怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

白井聡「武器としての資本論」

2021-08-06 18:07:14 | 
私の大学時代には、経済学部では、当時は必修単位があり経済原論Ⅰ(近代経済学)と経済原論Ⅱ(マルクス経済学)の両方が必修だった。原Ⅰは飯田教授で原Ⅱは大島教授、必修科目なので否が応でもマルクス経済学は学ばなければいけなかった。今でも必修があるのか分からないけど、マルクス経済学はどうなっているのか。当時は原Ⅱ以外でも経済史、経済思想史、社会思想史とマルクス経済学の錚々たる教授が担当していたのですが、多分今は昔なのだろう。
ソビエト連邦が崩壊して以来、社会主義経済の悲惨な実態が明らかになり、残った中国は今や社会主義とは無縁の国家独占資本主義と言った方がいいような状況となっては、今の経済学部生にとってはマルクス経済学は過去のものでしかなく資本論など読んだことはないのだろう。
しかし、資本主義も順風満帆、万全で人々の暮らしはますますよくなっているのかと言えば、実態として格差はますます拡大し、貧困化が問題となり、社会が分断されている。
出口が見えず、希望も見えない中、細々ではあるが今またマルクスが読まれているみたい。

この本は「永続敗戦論」などでの著者である白井聡の今の状況での「資本論入門」。結構評判になっていたと思いますが、でも図書館の予約はなくて書棚に並んでいて即借りることができました。
学部での必修科目でもあっただけに私の本棚にも「資本論」は当然並んでいて、苦労して読んだ記憶はあります。今も本棚に燦然と輝いているのですが、今となっては何が書いてあったのか忘却の彼方。当時でも独特の文体になじめず頭の中にほとんど入ってこなかった記憶です。ああいう小難しく書いてあるのがアカデミックでそれを読みこなす知性を持たなければいけないという風潮でしたかね。
でもこの「武器としての資本論」は読みやすい。内容も現代社会の問題意識に即して書いてあるので、それなりに頭の中に入ってきます。
マルクスは社会革命家としてのマルクスと経済学者としてのマルクスという二面性があって、資本論は経済学者としてのマルクスの理論的集大成。だけど社会革命家としてのマルクスの著作の方が断然分かりやすくて面白い。それは時代を撃つ発言なのですが、資本論は理論として時代を超えた価値があります。こうやって乱暴に整理してしまうと宇野派の経済学の資本論理解になるのかどうか。もっとも革命家マルクスの時代を撃つ発言は賞味期限が短くて今や19世紀の社会情勢を映し出す史料的価値しかなくて、現代にそのまま当てはめることもできずに過去のものになっているんですけど。
ところで資本論の第1章商品の冒頭は「資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。」という書き出しです。この文章当たり前のことを言っているようで実に含蓄がある…でもほとんどの人はこの冒頭を読んで早くも行く手の暗雲を感じてしまうのでは。かく言う私もこの文章になじむことなく、そのままよく理解できぬまま読み進めて、よく理解できぬまま読了した記憶です。
それはそれとして、さすがに白井さんは今の学生にもわかりやすいように書いています。
何をもって資本主義社会かというと「物質代謝の大半が商品を介しておこなわれる社会」であり、そこでは富の基本形態が商品になり、商品でなかったものがどんどん商品化されるようになってきて、その勢いはとどまるところを知らない。そして労働力さえも商品となり、剰余価値を生産する。
資本の目的はただひたすらに量的に増大すること。投資をして機械装置を導入するのは剰余価値の生産のための手段であり、生産性が上がってもマルクス用語によれば特別剰余価値を獲得するだけで労働者への分配が増えるわけではない。だからこそ資本制社会では絶え間ないイノベーション、技術革新が追求されており、技術革新が人々を幸せにするわけではない。
でもこの本の裏テーマは「新自由主義の打倒」で、資本論の解説だけではなく、今現在の階級闘争などと言う言葉が消え、労働組合もどこへ向かっているのか分からない情況をどう捉えるかを現実に即して述べています。マルクスが資本論で分析した資本制社会の本質は変わっておらず、その分析はいまだ有効であることを示しています。
資本制社会が成立するまでの本源的蓄積と暴力とかの議論はイギリスでの囲い込み運動だけでなく日本ではどうだったかとかロシアでは文学にどう映し出されているのかなどと論じられており何やら学生時代の遠い記憶を呼び出されて興味深いのですが、これは学生時代への郷愁なのか。
それにしてもマルクスの美しい日本語と対極の文章表現はもう少し何とかならないのか。日夜この文章に没頭して資本論の世界に入り込めばわかってくるのでしょうけど、高齢者となった私ではいくら暇と言ってもそういう気力は残っていなくて、本棚の資本論はそのまま静かに埃をかぶっていくだけでしょう。必修科目だったのに、いまだこの程度の理解では留年必至か。


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