高校時代の古文の授業では平安時代では「源氏物語」と「枕草子」は必須。作者の紫式部と清少納言はどちらも宮中に努める女官。一条天皇の中宮彰子と皇后定子に仕えて、それぞれのサロンの主役だったのですが、お互いに意識し張り合っていたみたいです。まあ少し時期がずれていて紫式部の方が意識して悪口を言っているみたいですが・・・
古文の授業では当時高校生で欲望は肥大しても事実行為としてはストイックに生きていた私には源氏物語の世界はイマイチ実感がなく、圧倒的に枕草子の方が面白かったこともあって清少納言の方に共感を感じていました。父は歌人として高名な清原元輔なのですが、和歌の才能は自分ではないと言っているように、どちらかというと文学のロマンを紡ぎ出すと言うのではなくて、理屈っぽくて博覧強記で故事来歴、漢籍に通じて、冷静に人間観察しているところに引かれます。清少納言のような才能はないけれど性格としては傾向が似ている面があるのであこがれと言うかシンパシーを感じているのかな。
この本は冲方丁による、そんな清少納言の人生と枕草子がどうやって書かれ成立していったのかと言うことを書いた小説。
ほとんどの人は背景となる当時の宮中事情の知識はあやふやでしょうから最初に巻末の解説を読むことをお勧めします。
それにしても一条天皇の代の藤原氏内の宮中の権力闘争はすさまじい。
自分の娘を天皇に嫁がせ、娘が次期天皇となる子を産めば、外戚として宮中のトップとして君臨できる。一条天皇の御代に関白になった藤原道隆は娘の定子を中宮にして優秀な女官を集めてサロンを作り貴人が集うようにする。清少納言もそうして召集された一人だが当時25歳ですでにバツイチで子どももいると言う遅い出仕。高校では全く教えてもらわまかったが、清少納言はその後再婚して死別、さらに再婚していて最後は夫について地方赴任も経験している。宮中のサロンでもいろいろと恋話があったみたいで、当時の公家社会では当たり前だったのだろうが、結構自由な恋愛事情で、これは高校では教えられない…
ところが道隆は定子が世子を生む前に病で亡くなる。そこでチャンスとばかりに出てくるのが弟の藤原道長。どこまで自分が仕組んだことかはわからないけれど道隆の息子の伊周を宮中からうまく追い落とし自分の娘彰子を強引に入内させそれまでの中宮定子を皇后にし、彰子を中宮にすると言う何でもありの手法。邪魔な定子に対してはありとあらゆる嫌がらせをして、誰も寄り付かないようにしているのだがちょっとすさまじい。これは初めて知ったんですが、その過程で清少納言も道長に内通していると疑われ宮中を離れ実家に逼塞せざるをえなくなる。その間に華やかだった定子のサロンのことを思い出しつつ枕草子を書き連ねていったのは怪我の功名と言えるのかも。
宮中における道長優位の力関係がはっきりすると道長自身が画策しなくても取り入る為にお追従する輩が使い走りをしてあることないこと言いふらし、命じられもしない嫌がらせをするなんて言うのはよくあること。もっとも道長は御堂関白日記を読んでみても実務能力もあり若い時から猛烈に仕事をし権謀術策を計っているので、いいとこのお坊ちゃまで親の七光りで出世してきただけの伊周などは相手にならなかったのだろう。
まあ、今の時代ならば年端も行かない十代前半の娘を嫁がせ子どもを生むのを願うなんてのは児童虐待の類。一族の存亡をかけているだけに文句あるかよと言うことになるんですけど。
当然ながら道長は定子に対抗すべく中宮彰子のサロンに優秀な女官を集めるのだが、その筆頭が紫式部。彰子にとって邪魔者の定子のサロンを目の敵にするのは当然で清少納言を悪し様に言うのも仕方ない。でも紫式部が書いているので後世の清少納言評価に大きく影響してしまったのは如何なものか。
ところで宮中での女官の1日の生活はいったいどうなっていたのか。夜遅くまで和歌を詠んだりおしゃべりをして過ごし夜中には色恋沙汰で忍んでくる男もあったりして昼間は寝ているだけ?なかなか下々のものには想像できない生活です。
ちょっと紫式部の対する感覚もちょっと変わっていくようで、面白く読みました。この時代の宮中の人々の生活は実際どうだったんかと機会があれば調べたくなります。
古文の授業では当時高校生で欲望は肥大しても事実行為としてはストイックに生きていた私には源氏物語の世界はイマイチ実感がなく、圧倒的に枕草子の方が面白かったこともあって清少納言の方に共感を感じていました。父は歌人として高名な清原元輔なのですが、和歌の才能は自分ではないと言っているように、どちらかというと文学のロマンを紡ぎ出すと言うのではなくて、理屈っぽくて博覧強記で故事来歴、漢籍に通じて、冷静に人間観察しているところに引かれます。清少納言のような才能はないけれど性格としては傾向が似ている面があるのであこがれと言うかシンパシーを感じているのかな。
この本は冲方丁による、そんな清少納言の人生と枕草子がどうやって書かれ成立していったのかと言うことを書いた小説。
ほとんどの人は背景となる当時の宮中事情の知識はあやふやでしょうから最初に巻末の解説を読むことをお勧めします。
それにしても一条天皇の代の藤原氏内の宮中の権力闘争はすさまじい。
自分の娘を天皇に嫁がせ、娘が次期天皇となる子を産めば、外戚として宮中のトップとして君臨できる。一条天皇の御代に関白になった藤原道隆は娘の定子を中宮にして優秀な女官を集めてサロンを作り貴人が集うようにする。清少納言もそうして召集された一人だが当時25歳ですでにバツイチで子どももいると言う遅い出仕。高校では全く教えてもらわまかったが、清少納言はその後再婚して死別、さらに再婚していて最後は夫について地方赴任も経験している。宮中のサロンでもいろいろと恋話があったみたいで、当時の公家社会では当たり前だったのだろうが、結構自由な恋愛事情で、これは高校では教えられない…
ところが道隆は定子が世子を生む前に病で亡くなる。そこでチャンスとばかりに出てくるのが弟の藤原道長。どこまで自分が仕組んだことかはわからないけれど道隆の息子の伊周を宮中からうまく追い落とし自分の娘彰子を強引に入内させそれまでの中宮定子を皇后にし、彰子を中宮にすると言う何でもありの手法。邪魔な定子に対してはありとあらゆる嫌がらせをして、誰も寄り付かないようにしているのだがちょっとすさまじい。これは初めて知ったんですが、その過程で清少納言も道長に内通していると疑われ宮中を離れ実家に逼塞せざるをえなくなる。その間に華やかだった定子のサロンのことを思い出しつつ枕草子を書き連ねていったのは怪我の功名と言えるのかも。
宮中における道長優位の力関係がはっきりすると道長自身が画策しなくても取り入る為にお追従する輩が使い走りをしてあることないこと言いふらし、命じられもしない嫌がらせをするなんて言うのはよくあること。もっとも道長は御堂関白日記を読んでみても実務能力もあり若い時から猛烈に仕事をし権謀術策を計っているので、いいとこのお坊ちゃまで親の七光りで出世してきただけの伊周などは相手にならなかったのだろう。
まあ、今の時代ならば年端も行かない十代前半の娘を嫁がせ子どもを生むのを願うなんてのは児童虐待の類。一族の存亡をかけているだけに文句あるかよと言うことになるんですけど。
当然ながら道長は定子に対抗すべく中宮彰子のサロンに優秀な女官を集めるのだが、その筆頭が紫式部。彰子にとって邪魔者の定子のサロンを目の敵にするのは当然で清少納言を悪し様に言うのも仕方ない。でも紫式部が書いているので後世の清少納言評価に大きく影響してしまったのは如何なものか。
ところで宮中での女官の1日の生活はいったいどうなっていたのか。夜遅くまで和歌を詠んだりおしゃべりをして過ごし夜中には色恋沙汰で忍んでくる男もあったりして昼間は寝ているだけ?なかなか下々のものには想像できない生活です。
ちょっと紫式部の対する感覚もちょっと変わっていくようで、面白く読みました。この時代の宮中の人々の生活は実際どうだったんかと機会があれば調べたくなります。