内館さんの前作「終わった人」を読んだ時は丁度自分が定年退職して関連法人に第2の就職して、そろそろ完全退職後はどうしようかと考えだしたころ。
ズバリ小説の主人公の置かれた立場が自分自身に迫ってきている時で、無茶苦茶心に響きました。退職のセレモニーは生前葬みたいなものと言うのに共感して、自分も挨拶はともかく花束とか白々しいことは一切やめてくれと頼んだ記憶です。
無職になった今は暇を持て余して本を読んでいるのですが、ボケ防止も兼ねて感想と言うか気になったこととかをいろいろこのブログに本のレヴューとして書いていますが、最近は何を読んだかを忘れていることもままあり、二度三度と図書館に借りたりしています。ブログに書いたことも忘れてもう一度読み始めて途中からこれは既読感があるなと思い、過去のブログを調べてみるとちゃんと書いてあったなんてことも。
しかし「終わった人」は印象が強くて鮮明に覚えています。客観的に見ると終わった人なのですが、成仏することができずにもがいている主人公の姿は残念なことに今の私の姿と重なります。
と言うことで、内館さんのこの本も、既に出版後3~4年たっているのですが図書館にあったので遅まきながら借りてきました。
今回は若々しくて夫婦仲睦まじい78歳の女性が主人公なのですが、毎日漫然と過ごしている老人の私には結構きつい言葉が満載です。
ループタイは締め付けない分、じいさん臭く見えるし、どこか貧相に見える。アスコットタイとか派手目のネクタイにしないと。う~ん、私はもっぱらループタイもしないノーネクタイ。
つまらない女が好きな「人は中身」と言う言葉、さほど中身もない女が、これを免罪符にしている。
若いうちに切り詰めて貯えたお金は、今が使い時。80間近の、さらなる「老後」に何があるのだと言うのだ。葬式しかないだろう。その通りなんだけど若い時からの節約生活がすっかり身についてしまい、それをを変えることは難しいと言うか却って贅沢が落ち着かない。
リュックは楽だし、両手が空いていて安全で、老人にはぴったり。であればこそ、病気でないなら拒否する気概が必要だ。そう言われても安全第一でやっぱりリュックなんです。
伸び縮みする素材や、体を締め付けない服を着るのはバアサンの証拠。「楽が一番」と言う精神に退化している。じいさんも楽が一番で、私ももっぱらトレパンか短パンでベルトで絞めるのは嫌。
こう書いているとみんな自分のことを言われているみたい。
「すぐ死ぬんだから」というセリフを免罪符に楽な方に楽な方に流れていく。しかし、高齢者が外見に意識を持つとそれがもたらす微かな変身が、生きる気力に直結する。外見が中身と連動しているのは現実。高齢者は衰退していくのは避けられないにしろ「品格ある衰退」を目指さないと。
ところでこの小説でどうしても納得できないことは、夫の岩造が内緒で書いていた遺言書で、40年来の愛人と認知していない隠し子がいたことをカミングアウトしていて愛人に全く価値の無い書を送ることにしていることです。今更余計なことを書かなければ、秘密は秘密のまま、誹謗中傷を受けることなく妻も愛人もそして子ども達も心の平安を保って人生を全うすることができたはず。当然悲惨な結果になることが予想されるのに、わざわざ遺言書に言わずもがなことを書いた心境は分かりません。そんな事実関係はまったくないまま高齢者になってしまった至ってつまらない人生を生きた自分ですが、もし自分がそういうことになったなら絶対秘密は秘密のままにで逃げ切ろうと思うのですけど。
人間墓場まで持って行くような秘密の一つやふたつはあるものですが、どこかでは「王様の耳はロバの耳」と叫ぶのは止められないということか…
実はこの「すぐに死ぬんだから」は以前NHKでドラマ化されていて、毎週見ていました。
主人公は三田佳子が演じていますが、設定にぴったり。実年齢も主人公とほぼ同じで、若々しく美しく見えることも小説と同じ。でもドラマの全体の印象としては小説と比べると毒を薄めてあると言うか尖っているところを丸めてあると言うのでしょうか。雅江と明美の同級生二人の描写ももっと微妙な感じですし、小松政男が演じていたロクちゃんなどは小説では本当に端役で出るだけ。とても小松政男が演じるようなものではない。エピソードを盛って、それなりにみんなが一緒に見られるように配慮してあります。
楽に流れる「ヤバい老人」になるのではなく、年齢に負けない意識を持つ「イタイ老人」を目指すべきなのか。でも「イタイ老人」とは一緒に暮らすのは結構疲れるし、そこが妻を「俺の自慢」と公言する愛妻家で通っていた岩造が40年間も秘密に愛人との付き合いを続けた理由かも。
ズバリ小説の主人公の置かれた立場が自分自身に迫ってきている時で、無茶苦茶心に響きました。退職のセレモニーは生前葬みたいなものと言うのに共感して、自分も挨拶はともかく花束とか白々しいことは一切やめてくれと頼んだ記憶です。
無職になった今は暇を持て余して本を読んでいるのですが、ボケ防止も兼ねて感想と言うか気になったこととかをいろいろこのブログに本のレヴューとして書いていますが、最近は何を読んだかを忘れていることもままあり、二度三度と図書館に借りたりしています。ブログに書いたことも忘れてもう一度読み始めて途中からこれは既読感があるなと思い、過去のブログを調べてみるとちゃんと書いてあったなんてことも。
しかし「終わった人」は印象が強くて鮮明に覚えています。客観的に見ると終わった人なのですが、成仏することができずにもがいている主人公の姿は残念なことに今の私の姿と重なります。
と言うことで、内館さんのこの本も、既に出版後3~4年たっているのですが図書館にあったので遅まきながら借りてきました。
今回は若々しくて夫婦仲睦まじい78歳の女性が主人公なのですが、毎日漫然と過ごしている老人の私には結構きつい言葉が満載です。
ループタイは締め付けない分、じいさん臭く見えるし、どこか貧相に見える。アスコットタイとか派手目のネクタイにしないと。う~ん、私はもっぱらループタイもしないノーネクタイ。
つまらない女が好きな「人は中身」と言う言葉、さほど中身もない女が、これを免罪符にしている。
若いうちに切り詰めて貯えたお金は、今が使い時。80間近の、さらなる「老後」に何があるのだと言うのだ。葬式しかないだろう。その通りなんだけど若い時からの節約生活がすっかり身についてしまい、それをを変えることは難しいと言うか却って贅沢が落ち着かない。
リュックは楽だし、両手が空いていて安全で、老人にはぴったり。であればこそ、病気でないなら拒否する気概が必要だ。そう言われても安全第一でやっぱりリュックなんです。
伸び縮みする素材や、体を締め付けない服を着るのはバアサンの証拠。「楽が一番」と言う精神に退化している。じいさんも楽が一番で、私ももっぱらトレパンか短パンでベルトで絞めるのは嫌。
こう書いているとみんな自分のことを言われているみたい。
「すぐ死ぬんだから」というセリフを免罪符に楽な方に楽な方に流れていく。しかし、高齢者が外見に意識を持つとそれがもたらす微かな変身が、生きる気力に直結する。外見が中身と連動しているのは現実。高齢者は衰退していくのは避けられないにしろ「品格ある衰退」を目指さないと。
ところでこの小説でどうしても納得できないことは、夫の岩造が内緒で書いていた遺言書で、40年来の愛人と認知していない隠し子がいたことをカミングアウトしていて愛人に全く価値の無い書を送ることにしていることです。今更余計なことを書かなければ、秘密は秘密のまま、誹謗中傷を受けることなく妻も愛人もそして子ども達も心の平安を保って人生を全うすることができたはず。当然悲惨な結果になることが予想されるのに、わざわざ遺言書に言わずもがなことを書いた心境は分かりません。そんな事実関係はまったくないまま高齢者になってしまった至ってつまらない人生を生きた自分ですが、もし自分がそういうことになったなら絶対秘密は秘密のままにで逃げ切ろうと思うのですけど。
人間墓場まで持って行くような秘密の一つやふたつはあるものですが、どこかでは「王様の耳はロバの耳」と叫ぶのは止められないということか…
実はこの「すぐに死ぬんだから」は以前NHKでドラマ化されていて、毎週見ていました。
主人公は三田佳子が演じていますが、設定にぴったり。実年齢も主人公とほぼ同じで、若々しく美しく見えることも小説と同じ。でもドラマの全体の印象としては小説と比べると毒を薄めてあると言うか尖っているところを丸めてあると言うのでしょうか。雅江と明美の同級生二人の描写ももっと微妙な感じですし、小松政男が演じていたロクちゃんなどは小説では本当に端役で出るだけ。とても小松政男が演じるようなものではない。エピソードを盛って、それなりにみんなが一緒に見られるように配慮してあります。
楽に流れる「ヤバい老人」になるのではなく、年齢に負けない意識を持つ「イタイ老人」を目指すべきなのか。でも「イタイ老人」とは一緒に暮らすのは結構疲れるし、そこが妻を「俺の自慢」と公言する愛妻家で通っていた岩造が40年間も秘密に愛人との付き合いを続けた理由かも。
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