怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

俵 万智「考える短歌」「短歌のレシピ」

2015-10-25 16:02:27 | 

短歌は、五・七・五・七・七の三十一文字で表現する定型詩。文字が少ないだけに「感動」を表現しようとすると、どうしてもある種のテクニックが必要になる。
その制約が言葉を推敲することになり、かえって奥行きを深めることになるのだろう。
俳句の話なのですが「プレバト」という番組で毒舌先生が添削する時にいつも言っていることも同じようなことと思います。
短い定型詩だからこそ、AだからBというような言わずもがなのことは言わない。想像できることは書かない。意味が重ならないようにする。言葉の順番、助詞の吟味、副詞には頼らない、「も」とか「ような」は使わない。あいまいな「の」は気を付けよう、一首にたくさんのことを盛り込まない云々…制約をうまく活かして読む人の心の中に入っていくような歌にしていかなくては。
この2冊は俵万智が投稿句を添削しながら、短歌の技術を手ほどきしているものです。もちろん優秀作には添削する必要ないのでそのまま載せてありますし、お手本としての名作も載せて、その鑑賞のポイントを解説しています。

読んでいくと本当に少し手を加えただけでよくなるのでびっくり。
それでは添削例を書いていくと
・ここにいる僕より君はケータイの知らない人に笑顔で話す
これは「知らない人」を「話し相手」に変えて
・ここにいる僕より君はケータイの話し相手に笑顔を見せる
次はリズムを整える例で
・「雪が見たい」といったなら「見に来たらいいし」なんて簡単に行かれっこないし
これを電話で話していると推測して
・「雪が見たい」「なら見に来れば」簡単に行かれっこない受話器の向こう
短歌のリズムになっていますね。
・行きつけの京都四条のあの店だけで彼女と扱われし嬉し
リズムが悪いし「あの」が余分かな
・行きつけの京都四条のあの店だけで彼女と呼ばれ彼女となりぬ
こうすると嬉しさだけでなく切なさも出ていますね。
・友といた夜の記憶は数枚の絵画を見るよう酒は怖いね
「酒は怖いね」は当たり前すぎてもっと想像力が膨らむように
・友といた夜の記憶は数枚の酒の匂いの絵画となりぬ
メールを詠んで
・メール無き一日の終わりため息とやっと届いた「お休み」抱く
初句は「メール無き」なのに結局来たじゃんだし、「ため息」と「やっと」は重なっているかな
・メール待つだけで終わってゆく一日やっと届いた「お休み」抱く
たった一文字替えるだけで印象が変わることも
・高瀬川桜の花が流れゆく恋の涙も姿を変えて
この歌の主役は恋の涙、「桜の花が」では桜が強く出てしまう
・高瀬川桜の花は流れゆく恋の涙も姿を変えて
もう一つ
・八月をビリッと落とし月日ってこんなに長いものだったんだ
「落とし」を「落とす」に一文字だけ変えると
・八月をビリッと落とす月日ってこんなに長いものだったんだ
ずいぶん印象が違います。
それでも感覚の違いなのですが、添削前の歌の方が好きなものもあります。
・「元気でね」とひまわり色の声を出す 涙の淵に落ちそうなのに
これは「のに」は言い過ぎということで、カットして季節を入れた。
・「元気でね」とひまわり色の声を出す 涙の淵に落ちそうな夏
でもひまわりは夏だし、言い過ぎと言われた「のに」で切なさが増しているような気がして添削前の方が私は好きですね。
まあ、究極的には好き好きなんでしょうが、心に染み入るいい歌がたくさんあります。自分で作る能力がないので、書きとめておいてどこかで使ってみるか…
・伝えたい思いは形にならなくて空を見てよとメールを送る
・カラオケで歌う普通のラブソング君を思って特別になる
・二日酔いの無念極まるぼくのためもっと電車よ まじめに走れ 福島泰樹
・空見上げ三秒間の逃避行こころ飛ばして日常へ戻る
・一つ駅を乗越せば違った人生もあると思えり午前八時五十分 光栄尭夫
・ケイタイより糸電話がいい君にしかつながらない線一本欲しい
まだまだいろいろあるんですけど、どこかで使うんだとしたら手の内はあまり見せないほうがいいか…

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