怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

冲方丁「もらい泣き」

2014-09-27 08:56:00 | 
自分で言うのもなんですが私は涙もろいほうだと思っています。一説には老化現象ともいわれていますが、やっぱり歳を取ると上も下もゆるくなってくるのでしょうか。父の葬儀の時も喪主のあいさつをする時にいろいろの思いが押し寄せてきて泣いてしまい、お世話になった皆さんにもっといろいろお礼を言わなければいけなかったのに言葉が出ませんでした。後でさんざん従兄に指摘されて恥じ入ったものです。
そんな私がズバリはまり、目頭を熱くしながら読んだ本です。

実話で「泣ける話」を原稿用紙5枚半ということは2千字ちょっとで書くということは大変な作業ですが、「小説すばる」で3年ほど連載したものをまとめたものです。実話ということで、いろいろ人に聞いて取材した話なのですが、個人が特定されないように設定を変えたり二つの話をつなげたりとしているみたいです。そもそも話すことによって多少事実とは違ったバイアスがかかっているでしょうし、多少の脚色はどうしてもあるのでしょうが話の本筋は変えてないようです。
「天地明察」しか読んでなかったので知らなかったのですが、著者はゲームとか漫画の原作も手掛けていて、そのためか業界関係の人の話が多いみたいです。
五木寛之が書いていたと思いますが、人は笑うことによって免疫力が上がるとよく言われますが、泣くことによっても免疫力が上がるし魂を浄化すると。確かにこの本を読んでいると目頭が熱くなってリビングで読んでいるとわからないように苦労したのですが読後感は清々しくて気持ちいいのでした。
短いエピソードなので要約するとうまく伝えられないのですが、前半では「ぬいぐるみ」が一番でしたね。視力薄弱の子供が生まれ、立ち上げた会社も危急存亡の危機。内憂外患の中折れそうになった時にその目のほとんど見えない子供ががしたことは。そしてそこに光を見て乗り切っていく。要約すると何ともない話ですが、今読み返しても熱くなります。
実はこの連載中に2011年3月11日の東日本大震災に遭遇し、著者も福島県に在住していたこともあってどこにもぶつけられない激しい怒りを感じたのですが、このコラムを書くことによって、そこに書いてあるエピソードが、震災の衝撃に耐え、冷静さを保つ自分を作り上げてくれたのだと。
震災後に書かれたものでは「先にいきます」がいいですね。人と人とのつながり、良心、共感、和解、世の中まだまだ捨てたもんではないし、人間っていいよねと思ってしまいます。
ここに書いてある泣ける話は残念とか悔しくての涙ではなくて、思わずホロリとなって後で心がじわじわと温かくなって出る涙です。涙を流すことによって心が清々しくなり浄化された気分になります。
この本はたまたま図書館の書架で見つけて期待せずに借りたのですが、読後感は星五つ。掘り出し物でした。
ところで最後に個人ブログで募集した「泣ける話」を3話載せてあります。それでは私は一つぐらい泣ける話があるのかと自問自答したのですが、一つも思い浮かばない。二十代なら今はまだ人生を語らずといえるのですが、還暦を迎えてもそんなエピソード一つない人生というのは何なんでしょう。情けなくて愕然とするとともに無為に過ごした人生に呆然としてしまいます。これが私の一番の「泣ける話」というのは洒落にもなりません。なんだかな~

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 9月23日若宮大通り公園テ... | トップ | 9月27日鶴舞は予約なし… »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事