入れが強いのですが、これは当時書いていた小説からも当然か。
五木自身が書いているのですが、小説は30年もたつとほとんど顧みられることもなく、当時大家と言う人の作品も教科書で読むくらい。五木寛之が書きまくっていた昭和40~50年代頃は中間小説の全盛時代で、私も新聞の文芸評論を毎月しっかり読んで主なものを一生懸命フォローしていました。五木寛之とか野坂昭如とか遠藤周作、井上ひさし、筒井康隆などはその時代のスターで、新刊が出るのをいつも楽しみにしていました。。でも今はそのころの本はほとんど絶版になっていて文庫本にも何冊が残っているか。それに対して歌はいつまでも歌われているものがたくさんあります。五木ひろしの「よこはま・たそがれ」は昭和46年の作品ですが、今でも歌詞は大体ですけどメロディーも浮かんで出だしは歌えます。テレビでは懐かしの歌的な番組で歌い継がれています。そのころの五木寛之の作品を覚えているでしょうか。映画になっていることからか「青春の門」は覚えていますね。
ちなみに五木ひろしと言う芸名は山口洋子から名前を借りるねと仁義を切られているそうですが、実は「ひろし」と言うのももう一つのペンネーム「のぶ・ひろし」からみたいで、姓名とも同じで困った記憶があるとか。
ところで「青春の門」は今第8部まで書いたのですが、構想は全12部、信介が29歳で筑豊に帰って終わる予定なのだそうです。体力が残っていればとかいていますが、どうでしょうか。そういえば第3部までしか読んでいなかったかな…
五木寛之の最近の本と同様字が大きくて読みやすいし、時代時代を象徴する歌の歌詞がきちんと書いてありますので、歌とともに昭和のあの時代がありありと頭に浮かんできて涙にむせびます。
しかし、読んでいてよく知っている歌が出てきた時は思わず声に出して歌ってしまいますので家人のあきれ果て大丈夫かという視線攻撃に合います。ある意味危険な書ですので読むときには周りに注意してください。
コメント
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